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ルノワール+ルノワール展~絵画篇 [ART]

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 先日書いた“ルノワール+ルノワール展”の話(映画篇)は、展覧会での感想を述べるつもりが、いつの間にやら息子・ジャン・ルノワール監督作の映画2本のレビュー記事みたいになってしまい、どこが展覧会の話やら(苦笑)。その点を大いに反省しつつ、今回こそはきちんと(?)父・オーギュスト・ルノワールの絵画を中心に、この展覧会の話をしていきたいと思います。ま、着地点を定めず書きますので、相変わらずの脱線の可能性は否めませんが・・・(^^;。

※上の写真は、父ルノワールとジャン。撮影はナビ派の画家、ピエール・ボナールによるもの



 先ずは、この展覧会の一番のテーマ、ジャンが自らの映像作品に織り込んだ、父ルノワールへのオマージュを観て行きましょう。実際の展示方法も以下のように絵画と映像(スクリーンによるムービー再生)をセットにして、両者の比較、相関が解りやすい見せ方が採られています。

[映画]『ピクニック』
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 こちらは前回の映画篇でも取り上げた『ピクニック』のラスト近くのシーン。アンリ役のジョルジュ・ダルヌーが独り、思い出の岸辺へとボートを漕ぐ場面です。 

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ピエール=オーギュスト・ルノワール / 『風景 / ブージヴァル』(1888) 
 メキシコ、ペレス・シモン・コレクション 油彩・キャンバス
 
 ジャンがここで描きたかったのは、若き日のルノワールがモネと共に1868年より15年以上にわたり通い続けたセーヌ河畔・ブージヴァルの光景。父とその親友が何度も二人してシャトー島など、同じ画題を目の前にイーゼルを並べて、後に世間から印象派と呼ばれるようになる新たな絵画手法の研究に勤しんだ土地です。

 印象派と云う名称自体は、当初モネの絵を見たジャーナリズムの蔑みめいた批評から生まれ、やがて彼らグループの総称として浸透して行くわけですが、ジャンの中では、その呼ばれ方はどうあれ、印象派の技法は父とモネがブージヴァルで研鑽を重ねたからこそ、1つの様式として完成したもの、との強い思い入れを持っていたのではないでしょうか。

 但し、ルノワールとモネが愛したブージヴァルの光景は、1936年のロケ当時は工場の建設などで既に自然が破壊され、その面影はすっかり薄れてしまっていて、ジャンは父の絵と重なる自然の残された光景を探し求めて、ロワン川の岸辺を選んだそうです。

 ルノワールの描いているセーヌの川幅からすると、実際に撮影の行われたロワン川はやや細身に思えますが、アンリとアンリエットが口づけを交わした川岸の茂みは、この絵の光景ととても雰囲気が似て思えます。


ピクニック

ピクニック

  • 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
  • メディア: DVD



[映画]『恋多き女』

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 こちらはベル・エポックのパリを舞台にして、イングリッド・バーグマンが演じる若きポーランド侯爵未亡人の恋をコメディ・タッチで描いた物語『恋多き女』の1シーン。

 この映画の一場面に対応する絵として提示されていたのは、ジャンの母アリーヌ・シャリゴがダンスに興じる『田舎のダンス』。それはそれで間違いないのだろうけど、木々に提灯が下げられた屋外で、たくさんの男女がダンスを踊る光景と云えば、多くの人がストレートに思い浮かべるのはこちらなのでは?。

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ピエール=オーギュスト・ルノワール / 『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876) 
 パリ、オルセー美術館 油彩・キャンバス ※上記は作品の一部分です

 上の写真と比べれば、誰が見ても似ていると感じて不思議じゃないでしょ?。もちろん展覧会の解説にもこの絵のことは記述として登場します。そもそも、展覧会は出展されている絵画で構成するのが当たり前。今回来ていないこの絵を「こっちの方が」と、僕が引き合いに出すこと自体が筋違いなんですよね・・・(苦笑)。

 それにしても、こうして比較してみると本当によく似た構図が採られています。ジャンは父の絵そのままの配置をスクリーン上に再現しようと意図していたのかもしれません。ただ、ジャンの撮ったシーンは衣装やその色遣い(特に赤)がどぎつく、少々垢抜けない感じは否めませんね。対するルノワールの画面では色数は有る程度に抑えられていて、描かれているのはスノッブな若い男女ばかり。両者の洗練度にはだいぶ差があります。

 ただ、この点僕は映画を観ていないので、単純にそう思っただけ。粗筋も分からず映画の1シーンだけを切り取って絵と比べることに意義が無いのは重々承知です。が、それでもこの作画の違いが親子のセンスの差から来るものなのか、それとも単に、ジャンがモンマルトルの庶民的な雰囲気を出そうとした演出に拠るものなのか、ここは少々気持ちが引っかかってしまいました(^^;。
 

[映画]『草の上の昼食』
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 こちらは画面の色遣いと云い、登場人物と云い、ルノワールの絵が好きな人には一目瞭然のシーンですね。

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ピエール=オーギュスト・ルノワール / 『陽光の中の裸婦』(1875-76頃) 
 パリ、オルセー美術館 油彩・キャンバス

 「腐敗した肉体の紫がかった色調」と批判されたことでつとに有名なこの裸婦像を、よくオルセーは遠く日本まで貸し出してくれたものだなぁ~と、先ずは作品の内容以外のところで妙に感動。

 改めてまじまじと眺めると、背景など晩年モネが到達する抽象絵画的な表現法、筆遣いを思い出させられます(色遣いのせいでしょうね、僕は『黄色いアイリス』が特に好きなものですから)。どちらが初めに編み出したと云うわけでもなく、二人して一緒に屋外に出掛け、光と色彩の効果を研究していたからこそ身に付いたものなんでしょうね。この光の陰影を煌めく色で表現した背景があってこそ、「生身の女性」が神々しいまでのオーラを放っているのは間違いないところでしょう。

 対してジャンの映画は、主人公が川で水浴びする女性を背後から目撃してしまう、と云うシチュエーション。美しいものを愛でる気持ちは同じなのかもしれませんが、父の絵に溢れる、モデルと向き合うことで表現される甘美な親密性とは若干趣を異にするシーンのように僕には思えました。ま、1950年代という時代が時代ですから、まだまだ実写で正面切って女性のヌードをスクリーンに大写しにするわけにもいかなかったでしょうしね。ジャンのここでの苦労が偲ばれます(^^。


[映画]『ゲームの規則』
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 『ゲームの規則』の狩猟シーンは、ジャンの思い入れがたっぷり詰まった一場面。

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◆ 『狩り姿のジャン』(1910)
 ロサンゼルス・カウンティ美術館 油彩・キャンバス

 猟銃を手に、大人めいたツィーディーなハンティング・スーツやブーツに身を包んでのモデル役。等身大で描かれた凛々しい15歳の肖像は、きっとジャン自身にとっても忘れられない大切な記録。1番にお気に入りの絵だったことでしょう。

 今でこそフランス映画界の巨匠として名を挙げられるジャンですが、その作品の観客動員は芳しいものばかりとは云えず、興行成績も上がりませんでした。1枚、また1枚と、絵を売る度に父を裏切る様な自責の念にさいなまれながらも、彼は次々とルノワール作品を手放してゆきます。全ては映画制作の資金捻出のために。

 そんな状況下でもこの絵は決して手放そうとせず、生涯ジャンの手元に残されました。

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 老齢に達した巨匠のビバリーヒルズの自宅。壁の奥に、誇らしく、若者ジャンの肖像が掲げられています。
 ちなみに、ジャンと向き合って会話している女性は『フレンチ・カンカン』のヒロイン、フランソワーズ・アルヌール。正面を向いているスーツ姿の男性は、早世の名俳優ジェラール・フィリップ。『モンパルナスの灯』でモディリアーニを演じた人ですね。




 以下は映画とは離れて、僕が好きな絵を幾つか並べます。


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フレデリック・バジール / 『ピエール=オーギュスト・ルノワール』(1867)
 
 これは嬉しい不意打ちでした。まさかルノワールを観に来て、バジールの描いた若き日のルノワールの肖像を観られるとは考えてもみなかったから。去年は東京都美術館で行われたオルセー美術館展にルノワールが描いたバジールの肖像が来ていたんだよね~。

 バジールはルノワールの親友で・・・と云う話は以前にも書いているので、興味が有るようでしたらこちらをクリックして下さいませ。ルノワールの描いたバジールの画像もあります。→http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2007-04-Orsay-5



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ピエール=オーギュスト・ルノワール / 『アリーヌ・シャリゴの肖像』(1885) 
 フィラデルフィア美術館 油彩・キャンバス

 ルノワールの妻、アリーヌの肖像。この絵が描かれた1885年、彼等の間に長男ピエールが誕生するも、ルノワール(当時44歳)は初め彼女の存在を周囲にはっきりとさせていなかったそうで、実際に結婚するのは1890年になってからのこと。アリーヌはシャンパーニュ地方がブルゴーニュと接するエソワと云う小さな村の出身で、元はお針子さん。ルノワールとは1880年頃に出逢っていたといいます。

 親友モネは家族に反対されたために最初の妻、カミーユとなかなか結婚出来ませんでしたが、ルノワールの場合はちょっと事情が違って、アリーヌと深い仲になりつつも、気儘な暮らしをなかなか諦めきれなかったらしいのです。彼女の話によると、出逢った頃の若き日のルノワールは長髪をなびかせ街を闊歩し、かなり女性にモテたんですって。それだからか、簡単に云うと往生際がワルかったんですね(笑)。

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 そんな事情があってか(?)、そういやオルセーにある幼子ピエールを抱いたこの作品のタイトルも『授乳する母親』。普通なら『授乳するアリーヌ』って素直につけそうなものなのにねぇ~(苦笑)。今回はこの構図をモティーフにしたブロンズ像も展示されていました。
(※↑この絵自体は今回の展示作品ではありません。)

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◆『赤ん坊 ジャン・ルノワール』(1894) 
 個人蔵 パステル

 「ジュリー・マネの日記」(ロザリンド・ドゥ・ボランド=ロバーツ、ジェーン・ロバーツ編、橋本克己訳 : 中央公論社)を読むと、たびたびルノワール家の話が出て来ます。ジャンのことも例外ではありません。母モリゾが亡くなって独りぼっちになってしまったジュリーをルノワールは実の姪の様に面倒をみていたので、ジュリーにとってもピエールやジャンは幼い従兄弟のような感覚だったのではないでしょうか。彼女は何度も「ジャンがかわいい」と書き記しています。普段から身内の様に一緒に過ごしていたせいか、1895年12月の日記にはピエール、ジャン兄弟と一緒に水疱瘡にかかっちゃった、なんてことまで書いてあったりして(笑)。

 たしかに、このパステル画に描かれたジャンは愛らしいですね。50歳を過ぎてから授かったこの第2子の誕生を、ルノワールはとても喜んだといいます。


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モーリス・ドニ / 『ルノワールとジャンヌ・ボドー』 (1911)

 ルノワールが晩年を過ごした南仏カーニュには、様々な画家が彼を慕って訪れたそうで、モーリス・ドニ(1870-1943)もその内の1人。ドニはルノワールより30歳近く年下で、親子程も年齢が離れていながら、巨匠から「友人」として迎え入れられます。ここでドニが描いているのは、その晩年期のルノワールの姿。

 バジールの描いた、野心溢れる瞳の若い画家の姿と、ドニの描いた静かな表情で弟子のジャンヌと向き合う老画家の姿。「時間」の流れに思いを馳せながら、二人の友人が描いたルノワールを眺めるのは、僕にとってなかなか感慨深いものでした。どちらもとても大好きな画家なものですから。

 余談ですが、左に描かれた弟子のジャンヌ・ボドーはジュリー・マネの生涯にわたる親友で、父は医者、親戚にはフランス軍の将軍がいる程の良家の子女。ルノワールには1894年に弟子入りしたそうですが、それ以前よりジュリーを通じて巨匠ルノワールは彼女にとって身近な存在でした。巨匠だけでなく、ルノワール家の全ての人々からとても気に入られて、ジャンにとっては洗礼に立ち会ってくれた代親でもあります。気難しく女嫌いで知られたドガでさえもジャンヌのことは大好きで、私が若かったら今すぐマドモワゼル・ボドーと結婚するのに!と何度も口にしたほどだったとか。


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◆『ガブリエルとジャン』(1895-96)
 オランジュリー美術館 油彩・キャンバス

 フラフラし続けていたルノワールがようやく腰を落ち着けるのは、次男のジャンが生まれてからだったといいますが、それはアリーヌの従姉妹、ガブリエルがルノワール家にやって来たからかも知れません。出産の手伝いでアリーヌに呼ばれたガブリエルは、ジャンが生まれた後もルノワール家に留まり、家事の手伝いやジャンの遊び相手をすることになります。と、同時に若くて魅力的な彼女は、厳しい審美眼を持った画家ルノワールの眼鏡にも適い、彼のお気に入りのモデルにもなります。

 これって、外に出てこれ以上知らない女に誘惑されない様にし向けたアリーヌの作戦勝ちだったのかも[わーい(嬉しい顔)]


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◆ 『白い帽子の自画像』(1910)
 個人蔵 油彩・キャンバス

 初めて出会った若い頃、「君はどうして絵を描くんだい?」とモネに訊かれたルノワールは「女性の胸があるからさ!」と、茶目っ気たっぷりに答えた、なんて話を聞いたことがあります。

 死ぬまで愛すべき女性像を描き続けたルノワール。幸せそうな、なんとも穏やかな横顔ですね。




ルノワールに関連する過去記事

・「ルノワール+ルノワール~映画篇」→ http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2008-03-26
・「オルセー美術館に行く#3~印象派の画家たち」→ http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/Orsay-3


フレデリック・バジールに関連する過去記事

・「オルセー美術館展を観る(後編)」→ http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2007-04-Orsay-5


モーリス・ドニに関連する過去記事

・「Christmas time is here」→ http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2007-12-24
・「オルセー美術館展を観る(前編)」→ http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2007-04-Orsay-4




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pistacci

過去記事まで読んだら、美術論の講義を受けたような感銘を受けました~☆
とても勉強になりました。また、過去のTaeko先生とyk2先生のコメントの応酬の
見事なこと。思わず拍手!
最後の自画像、いい表情していますね。ルノワールの絵って、いつもほっこりした気分にしてくれるので好きですが、この絵が一番好きかも。
(一番目のコメントにしてはあまりにも深みがなくてごめんなさい~)

by pistacci (2008-04-27 19:24) 

yk2

pistacciさん、こんばんは。
過去記事まで読んで下さってありがとうございます。
でもね、所詮は好きなものを好きなようにしか書いてないので、「美術論」だなんて、あり得ないオハナシですね~(^^;。

taeko先生は以前はもっとアカデミックだったのですよ~。
他分野にわたりあまりに博識なので、新聞社の文化部か何かにお勤めなのではないかと半分くらい本気で思ってましたから(笑)。
#最近はどうやら、わざわざこちらのレベルまで降りて合わせてくれてるよーです。

by yk2 (2008-04-28 00:40) 

TaekoLovesParis

pistaさんにほめられちゃうと、緊張しちゃうけど。。。

「画家は構図にこだわるから、いい写真を撮る」と、きいたことがあるけれど、
一枚目の写真を見ていると、ほんと、そうだなぁって思います。

ジャンのビバリーヒルズの自宅の写真、興味深く見ました。「狩姿」が目立つ位置にあるますね。他にも絵がたくさんかかっているけれど、全部、父ルノーアルの作品なんでしょうか。そして、ジェラール・フィリップ、やっぱりハンサムですね!

「恋多き女」は、総天然色映画という言葉が使われていた時代だから、モノクロでは出せない明るい赤が自慢だったのかもしれませんね。

ドニの「ルノアールとジャンヌ・ボドー」、私はそそっかしく、左側のお弟子さんは、男の人だと思っていました。ジャンヌという名前だから女の人ですね。
ルノーアルの写真、肖像画、ここで取り上げているものは、全部横向きだけど、
正面からは少ないんでしたっけ?

ルノアールには、モネ、バジール、マネのような仲間がいたからこそ、お互いに刺激になって印象派が確立していったのでしょうね。yk2さんの過去記事でバジールのことをもう一度読みましたが、戦死とは、、惜しいですね。
バジールの家は裕福で、絵にあるあのアトリエに、絵の具代にも不自由した貧乏なルノーアルを住まわせ、カミーユとの結婚に反対され仕送りの途絶えたモネを援助し、、そういうおおらかさが絵にも表れているような気がします。




by TaekoLovesParis (2008-04-28 00:43) 

yk2

taeko先生(笑)、こんばんは。
バジールの方まで読み直して下さったみたいでありがとうございます~。

ボナールは画家としてはかなりの写真肯定派だったようで、彼の絵画同様に奥さんのマルトをモデルにしてヌードを撮影したりして、それを「ダフニスとクロエ」の挿絵の構図に応用したりと、カメラと云うツールを積極的に使いこなしていたようですね。それでも、ルノワール親子を撮影しているのはちょっと意外でしたが。ドニの仲間だから、この繋がりはそんなに不思議でもないのかな?。

壁の絵。
ルノワールはかなり他の画家の作品もコレクションしていたハズですが、ジャンは父の作品を売る度辛かった、なんて話しているくらいですから、父以外の描いた作品はもっとも早く処分していたんじゃないでしょうか。因ってこの頃の壁は残ったルノワール作品ばかりが掛けられていたのではないかと、僕は推測しますです。

>「恋多き女」は、総天然色映画

そうなんですよね、時代が時代なので。『フレンチ・カンカン』だって色遣いは同じようなものですが、カラーだと云う事自体が画期的だったのですよねぇ。


ルノワールの肖像や写真は正面を向いてるものも結構有るのでは?。
ほら、そもそも、cdmせんせのアイコンだってそうでしょ?(笑)。
by yk2 (2008-04-29 23:18) 

Inatimy

こんなふうに、息子が父の影響を受けて自分の道を歩くなら、
今の世の中に、ルノワールの孫がいたら、
もしかしたら、アニメーションや、CG、ゲームの世界で、
ルノワールの絵の面影が見られたのかなぁ・・・なんて、ふと思ってみたり。
by Inatimy (2008-05-01 06:51) 

yk2

Inatimyさん、こんばんは。

ルノワールのお孫さんはね、カーニュの自宅がルノワール美術館になっているので、たしかそこを管理しているって人が先日TVに出てましたよ。父が偉大すぎて、息子たちは誰も絵描きにならなかったし、他のお孫さんたちも、ルノワールの名を背負ってアート系の仕事をするのはとんでもなくプレッシャーがきつい(?)事なのかもしれませんねぇ。

ところで話全然関係ないんですが^^;、『サン・ジャックへの道』ってフランス映画ご存じですか?。
※ご参考→http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6992

サンティアゴ巡礼をおもしろ可笑しく描いている映画だって云うんで、先日DVDで観てみました。もちろん、Inatimyさん思い出しながら(笑)。当然、巨大お香ぶんぶん出てくるんですよ~。やっぱりデカかった!。
#映画自体も結構面白いです。

by yk2 (2008-05-02 23:02) 

Inatimy

自分自身を振り返ってみれば、確かに、父、母、それぞれの趣味の一部分を受け継いでるなぁ・・・って思うところもあるけれど、ビリヤードの玉の動きのように、両親の趣味がぶつかり合って、まったく違う方向に進んでいったかも・・・と思う部分もあったり・・・。 私も父と同じ仕事は、できなかったなぁ。

『サン・ジャックへの道』・・・なんだか、面白そう♪
探してみようかな・・・って、こっちだと、フランス語かオランダ語になちゃうな・・・。
今日、出かけた先の町の教会で、たまたま、お香ぶんぶんのこと思い出してたのでした♪
 
by Inatimy (2008-05-04 08:09) 

yk2

Inatimyさんの手先の器用さはお母様譲りだったんでしょ?。きっと趣味の良いところをいっぱい受け継いでらっしゃるのでしょう。ウチはそんなん、ぜーんぜん無いから羨ましいな~(苦笑)。

『サン・ジャックへの道』はさりげなく面白いですよ、・・・って自分の趣味だけで断言しちゃうのもなんなのですが、僕はハリウッド的な大仰なものより、普通の人たちの普通のドラマが好きなので、笑えて、ちょっとホロりとさせられて、最終的にはハッピー・エンド・・・みたいなこの作品は、型どおりのパターンではあるんだけど、楽しめちゃいました。

でも、そちらで観るのはどうしたってフランス語かオランダ語、ですよねぇ・・・(^^;。


by yk2 (2008-05-05 10:40) 

c-d-m

なるほど、yk2さんの読みも面白いなぁ。

実際の所、ルノワールの結婚が遅かったのは最初の恋の破局がトラウマになっていたと言う説があり、私的にはさもありなんと思います。
めくるめく恋多き男と言うわけでもなく(フランス男としては至極フツウの域)シュザンヌではなくアリーヌに落ち着いたところも、普通の家族が欲しかったオッサンの気持ちが何となく感じられます。
(このあたりの感覚は時代以上に日本人とは別の感覚が確固としてある訳で。)

まぁエッソワに行けばそう思わない男はいないでしょう。
腰をすえて(根を張って)生きる、その素晴らしさを感じさせる場所ですし、だからこそ最後にアリーヌと同じように永遠の眠りに着く場所にもかの地を選んだのだと私は強く感じます。
アリーヌ=エッソワ=家庭だったのだと思えます。
そしてアリーヌはルノワールのようなフランス男にとっては恋人以上に魅力溢れる理想のオカンなわけです。
息子達にとってもしかりでしょうね・・。
ルノワールの描く晩年のアリーヌの肖像画は素晴らしく若い時以上に魅力に溢れています。


by c-d-m (2008-06-14 05:08) 

yk2

cdmせんせ、こちらにもコメント頂きありがとうございます。
オカンかぁ~、やっぱりフランスオトコも結局それには一番弱いってコトなのね(笑)。

ところで、ルノワールが正式に結婚したのは随分遅かったかもしれませんが、アリーヌの方はとっくに結婚していた気だった(?)みたいですよ(笑)。

と云うのも、またまたジュリー・マネの日記からのエピソ-ドなのですが、アリーヌ22歳で一緒に出掛けたイタリア旅行のことを、彼女は「新婚旅行」だったとジュリーに話したそうなのです。でも、ルノワールはこの旅行を、如何にも独り旅だったように以前から散々ジュリーに話して聞かせていたようで、ルノワール夫妻の話の食い違いがここで露見して、聞いていてとても愉快だったそうです。こんなトコから、僕は「ルノワールは往生際が悪かった」なんて書いてしまっているワケなのですね(^^。

書いて下さったエッソワのお話はとても興味を惹かれます。いつか実際に訪れて、「アリーヌ=エッソワ=家庭」と仰るせんせのお言葉が実感出来たら嬉しいなぁ。


by yk2 (2008-06-14 12:37) 

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