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ピカソの「白い服の女」から“お手本”を遡る(その1) [ART]

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 もう6年前になる2003年、渋谷の東急Bunkamuraで開催されたメトロポリタン美術館展で、それまでの僕が知っているのとはちょっと趣の違う1枚のピカソを観た。白い服に包まれて、腕を胸の前で組み腰掛けている女性のポートレート。茶系の絵の具で描線を付けられた美しい横顔。何を見つめているのだろうその眼差しは、やや顎を上げて静かに画面の外、左手真横へと向けられている。

 顔以外へ目を移すと、首から下の輪郭線は徐々に色を薄めてグレイへと変わってゆく。肌の色も、背景の白と同化するかの如く淡く色を失くす。しかし、ここで描かれている女性の体型は、消え入りそうにか弱いイメージの女性のそれではない。描写の繊細さに反し、やや太めにも思えるしっかりとした首から連なる広目の肩巾。どっしりと腕を組んだ男性的なポーズの印象も加味され、逞しささえ覚えるそのフォルムは、まるで白い大理石のギリシャ彫刻の様にも思える。

 この絵を描いた頃のピカソは、自らの代名詞ともなったキュビズムを一旦捨て、自分の絵画の新たなる方向性を模索していた。そこで彼が画家として立ち返ろうと目指したのは、フランス新古典主義の大家、ジャン・ドミニク・アングルだった。




 この絵のメトロポリタン展図録の解説には、ピカソとともにキュビズムを牽引した盟友ジョルジュ・ブラックが知人に宛てた1919年付けの手紙の文面が紹介されている。「ピカソは“アングル風”という新しい分野を開拓しています」と。

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◆ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル / 『グランド・オダリスク』(1814) ルーヴル美術館蔵

 アングルといえば、僕が一番に思い出すのは、他に比肩する作品を思い出せないまでに艶めかしく美しい女性の姿態を描いたこの作品。こんなにも腕や背中が長い人間は解剖学的にも在り得ない!、人体を不自然に歪曲化するものだ!!と大非難の的となった事でも知られるアングルの代表作。

 しかし、この絵からは『白い服の女』との直接的な関連性は思い浮かべられない。

 そもそも、この時代のフランスの新古典主義と云うものは18世紀末のフランス革命によって台頭した新興市民階級ブルジョワジー(主として共和主義者)たちに依って支持されたスタイルで、古代ローマやギリシャ文化を理想とする古典主義に倣って考古学的な検証を重視し、王朝文化の退廃の象徴だったバロックやロココを否定するものなんだそう。

 では、『白い服の女』に於いてのピカソは新古典主義を標榜しているのかと云えば、これもシンプルなこの絵の見た目だけでは解釈が難しいところ。ベル・エポックのギリシャ彫刻風とも思えなくもないが、どうにも無理にこじつけている様で、これが素直に新古典的な作風とは僕には考えられない。

 ピカソが“お手本”にしたアングルはいったいどんな絵だったんだろう?。
 そう思ってルーヴルの図録や関連本などでアングルの作品を幾つも当たってみたけれど、どれも今一つピンと来なかった。


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◆ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル / 『画家の肖像』(1804) シャンティイ・コンデ美術館蔵

 アングルはそもそも新古典派の指導者として知られ、ナポレオンの宮廷画家となったジャック・ルイ・ダヴィッド(ルーヴルにある有名な『皇帝ナポレオンの聖別式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠式』『ナポレオンのアルプス越え』などを描いた)の弟子であった。21歳でローマ賞を受賞し、国費でイタリアに絵画留学したアングルはボッティチェリやラファエッロなどの名作絵画から多くを学び、ルネッサンス文化に肌身で触れることで優雅なその画風を確立してゆく。

 その上で、アングルが常に一番大事にしていたものがデッサンだ。そもそも欧州には絵画の創始神話を根拠とするデッサン論があり、それに拠ればデッサンは対象の純粋さや普遍性を表出させる崇高なもので、色彩の付与はあくまで二次的な趣向のものだったとされているそうで、アングルもそうした見地に立脚していた。それ故にアングルは「デッサンこそが絵画を絵画として成立させている大部分なのだ」との言葉を残し、その重要性を説いたのだ。

 しかし、ここでピカソに立ち戻って考えてみれば、当時の彼の分析的キュビズムはその対極にあるような手法とも云える。実像である立体を全て分解して一々平面化すると云う反自然主義的な作業にほとほと疲れ、再び原点であるデッサンに回帰したと云う意味で、ブラックはこの時期のピカソを「アングル風」とでも呼んだのだろうか?。


★ ★


 ここで、この拙blogのお話は一旦ピカソから随分と離れてしまいます。あしからずお許し下さいませ。


 さて、ピカソよりほんの少し前の世代、印象派の中に、誰よりもアングルを敬愛していた画家が1人いる。グループを一括りに印象派と呼ばれる事を嫌い、自らは独立派と称したヒネクレ者(^^;、僕が大好きなエドガー・ドガがその人。

 そもそもモネの作品名『印象、日の出』をジャーナリズムが揶揄して付けられた「印象派」と云う名前をドガが嫌っていたのには理由がある。ドガがモネの典型的な印象派的画風を気に入らなかったのは、モネが対象のフォルムよりも光の効果や色彩の配置に重きを置いて描く画家だったからだ。モネやルノワールは、この点を重視する範囲でウジューヌ・ドラクロワの影響を大きく受けていた。共に屋外でイーゼルを並べたセザンヌも同様だ。

 対するドガは描画対象の持つ形、輪郭線を尊重し、それをデッサンで知的に、そして精密に写し取った。彼にデッサンの重要性を説いたのは、他ならぬアングルなのだ。若き日のドガは1855年、家族ぐるみで付き合いのあったヴァルパンソン家を通じ、直接にこの新古典主義派の巨匠の元を訪れ、助言を得ている。

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◆エドガー・ドガ / 『画家の肖像(木炭ばさみを持つドガ)』(1855) オルセー美術館蔵

 「線を引きなさい」。
 その言に従い、当時のドガは来る日も来る日も小さな帳面にデッサンを描き続けたと云う。そうした傾倒の成果がこの自画像。ドガはアングルに会った同じ年、彼の自画像の様式をそのまま引用(右手に注目)して自らの肖像を描いたのだ。

 但し、これ程までにアングルに入れあげていたドガではあったが、そのライバルであるドラクロワの色彩感覚を排除するものではなく、むしろ両巨匠の美点を融合し自らの画風に積極的に取り込もうとしていた。描線は別問題として、まるで夢の別世界の様な優美な官能を描くアングルより、時に暗く不穏な空気さえ覚えるドラクロワのドラマティックな現実性の方が、よりドガの作風と通づる部分も少なくない。ドガはドラクロワがアングルと対立していたから気に入らないのではなく、あくまで他のドラクロワを賞賛する印象派の画家たちが色と光の効果のみに腐心し、輪郭線を疎かにしていたことを忌み嫌っていたのである。

アングルVSドラクロワ
 ここで少々補足しておくと、ロマン主義派の筆頭ドラクロワと、ドガが敬愛していた新古典主義派率いるアングルは相容れぬライバル関係にあり、当時の画壇はおろか、民衆の支持も大きく割れて真っ二つだった。ロマン派は1814年のナポレオン失脚に因るブルボン朝の王政復古期(~1830の七月革命)に生まれた潮流で、フランス中世の民族的伝統に基づいている。要は新興世代が支持したのは新古典派、王朝旧主派が支持したのがロマン派と、それぞれを推す人々の間にもやはり相容れぬ政治的対立軸があったのだ。


★ ★ ★


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◆ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル / 『ヴァルパンソンの浴女』 (1808) ルーヴル美術館蔵

 ここで再びアングルの作品を観て頂こう。
 背中を向けたこの浴女の姿をアングルは理想的なポーズとして幾度も繰り返し描いた。数年前に横浜美術館にもやって来た、かの有名な『トルコ風呂』の中でも、リュートの様な弦楽器を持たせたポーズで描き込んでいる。
 
 この絵はアングルがローマ留学中の28歳の時に描かれ、そもそものタイトルは『座る女』と題されていた。この絵を所有していたのが、ドガをアングルに引き合わせたヴァルパンソン家であったことから、いつの間にか『ヴァルパンソンの浴女』と呼ばれる様になったもの。ドガはこの神々しいまでに美しく静謐に描かれた女性の背中を、心ゆくまで眺める機会を幾度と無く繰り返し持てたと云うわけ。


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◆エドガー・ドガ / 『浴盤』 (1886) オルセー美術館蔵

 そうした経験があって、ドガは「水浴したり体を洗ったり、拭いたり、こすったり、髪を梳いたり整えたりする裸婦のシリーズ」を発表する。この頃のドガは、印象派グループ内での論争が元で第七回印象派展から排斥されていたのだが、これらのドガ作品を観たルノワールは自らも印象主義を捨てる事を決断する。そうして、明確な輪郭線を有する古典回帰的な作風へと転換してゆくのだ。

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◆メアリー・カサット / 『沐浴する女性』 (1890) マサチューセッツ・ウースター美術館蔵

 一連の入浴する裸婦シリーズに強い影響を受けたのが、もっともドガの身近に位置していたメアリー・カサットだ。日本の浮世絵と版画に強く感銘を受けていたカサットは、独自に研究した方法を用い、まるで本当に日本人が刷ったかの様な風合いの多色刷り版画10枚組を発表した。

 そもそも化粧台に向かう裸婦の連作版画の構想は、ドガがカサットに語って聞かせたものだった。普段から傍にいて、時に女性を蔑視するような辛辣な言葉を吐くドガによって叩きのめされることもしばしばだったと語るカサットは、それを制作のバネとすることが幾度もあった。この時も、どうやらそんなドガにカチンと来たらしい(笑)。彼の話した構想そのまま、まんまとカサットが先に作品にしてしまったと云うわけ。

 素晴らしく簡潔な線で見事丸みを帯びて描かれた女性の背中を見て、ドガは「これを本当に君が描いたのかい?」と最大級の賛辞を与える反面、「女にこんな背中が描けるなんて!」と心底悔しがってもいたと云う(笑)。尊敬するドガにそう云わせたカサットにしてみればしてやったり!。さぞや痛快な気分だったことだろう。

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◆トゥールーズ・ロートレック / 『赤毛の女(身づくろい)』 (1889) オルセー美術館蔵

 そしてもう1人。ずっとドガに憧れ、彼に認められたかったロートレックが描いた青い背中をした赤毛の女。明らかに、ドガに対するオマージュを表したテーマ。昨年の2月、六本木はサントリー美術館で観たロートレック展でも展示されていたこの絵は、僕が一番に好きなロートレック作品でもある。


 ここまで、背中から描かれた四枚のヌードを並べてみたけれど、これらの絵に共通するのは男性的視点からの美人画、所謂ピンナップ的裸婦像ではないと云うこと。当時のヌードは、そのテーマが神話だろうと古典文学だろうと、所詮殆どは女性の裸を描く口実に過ぎなかった。しかし、この四枚はその様な男性的好奇の目を一切受け付けず、あくまでデッサンによるフォルムの美しさ、巧みさで観る者を確実に魅了している。


 さて、ここで話を再びピカソに戻そう。
 まだ10代だったピカソが初めてパリへ出て、彼を瞬く間に虜にしたのがロートレックだったのは有名な話だ。やがて親友の自殺を契機にピカソは“青の時代”を迎えるわけだが、そこにはロートレックから影響を受けているのが明らかに見て取れる。例えば『青い部屋』というタイトルで描かれたピカソの部屋の壁には、ロートレックの描いたイギリスの踊り子、メイ・ミルトンのパリ公演ポスターが貼られている様子が描かれているのだ。

 そのロートレックを介して、ピカソがドガから受けていた影響も決して小さいものではなかったろう。実際、ピカソはドガの娼館を描いた一連の作品を、シリーズでまとめてコレクションしていたくらいなのだから。更に、そのドガの先には『白い服の女』の頃に目指したアングルの存在もある。

 そうして、ピカソ自身も偉大なるその先達に倣い、こんなふうに女の背中を描いているのだ。

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◆パブロ・ピカソ / 『ブルー・ヌード』 (1902) パリ国立ピカソ美術館蔵




 ここ迄で話もだいぶ長くなってしまったので、以下は次回に続けます。ホントに続くの~?とお疑いの向きも有りでしょうが(苦笑)、載せる絵はもう既に用意してあるので、今回くらいははちゃんにと続くでしょう。・・・多分ね[爆弾](^^ゞ。

[るんるん]【 続きのリンクはこちらから→ http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-01-08

[るんるん]


過去のピカソ関連記事
・「ピカソとモディリアーニの時代」 / リール近代美術館展を観る → http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2006-10-24


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TaekoLovesParis

アングルといえば、yk2さんが以前ルーヴルにいらした時の写真に「アングル展」の広告板が写っていて、それがグランド・オダリスクでした。それを見て、行きたかったな~と思いました。

美術関係の人の集まりでよく話題に出るのが、「ピカソの比類ないデッサン力」。デッサン力は優れた画家の必要条件。抽象画の人で、何十年と生き残れるのは、デッサン力の優れた人なんだそう。デッサン力が優れていれば、方向転換ができるからって。

それにしても、背中4題の写真とは、おもしろい試みですね。
背中は、単調なだけに技量を問われるでしょうね。
「ヴァルパンソンの浴女」と、「赤毛の女」は、この間、見たばかり。
特にヴァルパンソンは大きい絵なので、「トルコ風呂」より存在感がありました。たしかに、、美しい背中には惹かれます。
by TaekoLovesParis (2009-01-09 00:15) 

yk2

taekoさま :

ガラスのピラミッドの前で撮った写真、よく覚えておいででしたね~。
そう、僕が行った時に丁度大アングル展だったんでした。
でもあの日の僕には、たった2時間半くらいの間に青いカバに会って(^^;、なおかつフェルメールを必ず観ると云う重要なミッションが有りましたので、特別展を観るだなんて、ほんの少しも考えられませんでした。ルーヴルは広すぎる・・・(泣)。

ピカソのデッサン力については、いつぞや洋一さんも同じような事を仰ってましたね。ま、元より描写力の無い人がピカソみたいな真似をしても、結局は絵に説得力が無いってことなんでしょう。

背中の絵は、本当は5枚用意したかったのですが、肝心のピカソの背中の載った画集を僕は持っていないので、取り敢えず4枚だけ掲載したのですが、やっぱりどうにも話のオチが付かないので、ポスター屋さんのサイトではありますがリンクを記しました。ねーさんは元よりご存じの絵かも知れませんね。

で、次のその2は「髪を梳く」がテーマとなる予定ですので、いよいよねーさんの“ピカソとお手本展”のお話にリンクさせて頂きますね。

by yk2 (2009-01-09 21:07) 

Inatimy

ピカソって、いろんな画風で楽しめますね。 福袋みたい。
昔、友達に頼まれ、白い服で絵のモデルをしたことがありますが、白い服は影が難しいのよねぇ・・・と言ったた覚えが。 そのとき、お互い、目が合うのが妙に可笑しくって、写真の絵のように、視線は画面の外へ・・・。 ピカソほどの画家なら、視線なんてまったく気にならないのかしら。
ホントに続きあるのかなぁ・・・と思ったら、すぐそのことに触れてあったので笑っちゃいました♪

by Inatimy (2009-01-11 23:23) 

hatsu

描かれている背中それぞれから、
意志や企みが伝わってくるようです^^
とっても楽しいですねー。
どれも素敵だけど、
『赤毛の女』に、惹かれます☆
by hatsu (2009-01-13 15:24) 

yk2

◆Inatimyさん :

白い服に包まれたチューリップひめを想像中(^^。
ふふふ、それにしてもInatimyさんは面白いなぁ、ピカソは福袋みたいだなんて(^^。

ピカソはね、あれで結構モテたから、モデルは結構口説いちゃってたみたい。視線はピカソの方から敢えて外さなかったかもよ~(笑)。

ホントに続きがあるのかなぁ・・・とInatimyさんにここで云われちゃったから、頑張って書きましたよーだ(笑)。


◆hatsuさま :

ここに取り上げている画家達は、誰かに見られている事を意識していないような有りの儘の女性ばかりを描いているので、いやらしい感じがしないでしょ?。ただ、ドガやカサットが描いた女性にはあまりドラマも感じないのだけれど、ロートレックの赤毛の女にだけ、ちょっとメランコリックな淋しさを感じるのですよねぇ。同じ背中にも、語る背中と語っていない背中があって、それが絵のみでこうして見事に表現されているのがとても面白いですよね。



by yk2 (2009-01-16 01:43) 

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