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秋野不矩展@神奈川県立近代美術館葉山 [ART]

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 2008年は日本画家・秋野不矩(あきの・ふく)の生誕100年にあたり、それに因んだ展覧会が現在、神奈川県立近代美術館葉山で開催されています。これは、80歳を過ぎても毎年の様にライフ・ワークであったインドへのスケッチ旅行に出掛け、2001年10月11日に逝去するその前年には齢92歳にして初のアフリカ行を敢行するなど、人生の最晩年まで現役として精力的に創作活動を行った偉大なる女流画家・不矩の70年余に亘る画業の足跡を辿る“時の旅”とも云えるものです。10月5日の日曜迄と、もう会期の残りも1週間を切ってしまっているのですが、今週末にお時間が有る様でしたら、是非とも葉山にお出掛けになってみてはいかがでしょうか。僕はどこか飄々としたこの小柄なスーパーおばあちゃんに完全にノックアウトされて帰ってきました。現代日本画ってこんなにも素敵なんだなぁ~と気付かせてくれる、素晴らしい展覧会です。

神奈川県立近代美術館・葉山
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/public/HallTop.do?hl=h

生誕100年 秋野不矩展
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/exhibitions/2008/akino_fuku/event01.html

【 注 記 】

 以下、このページで取り上げる秋野不矩女史の作品は全て著作権の存続期間内にあるものです。その為、今回は図録から直接作品を平面複写(=スキャン)する事を避け、ご覧になる方には本を開いての撮影だと判断出来る状態にある写真を掲載しています。アングルも敢えて斜めにしてあったり、ページのたわみ、湾曲もそのままにしてありますので、実際の作品とは印象が異なる可能性があることを予めご了承頂き、あくまで参考としてご覧下さります様お願い致します。




 僕が秋野不矩(1908-2001)を知ったのは、いつぞや偶々見ていたTV番組でのこと。そこでは金色したインドの大河の流れに逆らい、首だけを水上に出して渡る牛の群れを大胆に描いた代表作・『渡河』が取り上げられていました。大らかで、なんとも素敵な絵だなぁ~と感心していたら、その作者は90を越すまで現役で絵を描き続けたおばあちゃんなのだと知らされてとても吃驚!。しかし、そう聞かされてから改めて見直してみれば、一見剛胆にも思える力強い画面の中にも、なるほど、確かに女性ならではの繊細感、柔和感、そこはかとないしなやかさも垣間見えて来ます。彼女の絵の魅力は、どうやらそれらが混然となって溶け合い独特の質感を発しているようなのです。日本の女流画家にも素晴らしい絵描きさんがいるんだなぁ~と思い知らされた僕は、以来、いつかまとめて不矩の作品が観られたらいいのにと、折に触れて思って来ました。ですから、今回の展覧会は或る意味“念願”のもの。葉山は決してウチから近くて便利な場所ではないけれど、僕にとっては決して見逃せないものだったのです。


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◆『朝露』(1933 / 昭和8年) : 耕三寺博物館蔵

 秋野不矩は1908(明治41)年、静岡県磐田郡二俣町(現在の浜松市天竜区二俣町)で生を受けます。神職に就く父と茶や桑を摘む仕事をしていた母との間に生まれた第6子の末っ子で、「ふく」と名付けられました。

 戦国時代に徳川家康と武田勝頼が領有を争った遠江国・二俣城跡の城山の中腹に不矩の生家は在りました。その切り立った険しさから難攻の地としてわざわざ山城が築かれたような場所柄です。家の近所には一緒に遊べる様な同世代の子供が居る家は無く、わざわざ訪ねてくれる友達も殆ど居らず、貧しさの中で母が買い与えてくれた色鉛筆で絵を描くのが楽しみだったと云う少女時代を過ごします。
 そんな中、小学校6年生の時に出会った同郷天竜出身の図画教師・鈴木俊平によって不矩は初めて芸術とはどういうものであるかを教わります。鈴木は不矩にゴッホやゴーガンの画集を見せ、様々な話を聞かせ、4枚の自作画やスケッチを与えました。それらは「こんな子供によく惜しげもなく与えられたものだと思われるほど魂のこもった作品であった」と、目を潤ませ叙述させるほどに不矩にとっては芸術的と思えた作品であり、その絵を大切に持ち続けること(※後に焼失してしまうのですが)で彼女は自らも芸術の道へと導かれて行ったのです。


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◆『紅裳』(1938 / 昭和13年) : 京都市美術館蔵

 二俣高等女学校を卒業した後、静岡県女子師範学校に進んだ不矩は課外研究で図画科を選ぶと、師事した教官・三沢佐助からその才能を認められ、絵画への道を進むようにと奨められます。三沢は不矩の実家に両親を訪ね、娘の画才を説きますが、当時はまだ東京美術学校に入学出来るのは男子のみと云う時代。行かせてあげようにもお金の掛かる女子美術学校への進学は夢物語のような話で、貧しい山村育ちの不矩には到底叶わぬものでした。
 そのような事情で絵を学ぶ事を一旦諦めた不矩は、郷里の天竜川沿いの小学校の教師となります。しかし、今も昔も新卒新任の女せんせはやんちゃ坊主に手を焼き泣かされるが相場です(^^;。1年生の担当を任されるものの、元気の良い船頭の子らに振り回されて授業はいつも収拾が着かずに散々な苦労を味わいました。週末毎、一目散に実家に戻っては物陰で独り涙する日々だったと云います。そんな不矩の姿を見た両親も、さぞや不憫に思ったのでしょう。1年後には「不矩にはやはり絵を描くのが性に合っているから」と、絵画への道を後押ししてくれることになるのです。


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◆『砂上』(1936 / 昭和11年) : 京都市美術館蔵

 教員を辞した不矩は知人の伝手を頼りに、東京の石井林響(1884-1930)の内弟子となります。しかし、最初の2年間は内弟子としての雑事に追われ、ほとんど絵を描ける状況にありませんでした。それでも師匠宅の書画陶芸品などの美術品を間近にし、林響の絵の具の準備などを通しても「含蓄ある教え」を受けたと云いますが、結局はここを離れ京都へ向かい、1929(昭和4)年、京都画壇で日本画教育に定評のあった西山翠嶂の画塾・青甲社に学ぶ事となります。
 ここでは絵画技術の研鑽の傍ら、画塾の先輩である沢宏靱(1905-1982)と出会い24歳にして結婚。目まぐるしく生活環境が変化する中、帝展へ作品を出品し始めますが、山水や花鳥風月などが愛でられる日本の伝統美術の中心地・京都に在って、不矩の作品はなかなか認められません。彼女は自らが描きたい物と、画壇で評価される物との狭間で悩むのです。


* * *


 ここまで、図録にある岡久美子氏(浜松市秋野不矩美術館学芸員)の文章を元に、不矩の生い立ちから画家となるまでの過程をご紹介してきましたが、本展覧会でも冒頭では京都時代の純日本画風のタッチで描かれた不矩の作品を目にする事が出来ます。刷毛目が縦に入った薄い織り地の着物が季節を感じさせ、花の青さと相まって涼やかな印象を与える『朝露』はその画題もまだ伝統絵画の範疇に入れられるものでしょうが、『紅裳』はテーブルを挟んで椅子に腰掛けながらも、互いに視線を一切合わせぬ若き乙女達の群像、下の『砂上』になると後ろ姿とはいえ、女性や子供のヌードと云った西洋絵画的なテーマです。昨今の絵画を見慣れた我々にとってはなんて事の無い画題ですが、当時の日本画界(ましてや京都)に在ってはなかなかにアヴァンギャルドだったのかも知れませんね。 
 この頃、“ふく”は雅号を“不矩”とするのですが、「く」の字に当てた「矩」は直角、または“かねざし(大工が使う曲尺=かねじゃくのこと。直角に曲がった金属の物差し)を意味します。この名は、もはや画家としての自分の意志は古い画壇の決まり切った尺度の中では測れない、全て直角の四面四角のような決まり事の枠には収まらないと云う、日本画に対する不矩の自由宣言でもあったようです。

 それにしても、この当時(第2次大戦前)の作品のどれもが見事な描線で描かれていて仕上がりもモダン。不矩のデッサンの力量に感服させられます。


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◆『裸童』(1954 / 昭和29年) : 京都国立近代美術館蔵

 戦後の不矩は、さらに自由な日本画を追い求めます。この子供のヌードはテーマといい、色遣いといい、僕にはボナールに重なって見えてしまいました。何故って、先の7月にはこの同じ会場で“マティスとボナール展”も観ているものですから(^^;。

 この絵以外にも昭和20年代後半から30年代にかけては、青く暗い画面がムンクを思い起こさせる裸身群像図やフォーヴ的な色遣いの作品がみられます。さまざまな画風を実験し、模索していた時期だったのでしょうね。


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◆『糸』(1982 / 昭和57年)

 あまり目立つ作品ではありませんが、この日僕がとても気に入った作品の内の1つです。黒褐色の肌の少女が真っ白な一本の糸を巻くコントラストの見事さに惚れ惚れ。一心に糸を持つ指先を見つめる少女の穢れの無い表情がなんとも云えず愛らしい。


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◆『中庭の祈り』(1984 / 昭和59年) : 京都市美術館蔵

 不矩は1962年、54歳にして1年間インドに滞在します。それは憧れ、思い焦がれて旅立った分けでは決してなく、当時務めていた京都市立芸術大学で、日本画の教師で誰か客員としてインドの大学へ指導に行ってくれる者はないかとの話があり、即座に自分が行くと返答したのがきっかけ。4年前に沢と離婚し、子供達も手が掛からなくなり、身が軽くなっていた事もあったのでしょうが、なんとも衝動的な・・・(^^;。今から48年も前のインドの世情を思えば、言葉も通じない彼の地に女性が1人で1年も過ごすなんて余程の事ですよね。物怖じしないと云うか大胆と云うか・・・(笑)。


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◆『ブラーミンの家』(1984 / 昭和59年) : 静岡県立美術館蔵

 しかし、結果として不矩は終生対峙出来る、かけがえのないテーマをインドで得ることになるのです。描かれる画面は静謐なのですが、塗られる色に一切の迷いが無いと云ったら良いでしょうか、濃くも薄くも大胆にストレートに成っていきます。これは、インドの強い光が成せるわざなのでしょう。本来はあり得ないカラーリングなのかもしれませんが、不矩の塗る色により、現実には砂と埃に霞んでいるインドの寺院の光景が、仏教の極楽図のように思えて来るのです。
 これは、例えば伊藤若冲『鳥獣花木図屏風』http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2006-08-29-1)で描いている、様々な動物(空想のものも含め)が食物連鎖を乗り越えて共に集う極楽図を見るのと、僕にとっては全く同じ穏やかな感覚が湧いて来るものなのです。とても静かで、平和な心地がすると云ったら良いでしょうか。

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◆『ヴィシュヌプール寺院』(1992 / 平成4年) : 京都府立総合資料館蔵

 それでも、小さなPCのモニター画面からでは不矩の作品の大らかな素晴らしさは伝え切れないのだろうなぁ・・・。画面上では一見ただの平面に潰れて見えてしまっているかもしれませんが、実際にはいかにも日本画らしい技法として金箔銀箔などの金属マテリアルが貼られていたりして、作品を目の当たりにすると迫力が大違いなのです。僕は19世紀末のフランス絵画が大好きですが、不矩の作品はその本場ヨーロッパに持って行っても立派に誇れるものだと思うのです。誰か美術界の偉い方、パリで展覧会でも企画してみれば面白いのにね~。


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 不矩は童話の挿絵も幾つか描きました。中でも、この日展示されていた絵本の中で珠玉の作品は『きんいろのしか』でしょう。これは子供だけに独占させるのはあまりに惜しい絵本でした。驚く程に絵が素晴らしい絵本なのです!。
 内容はインド、パキスタン、バングラディシュなどに伝わる昔話で、『ノンちゃん雲に乗る』などで知られる童話作家、石井桃子が訳したもの。数々の名作童話で知られる福音館書店より1968年に刊行されていましたが、その後絶版。2002年に一度限定復刊されはしたのですが、今は再び絶版中とのこと。何とか手に入れたいのですが、某A↓で検索したところ現在買えるとしたらユーズドで7000円からですって[ふらふら]


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 代わりと云ってはなんですが、僕としては珍しくカード・ケースを購入して来ました。すっごく綺麗な挿絵でしょう?。これも或る意味“極楽図”なのかな。


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 図録はボリュームたっぷりですが2000円。暫くは隅から隅まで熟読して楽しめそうです。


 浜松の秋野不矩美術館http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/culture_art/akinofuku/)へもいつか行ってみたいなぁ。





秋野不矩創造の小径

秋野不矩創造の小径

  • 作者: 秋野 不矩
  • 出版社/メーカー: 青幻舎
  • 発売日: 2008/07/25
  • メディア: 大型本




きんいろのしか (日本傑作絵本シリーズ)

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  • 作者: ジャラール アーメド
  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 1968/12
  • メディア: 大型本



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mom

秋野不矩さんいいでしょ!
秋野不矩さんの大ファンなんですよ。静岡の秋野不矩さんの美術館に行きそびれて、神奈川近代美術館にくるの待っていたんです・・・が、
5日まででしたか!
うっかりしていました。5日は奈良に行くことになっています。
どうしたもんか。マムとしたことが、ものすごいショックです。へこみます。
奈良は10月5日のみご開帳の快慶作の僧形八幡神坐像を拝顔することになっていて・・・・・・取り返しがつかない・・・・・。
by mom (2008-10-01 22:22) 

Inatimy

どこかで聞いた名前だと思ったら、先日、他の方のブログで拝見したお名前。(ミカチさんが9月初くらいに、浜松の秋野不矩美術館に行かれた記事) 裸足で鑑賞するんですって。
『朝顔』は、八頭身以上ありそうですね。 スラリと伸びた背。 着物を着た後姿は好きです♪
『糸』は、壁に白で描かれた絵が、パッと見、ボビンレースに見えました。 素敵ですね♪
どれも穏やかそうな絵で、ニュースで伝えられる今のインドの状況とは結びつかなくて・・・妙な感覚です。 
by Inatimy (2008-10-01 23:19) 

バニラ

おぉ~♪ わたしもこの間行ってきましたよ! 
わたし、大好きなんです。 
晩年も大作をたくさん描いてらして、そのバイタリティにも
圧倒されてしまいました。 わたしが好きだったのは 渡河、朝の祈り、中庭の祈り、などなど 朝顔や美しい姉妹を描いた日本画も好きだけれど やっぱり色も構図も何もかも大胆なインドシリーズがいいかなぁ。
葉山別館の近くの山口蓬春記念館も回るツーリングを計画してたのだけど、記念館の方は見逃してしまって 次回となりました。
わたしもまとめようと思ったのだけど、ここのレストランがいまいちだったのでなんとなくアップする気力もダウン... 
by バニラ (2008-10-02 22:10) 

hatsu

『紅装』のハッとさせられるような色づかい、
『糸』の深ーく優しい色づかい、
心に沁み入りますね^^
そして秋野不矩さん、ステキな方ですね^^
もっと絵を見てみたくなりました。
ありがとうございます♪


by hatsu (2008-10-03 10:39) 

yk2

みなさま、ご訪問、コメントありがとうございます。
最近1日おきに、夜、自由にnetが使えない環境に居りまして、お返事や皆様のblogへお伺いするのがやや遅れ気味になっていたりして居ります。ひらにご容赦下さいませ。m(__)m

◆momさま :

おお、momさんは不矩ファンでいらしたのですね!。でも明日の最終日はまた奈良ですか・・・。この頻繁さはまるで不矩さんのインド通いに対抗しているかのようですね(笑)。

それにしても、すご~~~く好い展覧会なので、ご覧になれないのは残念ですねぇ。でもフットワークの軽いmomさんですから、浜松があるさ!、と明るく割り切れちゃうかな?。


◆inatimyさん :

タグ検索でミカチさんのblogを探して読ませて頂きました。浜松の不矩美術館のお話でしたね。ここにいつか行きたいのですが、裸足にならなきゃいけないなら、冬は確かに困りますねぇ(笑)。いや、実は僕もこの日葉山で1時間くらい裸足にならなきゃいけない事態にみまわれたんですが・・・(ぢばく)。

インドの寺院は、そうですね、僕がこの記事を書いている時残念なニュースがありましたね。直後なので、この記事に寺院の絵をUPするのをやはり少々躊躇いました。


◆バニラさん :

バニラさんはご覧になったのですね!。
不矩おばあちゃんのバイタリティたるや、凄いものですよね。でも最後の展示室で観たドキュメンタリーのビデオなんかだと、「絵に命賭けてます!」みたいな力みが全く無くて自然体。気取ってないし、偉ぶらないし、飄々としてていいなぁ~と思ってしまいました。

葉山から逗子、鎌倉にかけてはいろんな画家や文人に縁の場所があって、ゆっくり散歩出来たら楽しそうですよね。僕はこの秋、蘆花記念公園に「ほととぎす」の花を見に行ってみたいと思ってます。逗子市の市花なんですってね。

葉山館のレストラン、入りたかったけどすんごく並んでて諦めましたが、イマイチなんですかぁ?

◆hatsuさま :

女性女性したタッチじゃないんですが、やっぱりどこか穏やかで優しいんですよね、不矩さんの画風って。

展覧会は明日で終わってしまいますが、hatsuさん向けにローカル・ネタを1つ(笑)。もっと絵をご覧になりたかったら、伊勢佐木町の有隣堂の2階の美術書コーナーに「秋野不矩 創造の小径」が置いてありますので、お近くにお寄りの際、立ち読みなさってみてはいかがでしょう(^^。
by yk2 (2008-10-04 12:20) 

pistacci

いいですね~♪
浜松の美術館の建物も、とても素敵。これは、浜松まで行っちゃおうか、とおもったけれど当地からは3時間半~4時間くらいかかりそう。
一泊旅行かなぁ・・・なんて思いをめぐらしています。
by pistacci (2008-10-06 10:42) 

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