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ハマヤキ故郷へ帰る~横浜諸窯篇 [ART]

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 前回は東京の窯の作品ばかりにページを割いてしまったので、ここからがようやく明治時代の横浜で生まれた陶磁器たちのお話になります。

 1858年(安政5)に締結された日米修好通商条約に基づき、翌安政6年に開港された横浜村は、東海道・神奈川宿(現在の神奈川区青木橋近辺)にあって13世紀頃より機能していた神奈川湊の、湾の対岸にあるうら寂しい半農半漁の村でした。元から在る神奈川湊をそのまま使わなかったのは、兵法を修める一方で西洋研究にも熱心だった幕末の思想家、佐久間象山ら識者から、万が一の外国との争乱に備え、江戸への利便の良い東海道に直結した湊は利用させない方が賢明との提言を受けての事でした。当初、アメリカ始め通商条約を結んだ各国は場当たり的に開かれた横浜の湊に反発し、幾つかの国は神奈川湊近辺に領事館を構えたそうですが、外国人居留地などが整備され横浜湊での経済活動が活発化するにつれ、神奈川湊は次第に衰退し、諸外国も既成事実として横浜を「港」として認めざるを得なくなってゆくのです。


横浜窯業の起こり

 こうして海外貿易最前線の体裁を整えて行った横浜には、一山当てようと商人たちが集まり始めます。もちろん、陶磁器などを扱う美術商たちも例外ではありません。

 当初、彼等は主として窯業の盛んな生産地である瀬戸や九谷などから完成品を集め、外国商館に持ち込んで商いを行っていました。しかし、取引を重ねる内に売れ筋がハッキリし始めると、次第に伝統的な純日本的作風をした陶磁器の売り上げに行き詰まりを感じるようになります。顧客である欧米諸国の好みに応じた製品を生産する事への転換が必要だと気付いたのです。

 これはパリ万博で評判を博した薩摩焼を擁する薩摩藩も同様で、新たなスタイルを持つ輸出専用陶磁器の商品開発は避けて通れない道でした。それを受けた薩摩の御用商人・梅田半之助が、任せるに最適の人物と白羽の矢を立てたのが宮川香山だったのです。

 香山は京都真葛ヶ原(現、京都府東山区)の陶工・宮川長造の第4子として1842年に生まれ、幼い頃から窯に親しんで育ちました。陶芸は父より仕込まれ、絵画は双林寺の大雅堂義亮を師として習うなど、英才教育を施され長じます。父亡き後、1860年に僅か18歳で家督を継ぐのですが、第15代将軍・徳川慶喜より朝廷に献上する煎茶器一式を依頼されるなど、若くしてその才能は世に認められ、名を成して行きます。しかし、以降諸々の事情が発生して、維新の頃には京を離れることとなり、清水焼の流れを汲むという備前・虫明窯(むしあけがま)で指導に当たっていました。

1.MAKUZU WARE 宮川香山

 そんな折りに梅田の要請を受けた香山は横浜への移住を決意し、明治4年に太田村の地に真葛窯を築きます。しかし、やはり横浜近郊には作陶に適した土が全く見つからず、相当な苦労を強いられたようで、伊豆箱根はおろか関東中、土を探し求めて歩き回ったと云います。そんな困難をどうにか乗り越えつつ、横浜での香山は驚くべき超絶技巧を用いた、彼にしか造れない陶器を生み出して行くことになるのです。当時、立体的造形をした動植物を花器などにあしらう高浮彫は決して香山の専売特許ではありませんでしたが、彼の作品の写実性、まるで彫刻の様な立体感とその精巧さは他の追随を許さず、欧米の顧客から驚きと賞賛を以て受け入れられます。また、量産不可能な1点物であることも買い手の所有欲をくすぐり、1876年(明治8)のフィラデルフィア万国博覧会を手始めに、78年パリ、79年シドニー、80年メルボルンの各万博で受賞を重ね、“MAKUZU WARE”は輸出用陶磁器の世界でも特別な名声とポジションを獲得し、同時に香山の名も単なる陶工としてのものではなく、世界的な芸術家的存在へと高まっていったのです。

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◆宮川香山 / 『高浮彫牡丹ニ眠猫覚醒蓋付水指』

 今回の展覧会へ僕が足を運んだ目的がこの作品。香山の代表作の1つでもあります。今年1月、TV番組『美の巨人たち』(TV東京系)で香山が取り上げられた折りにはこの作品も登場しましたので、ご覧になられた方も居られるやも知れませんね。

 展覧会のボランティア解説員さんが仰るところ、猫が蓋にあしらわれたこのユニークな水指は、左甚五郎作日光東照宮の眠り猫が目覚めたところをイメージしたものなんだとか。甚五郎の木彫り作品もリアルな描写でその名が知られるところ。香山は、自らの技巧も決して甚五郎に劣るものでは無いと、伝説の名工に挑戦状を送る様な心づもりでこの猫を制作したのかな?、なんて想像が頭の中を巡ります。

 はっきり云ってあまり可愛くはない(笑)表情をした猫の口元には鋭い歯が細かく再現され、耳の内側にはうっすら血管も見えるなど、香山の写実主義には「よくもまぁここまで」と、驚きを通り越して笑ってしまうしかない様な気さえさせられます。向こうが少々威嚇的にこっちを向いて「フガー!」とか鳴いてそうな面持ちに見えますので、こちらもちょっとドラ声で「に゛ゃーあ!」とやり返してみました。勿論、心の中で、ですけどネ[わーい(嬉しい顔)]

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写真左 ◆宮川香山 / 『高浮彫南天ニ鶉花瓶』
写真右 ◆宮川香山 / 『高浮彫水禽遊泳ランプ台』

 このウズラの松笠が立った様な羽の表現力、思わず指でなぞりたくなる精巧な立体感には、ただもう呆れるばかりでした(笑)。本当に剥製が貼り付けられているみたいなんですから。


 ところで香山の花瓶を手に入れた西洋人たちは、一体どんな花を生けていたのかな?。

 以前からそんなことを、ごく素朴な疑問として思い浮かべていたのですが、どうやら花器本来の実用とは違った使われ形もしていたようです。大きめの花瓶は2つで1対を成し、玄関やドアの左右に単に装飾品として置かれたり、写真右のようにブラス製の飾りを取り付けてランプ台として使われたりもしていたようです。ドーム兄弟のランプやガレのガラス作品にも金属の装飾台を使った優美な作品が幾つかありますが、当然それらの影響も有ったのでしょうね。

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◆宮川香山 / 『高浮彫四窓遊蛙獅子蓋付壺』

 こちらは獅子が蓋にあしらわれるなど、一見中国趣味的な壺なのですが、何故か唐突に鳥獣戯画や北斎漫画を思わせるユニークな姿をした蛙が登場する和中の折衷デザイン。

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 壺それぞれに4つの窓が配してあって、このように蛙が大口開けて巻物を読んだり、太鼓を叩いたりしているのです。面白いでしょ?。

 北斎漫画は先のサントリー美術館で行われていた『ガレとジャポニズム』展でもその影響が大きかったと取り上げられていましたので、香山が意匠を考える上で、ユニークなカエルたちがヨーロッパでも受けの良いモティーフだと意識して取り上げたのかな?などと、ここでも想像しましたが、逆に、香山の作品は1883年にはすでにフランスの出版物(ゴンス、『日本美術』)の中でも挿絵で紹介されていて、エミール・ガレなど当時のフランス美術界に少なからず影響を与えていた可能性も指摘されています。

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 ですから、実は『ガレとジャポニズム』展にも香山の作品が2点、展示紹介されていたのです。その1点が、香山が人生唯一同じテーマの再制作に挑んだもう1つの渡り蟹、『色絵蟹高浮彫水鉢』で、もう1つがこの『高浮彫蓮子白鷺翡翠文花瓶』(写真上 : 岐阜県現代陶芸美術館蔵、19世紀末)でした。こちらはクローム仕上げというか、一見金属的にも思える異色の作品。もしこの作品を実際に観ていたら、ガレはさぞや驚いたでしょうね。


 ガレが香山の作品と実際に出会っていたかどうかは記録に定かでありません。しかし、その可能性が高いのは1878年のパリ万国博覧会です。半年間の会期中、日本からの作品が展示されていた会場はシャン=ド=マルス宮とトロカデロの2ヶ所に在って、ガレ工房の作品も同じシャン=ド=マルスに出展されていました。両者は近距離であったことが記録されています。この時香山がどのような作品を出して、それがどちらの会場に展示されていたかは分かりませんが、元より目立つ高浮彫で、なおかつ賞を受ける程の力作ですから、ジャポニザン(=日本研究家)たるガレのこと、きっと必ず香山の作品をその目にしていた・・・ハズ?。

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◆宮川香山 / 『黄釉白梅花瓶』

 海外で大変に高い評価を得た香山の高浮彫ですが、1つの作品を完成まで仕上げるのに膨大な時間を要したため、なかなかビジネスとしては難しいものがあったようです。結局、芸術家としてではなく、真葛窯の社長として香山は作風の方向転換を迫られます。明治15年以降は高浮彫を止め、国内の販路も考慮した上で、美しく釉薬の映える磁器ベースの焼物(例、写真上)を制作する様になります。香山の作品はこの方向でも高い評価を受け、他の横浜焼の多くが完全に西洋スタイル化した新しい洋食器(ノリタケなど)に淘汰され衰退して行く中、独自の進化を遂げて行くのです。

 香山の黄釉に梅の作品は、上野の国立博物館に『黄釉銹絵梅樹文大瓶』(明治25年作)が常設展示(※但し展示替え有り)してあり、僕も1度見ていましたが、こちらの白梅の方がなんとも風雅でお気に入り。ちなみにあちらは重要文化財指定の名品です。


 ところで、結局香山は陶土問題をどうクリアしたのか、今回の展覧会や図録では残念ながら説明してくれていません。謎は謎のままで僕はとっても消化不良な気分(苦笑)。まさか、仕方なく故郷京都から横浜まで、ずっと土を運び続けたワケではないですよね?。香山について書かれた書籍は、現在一般入手出来る物は高価な専門書だけの様なので、今度、紅葉ケ丘の県立図書館にでも行って調べて来ようかな。


2.井村彦次郎商会

 井村彦次郎(?-1897)は大和国(現在の奈良県)高市郡の生まれで、元々は油商人でしたが、濃尾地方から陶器素地を横浜へ運んで絵付けを行う工場を他に先駆けて明治8年(1875)に開きました。2年後の明治10年には職工200人を抱え、工場を4つ所有するまでに成っていたと云いますから、当時としてはかなりの規模に短期間で成長していたことが分かります。彦次郎も横浜陶器売込商組合の会頭を務めるなど、常に横浜焼の先導者的立場にあった商店でした。

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◆井村彦次郎商店、山本祥雲 / 『上絵樹木遊鳥図花瓶』

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◆井村彦次郎商店 / 『青磁上絵金彩花鳥図瓢形花瓶』

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◆井村彦次郎商店、三代・加藤善治 / 『上絵金彩美人図陶板』 瀬戸市蔵


3.横浜九谷 綿野吉二

 横浜焼は陶面に絵画を入れるのがその特徴ですので、横浜九谷と呼ばれる綿野吉二の陶器たちは今回ちょっとした異彩を放っていました。デザインとしてはこちらの文様地+吉祥若しくは花鳥画風の方が遙かにトラディショナルなわけですが(笑)。

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写真左 ◆綿野吉二、巧精堂 / 『上絵金彩唐子図蓋付壺』
写真右 ◆綿野吉二 / 『上絵金彩花鳥図卵形花生』

 何とも美しい朱赤です。
 横浜九谷と云う呼称も初めて目にしましたが、元々は石川県の九谷焼の輸出拠点が当時横浜だったため、九谷焼を扱う加賀商人の支店が横浜に進出したのがその名の始まりのようです。綿野はその代表的存在で、加賀では陶業組合を組織するなど指導的立場にありました。また絹製品(加賀羽二重)の輸出にも関わり成功しています。

 この展覧会に行って初めて知ったのですが、綿野は京浜急行の前身、大師鐵道株式会社の設立者の1人でもあったそうで、京急沿線に生まれて、小学校2年で引っ越すまであの赤い電車に乗って毎日学校へ通った僕には、なんとなくですが、ついつい身近に感じてしまいます。京急の電車のカラーはもともと九谷焼のこの朱赤から来てる?・・・なワケないか(笑)。


大量生産化と衰退

 輸出黎明期には芸術的な趣味性の高い花瓶や壺が多く生産されましたが、やはりそう数が売れる物ではありません。大量生産を目論み、主力商品が西欧では日常品である食器にシフトしていったのはごくごく自然な流れだったのでしょう。また、素地さえ手に入れれば零細業者でも商売がしやすかったこともあり、明治26年頃には横浜港近辺だけで70を超す陶器商、絵付商がひしめき合っていたと云います。結果、ここでお土産品の様な低レベルな品物も多く出回る事となり、やがて横浜焼は日本人にとっては悪趣味で粗悪な輸出専用品と云ったネガティヴな印象を植え付けてしまうことにも繋がってしまうのです。

 もともと、何を信じてそう思ったのか、カップの中身が透けて見える程に薄手に焼き上げるのを技術的に良しとしていた為、その耐性は脆く、日常使いには適さない品質の物でした。かと云って観賞用の芸術品といったまでの物でもありません。エキゾチックな東洋趣味もアール・ヌーヴォー、アール・デコの登場で次第に飽きられ、横浜焼は衰退し始めます。そこに、船舶による輸出環境の変化や日本各地の港湾整備も重なり、明治15年には全国の65%有った横浜の陶器輸出量も、以降20年で20%程にまでその割合を急激に減らして行きます。そして関東大震災で壊滅的な打撃を受けて、復興出来たのは真葛、井村などほんの僅かな有力窯のみとなり、やがて横浜焼は人々から忘れ去られていったのです。


横浜焼カップ&ソーサ・コレクション

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◆井村彦次郎商店 / 『上絵金彩菊花図カップ&ソーサー』

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◆井村彦次郎商店 / 『上絵金彩向日葵図カップ&ソーサー』

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◆井村彦次郎商店 / 『黄地上絵金彩花鳥図カップ&ソーサー』

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◆綿野吉二 / 『上絵金彩蝶図ディミタスカップ&ソーサー』

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◆綿谷平兵衛 / 『上絵金彩草花図カップ&ソーサー』

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◆水上 / 『上絵金彩山水鶴図カップ&ソーサー』

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◆初代・宮川香山 / 『上絵金彩山水図カップ&ソーサー』


 会場に集められた貴重な横浜焼のカップ&ソーサーたちを見ていて思ったのですが、正直なところ、それは全てが全てデザイン的に美しい物でのみ構成されているとはお世辞にも云えません。ここには載せませんでしたが、例えば忠臣蔵のストーリーに沿った画が描かれたティー・セットや中国文人画的絵付けのカップ&ソーサーなど、現代の我々から見れば珍奇珍妙な絵柄も多く、違和感を感じる製品がたくさん展示されていました。

 しかし、図録解説にもそう云った記述がありましたが、これらを作り出していたのは、多くが明治以前の江戸の職工、絵描き達たちです。それこそ、ついこの間まで狩野流だ、円山派だ、長崎派の流れだと云う日本画(もしくは中国由来の伝統絵画)の世界で絵を学んだ人たちが絵付け職人に転じた例も多くあるようです。それまで全く西洋文化と縁の無かった彼等が、開国して西洋文化がどっと流入し、目まぐるしく生活環境が変わっていく中でチャレンジしていたのは、食器を通した世界に通用する日本発の工業デザインの第一歩と云っても差し支えの無いもの。この過程が無ければ、次のノリタケの興隆だって無かったのですから。

 今回の特別展で僕の陶磁器を見る目や気持ちは確実に変わりました。展覧会のキャッチ・コピー用に“ハマヤキ”って言葉を造っちゃったのは兎も角(苦笑)、地元の歴史を知る上でもとても有意義な展覧会だったと思います。香山もたくさん観られたしね。


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コメント 21

pace

黄釉白梅花瓶は美しいね~
あの色は出ないんですよね
陶磁器にはまると大変(笑)
土はこの辺のものではありませんが
戦後の作家でも神奈川は良い作家が沢山います
by pace (2008-06-18 12:21) 

Inatimy

猫の顔、眉毛にホクロ♪ 目じりのキレがなんともスゴイ目力です。
巻物を読むカエルさんの足は内股だし♪
『青磁上絵金彩花鳥図瓢形花瓶』は、室内の壁紙にも出来そうな感じですね。 
でも、一番気になるのが、パンフの「輸出・・・」の「輸」の左斜め下の、妖怪のような、ミイラのようなもの・・・。 何でしょう?

売れるものを模索して消費者のニーズに応えようとする姿勢、売れてるものに便乗して低レベルなものまで出てくる流れ・・・日本人の商売は、今も昔も、工夫と、小さな隙間までも狙った、よく言えば「意欲的」なものなんですね。
流行り廃りのほとんどないオランダとは、どこか違います。
と、言っても、デルフト焼きやマックム焼きは、陰りが見えた焼き物産業の建て直しを図って、日本の焼き物のデザインを取り入れたそうなので、それは、成功したみたいですが。

日常的に使うものなら、丈夫で電子レンジも使えて、食器洗い機対応がいいな♪
by Inatimy (2008-06-18 16:27) 

yk2

◆paceさん :

こんばんは。コメントありがとうございます。
白梅花瓶、良かったんですよ~。でもこの花瓶で、この白梅以上に美しく花を生けるのはかなり難しそうかな、なんて考えちゃったりもします。使う人間のセンスを鋭く問われそうで、ちょっとオソロしいかも、なんて(^^;。

黄釉は色を出すのが難しいのですね。paceさんはいろんな事にお詳しい!。僕は陶磁器はデザインや色形が好きか嫌いかだけで、技術的なことや釉薬とか土とか、本質的な事はまーるで分かりません(汗)。

◆Inatimyさん :

凛とした美人猫トラチちゃんと較べると、何とも・・・な顔でしょう?(笑)。
カエルは妙に足も長いし、本当に漫画的です。

妖怪の様な、ミイラの様なのは、まるで“ロード・オブ・ザ・リング”に出て来る化け物みたいでしょう?(笑)。これも宮川香山作の香炉で、座った鬼が2匹で左右から円形のお椀の様な香炉を支えているのですよ。一見グロですが(笑)、鬼と云っても天の邪鬼の様な悪戯っぽい子鬼のイメージなのかも。

横浜焼の粗悪品流通に関しては、買い手の外国商人の狡猾さにも問題があって、ちゃんとしたレベルの商店に見本だけを造らせて、それを持って零細業者に一段安いコストで請け負わせる、なんて事も当たり前だったみたいです。国があっさり不平等条約を結んじゃう有様だったので、貿易商にも舐められていたのかもしれませんねぇ~。

デルフトと云えばフェルメール。フェルメールと云えば『真珠の耳飾りの少女』ってコトで、主人公フリート(スカーレット・ヨハンソン)のお父さんもタイル職人でしたね・・・って、映画観ました?(笑)。
by yk2 (2008-06-18 22:53) 

TaekoLovesParis

前回に引き続き、横浜焼きの話、興味深かったです。
横浜焼きが誕生にするに至った歴史的説明、隆盛、衰退、関東大震災で壊滅という流れがよくわかりました。
横浜の港誕生の由来も、なるほど~と納得がいきました。
神奈川湊は、今は埋め立てられてしまったのですか?
yk2さん、地元だから、愛情を持って書いていらっしゃいますね。

 宮川香山の「黄釉白梅花瓶」、高浮彫と同じ人物とは思えないほど、
洗練された美しさですね~。
ネコや剥製と見紛うようなウズラの精緻さは、匠の技。
ガレ展で見た「カニのついた水指」は、照明に照らされて、ガレの作品に共通しているものを持ちながら、ガレ作品を圧倒する異様さが印象に残りました。
ガレが、万博で香山の作品を見ていたか?という考察、おもしろいですね。日本に大いなる興味を持っていたガレですから、見てますよね。

久谷の赤と京急電車の赤、当たりかもしれませんね。だって、東海道線の緑とオレンジ色は、みかん畑からの着想って聞いてます。西武線が黄色なのは、農業鉄道だったから稲穂の黄色って。





by TaekoLovesParis (2008-06-18 23:26) 

c-d-m

消え行く日本の伝統美を評価して保護したのは欧州の芸術家だった話はあまりに日本では知られなさ過ぎですね。
欧州の偉大な芸術家でさえも、日本の繊細でありつつ大胆でハッとする描写は適わないモンだと思います。
今、逆にフランスでは消え行くホンモノの日本酒の伝統と文化を守るべきではないかという考えが起こりつつあります。
日本人は自国の伝統や文化を誇りを持ったり次世代に引き継ぐ為に「守る」ことが苦手ですが逆輸入なら可能性は大きくなりますからね。
真剣に動いているのは日本国外に暮らす日本人達と言う所が何とも皮肉な話ですけど、何もしないよりマシですね。
by c-d-m (2008-06-19 02:16) 

pistacci

どの作品もとても美しいですね。
前記事の蟹の水鉢は、覚えがあります。ホンモノをくっつけた??なんておもって、あらゆる角度からためつすがめつ眺めたのでした。
あんなに精巧な作品は、焼成のときに、割れたり、ひび、なんて初歩的なことは、なかったのでしょうか。
あれだけこまかい細工をするには、どうしてもかける手間は多いだろうから、その分、ひずみも生じて、失敗も多かったのではないかなぁ、なんて。素人はこんな発想しか・・・。
by pistacci (2008-06-19 23:26) 

Inatimy

『真珠の耳飾りの少女』観ましたよ♪ 新教会の鐘楼からの眺めや、市庁舎の建物など知ってる場所もあるし、出てくる小道具はミュージアムで見たことがあるものだし、おぉ~って感じでした。 フリートの家の丸くて、びろろ~んとしたガラスは、私が大好きなガラス♪
観ていて、皆、どこかで・・・と思って調べたら、あらら、主人公フリート(スカーレット・ヨハンソン)は、「ロスト・イン・トランスレーション」でのカメラマンの妻役だった人だし、フェルメール役は、「ブリジット・ジョーンンズの日記」で見た人だし、娘のコルネーリア役は、スペイン人監督アメナバールの「The Others」でニコールキッドマンと一緒に出てた女の子・・・。 ビックリ。
昨春、デルフトにフェルメール・センターというのが出来たので、この夏、行ってみようかなぁ、と思ってます。

「かもめ食堂」も、2回も見ちゃった。 それでね・・・と書いたらとてつもなく長くなりそう・・・すみません、ハマヤキの記事なのに。 ふふ♪ でも、観てよかった、と思える映画ですね。
by Inatimy (2008-06-20 06:41) 

yk2

◆taekoねーさん :

元は宮川香山の作品だけが観たくて立ち寄った今回の展覧会でしたが、横浜焼の歴史をお勉強したせいで、地元に生まれ育っても知らなかった事を幾つか学べて、自分でも面白かったです。

神奈川湊は、位置的にはおそらく京浜急行の横浜駅の一つ手前、神奈川駅(旧東海道・神奈川宿のあったところ)周辺だったと思うのですが、お察しの通り、あの辺はみんな埋め立てがあった所です。船が着くような所は残されてませんねぇ。あ、そごうの裏からシーバスが出てるのが唯一、その名残かな?(^^;。

ねーさんはあんまり香山の高浮彫はご趣味じゃないようですが、機会が在れば、「蟹」以外も是非ご覧になってみて下さい。・・・って云っても“セレブtaeko”にはエレガントなものじゃないと、ダメなんですよね~~~(笑)。

京急が赤い理由は・・・、今度「鉄」な友人にでも尋ねてみますね。

by yk2 (2008-06-20 22:52) 

yk2

◆pistacciさん :

>どの作品もとても美しいですね

僕が写真を載せたのはこう云う姿の物たちですが、この絵柄はどうなのよ~、って物もかなりありましたです。結局なんとか「器」は作っていたものの、毎日コーヒーや紅茶を当たり前に飲む文化が全く分かっていないので、作ったカップやお皿に何かが入ったところまで想像出来なかったんだと思います。

pistaさんは、たしか“ガレとジャポニズム展”行かれてたんですよね?。渡り蟹、サントリー美術館にいたでしょう?(笑)。

焼き物って表面積で乾燥の具合が異なるので、大きな水鉢と細い蟹の足を一体の物にするには技術的にとても難しいそうです。相当数の失敗作があって、実経験したからこそ、あれ程までの究極的完成度に達しているのだろうと、専門家の方がTVで話してました。

by yk2 (2008-06-20 23:40) 

yk2

cdmせんせ :

どんな形で在れ、自国の文化芸術が海外で尊重されている、敬愛されている事を知るのは、誇らしく嬉しい気持ちになります。残念なことに、戦後の日本は伝統的な文化様式を軽んじて、ずっと欧米化することがイコール「洗練」であるかのような風潮です。僕も、子供の頃には日本の芸術や工芸は前時代の古くさい遺物の様に感じていたこともあります。しかし、モネ、ロートレック、ガレなど、19世紀の偉大なるフランス人芸術家たちに好まれ、影響を与えた日本芸術を、今は誇りに思います。たとえ逆輸入であろうとも、誇れるものが在るのだと気付く事が大切なんだと思っています。

日本酒のお話ですが、海外の醸造家たちから尊敬して貰える様なまじめな仕事をしている人のお酒を世に広めるのも、彼等の評価の逆輸入に頼った方が手っ取り早いかも知れませんねぇ。日本人は、ワイン醸造家にサイン貰ったりしてスター扱いだから・・・(^^;。

せんせのお話を読んで、ああでもない、こうでもないと色々考え、このコメントも散々描き直しているのですが、はて、ところで僕は本当の日本酒を知っているのだろうかと、次第に悩み始めてしまいました。

きっと僕が初めて飲んだ酒は間違いなく大手酒造メーカーのアル添酒だったでしょう。淡麗辛口ブームの頃、たくさん飲んだ吟醸酒の香りは、これもせんせの仰る伝統的な日本酒の物とは云えないでしょう。

考えてみても、間違いなくこれが日本の伝統的な酒だ、と云える自信も知識も無いのです。

これは、生まれた時から三増酒が当たり前で、ワケの分からない抜け道の有った等級やら本醸造だなんだと、生産効率に政治や税制がイヤらしく絡んだ話がお酒には有りすぎるからだと思うのです。発泡酒ブームも同様で、せせこましく、なんだかなぁ・・・って感じですよね。

こんな事じゃいけないと思いつつ、日本ってお酒以外にもこんな事ばかり。

そう云えば、もう20年も前でしょうか、アメリカでアメリカ人が豆腐を作り始めた頃、彼等のレシピはまるで戦前の頃のように昔ながらの本物の豆腐で、日本人が食べている豆腐は凝固剤たっぷりのインチキ豆腐なんだ、なんて話を思い出しました。 ほんと、情けない話です・・・。

by yk2 (2008-06-21 00:11) 

yk2

◆Inatimyさん :

ふふふ、ちょっと誘導的でした?(笑)。
でもInatimyさんならではの感想が聞きたかったのですよ、きっと実際のデルフトの街に絡めてお話してくれるだろうと思ったから(^^。
フェルメール・センター、行ったらblogに書いて下さいね。楽しみに期待しちゃおっと。

フェルメール役のコリン・ファース、そうなんです、「ブリジット・ジョーンンズの日記」に出てるんですよね~。でも僕はあの映画ではへなちょこC調オトコのヒュー・グラントが憎めなくて好きですが(笑)。

「かもめ食堂」は先日、友人の家でも無理矢理また見せられました(苦笑)。僕の他はみんな初めてで、大笑いするでなく、ずっとクスクス云ってるのが妙にこちらも可笑しかったです(^^。


by yk2 (2008-06-21 00:30) 

Inatimy

感想を話し出したら、とてつもなく長くなりそうです♪ 最初の野菜を切るシーンですら、キャベツの芯、ここまで切るんだ・・・とか、気になっちゃって。 土曜日は、フェルメール・センターじゃなく、ふふ、ヒエロニムス・ボス・アート・センターへ行ってきましたよ。

「かもめ食堂」はKamoさんも、ひそかに吹き出してました。 以前から、ガッチャマンも鼻歌歌ってるし、ムーミンの本も日本語、英語、スペイン語でも持ってるし、地図の指差しもよくやる方法で、何かと私と共通点があり、可笑しかったようです・・・。
by Inatimy (2008-06-24 16:36) 

yk2

冒頭の野菜を切るシーン、色彩がとても豊かで・・・と来るのかと思いきや、切り方ですか~ぁ(爆笑)。そう言えば、taekoねーさんがinatimyさんのお料理は「刻む」のが特徴だって書いてましたね。

ヒエロニムス・ボスって知らなかったので、ウィキペディアで見てみましたが、結構シュールな世界を描く画家なのですね。なかなかユニークですこと(笑)。

Kamoさんは、inatimyさんとふたり家に居れば、まったく退屈しなさそうですね。クスクス(笑)。
by yk2 (2008-06-25 21:55) 

pistacci

遅くにおじゃまします~ここまでひっぱっちゃっていいかなぁ?

コーヒーカップとしてはどうよ??の和柄って、今では目にしなくなったけど、見た覚えがあります。おばあちゃんが溜め込んでた結婚式の引き出物にも!(笑)引き出物になるくらい、普及していなかったもの、っていうことでしょうね。プリントずれたでしょ、っていうような粗悪品も。
カップから、お茶の文化史まで、幅広くなりましたねー。
そして、やはり、背後にはたくさんの失敗作があるのですね。
あれだけ精巧なものを作るには時間もかかり、、ひび割れたり、熱の伝わりの違いがでたり、するだろうなぁ、と、思っていました。
あ、六本木のガレ展は、行ってないような気がします。
(じつは、ガレのリアリズムゆえに、わざわざ見に行くほどではなくて・・・)

by pistacci (2008-06-26 21:37) 

yk2

pista@啓蒙活動中さま(笑)、再コメントありがとうございます。

コーヒー・カップとしてはどうよ??、の日本画風絵付けは、昭和には観光地のおみやげ物的な位置づけや引き出物として生き残っていたんでしょう。特に吉祥柄はお祝い事には使いやすいし。貰った方は使いづらくて困りますが・・・(苦笑)。

焼き物のお話ですが、陶土を棒状に練って蟹の足を「く」の字形に曲げ形成したとして、その足は乾燥する間に元の棒状に復元しようとするんですって。ですから、その粘土の復元力も考慮してのあの渡り蟹なので、香山が考えた理想のフォルムに焼き上げるにはさぞや大変だったことでしょうね。

ガレ展、ご覧になってなかったですか?(苦笑)。
taekoねーさんのトコ辺りでそうコメントにあったかなぁ、なんて思っていたのですが、勘違いだったみたいです(^^ゞ。
by yk2 (2008-06-28 07:40) 

pistacci

コメントのことまで覚えていてくださって感激です♪
ぅ~ん、最近、さっきのことも、おぼえてないからなぁ・・・
ありがとう、yk2さん@大河ドラマ啓蒙中

by pistacci (2008-07-06 22:19) 

yk2

pisataさん、大河ドラマは啓蒙されなくても結構見てますよ(笑)。
幕末物は基本的に好きでないのですが、ウチは母方のご先祖様が薩摩なので、まぁ縁がないとも云えないし・・・って、僕は鹿児島に行ったことさえありませんが(^^;。そろそろpistaさんの待ち望む展開ですね。

そう云えば、「利家とまつ」の時の佐々成政役は結構印象に残ってますよ。織田家物のドラマで成政が取り上げられるのって珍しいから、当然演じた役者さんのことも、ね(^^。
by yk2 (2008-07-06 23:33) 

チェチリア

長いこと横浜の住民なのにしらなかった。たまたま家に山本祥雲画の

九谷焼の盃があったのがきっかけで調べたのが素晴らしい発見に

つながりました。
by チェチリア (2010-11-09 19:18) 

yk2

◆チェチリアさま :

ご訪問下さりありがとうございます。
横浜の方に読んで頂けて嬉しく思います。今の相生町近辺には絵付け業者がいっぱいだったそうですよ。

山本祥雲画の九谷焼ですか。それは絵柄が気になりますね~。blog等お持ちでしたら是非写真で拝見させて頂きたいところです。
この記事を書いた後の話ですが、南太田の香山窯跡に記念館が開設されたり(このすぐ近所には井上良斎の窯もあるようです)、つい先日には真葛ミュージアム(http://kozan-makuzu.com/guide.html)もそごうのすぐ裏手、神奈川区ポートサイド地区にオープンしたようで、横浜焼の認知度も徐々に上がっているように思います。
お手元の杯も、この先横浜のちょっとしたお宝になるやもしれませんですね(^^。大事になさって下さい
by yk2 (2010-11-13 08:47) 

BAETA

おはようございます。あなたは私がこの花瓶を特定するのに役立ちます。
青磁瀬戸?,拍子。ご親切にありがとうございます。
by BAETA (2016-11-05 19:21)
http://www.cjoint.com/c/FKfkssc4oOK

jfbaeta14@yahoo.fr

by BAETA (2016-11-05 19:25) 

yk2

◆BAETAさま:

フランスの方でしょうか?
コメントありがとうございます。Merci!

リンク先の写真を見せて頂きましたが、私は専門家ではありませんのであの写真の花瓶がどんな焼き物なのか、よく分かりません。お役に立てなくてごめんなさい(^^ゞ。でも、あまり古いものではないように思えます。写真の花瓶の武者絵は、日本の絵付け師による伝統的なスタイルのものではありませんから。もしかすると、この花瓶の制作者は日本人ではないのかもしれません。

瀬戸につきましては、こちらのサイトをご参考になされたらいかがでしょう?。(→ http://www.setoyakishinkokyokai.jp/en/
by yk2 (2016-11-06 10:41) 

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