立てば芍薬? [散歩道の景色]
09年05月10日(日曜)
4月中旬、いつもカメラを持って散歩に来る近所の公園には、大きくて立派な牡丹の花が満開で、純白、ピンク、紅色と咲き揃い、それはそれは見事なものだったのですが、5月も初旬が終わろうとしている今はご覧のとおり、その名残も留めず、緑の葉だけがそよそよと風に吹かれています。あの華やかな咲きっぷりがまだ瞼に焼き付いているだけに、この光景は寂しいなぁ~。僅か3週間程での余りの変わり様に、“花の命は短くて”を実感させられます。儚いものですねぇ・・・。
◆参照過去記事
・『続ハルノハナガサイタヨ』 : http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-04-29
★
そんな「もののあはれ」を、牡丹を愛した俳人・与謝蕪村になったつもりで、一句詠んでみました。
- 牡丹散りて 葉のみがそよぐ 初夏の径(みち)
えへへ、お粗末さまでございます。見たまんま、ですね(^^ゞ。
察しの良い方なら、僕が何をお手本(盗用?^^;)にしているかお判りでしょう。これは蕪村の「牡丹散(ちり)て 打かさなりぬ 二三片」が元々の句。目の前で、あの美しい大きな花弁がポロリ、ポロリと落ちて行く無常感、今もこうして過ぎて行く時の儚さを詠んだもの。ですが、今の僕の目の前には、牡丹の花の「ぼ」の字も見当たらないくらいに、花の咲いていた痕跡は何もありません。
木の根元を見ても、落ちて朽ちた花びらさえ見当たらない・・・。
いつだかTVのニュース番組か何かで見た記憶が有るのです。牡丹園では花が盛りを過ぎて花弁も大分落ちてしまうと、そのまま自然に朽ちるに任せず、人の手によって花の首元から次々鋏でバチン、バチンと切り落とされてしまっていたのを。どうやら株を弱らせない為にそう手入れをするのだそうで、ここの公園でもおそらくそうしたのでしょうね。
しかし、何か1つが終わればまた別の何か咲き始める。花の季節は巡るのです。この小径を進んだ先に咲いていたのは・・・。
あれえ~、こっちにはまた牡丹?と思わず口にしてしまいそうにそっくりな花が。
ほんの少しだけ、牡丹と較べると一回り花が小さい様な気もしますが、色も形も、咲いてる様さえとてもよく似た花。
花に詳しい方なら、この写真でハッキリと区別されるのかな?。
そう。この花の正体は芍薬(シャクヤク)ですね。
★ ★
牡丹(写真上)と芍薬(写真下)の違い、こうして見比べて判りますか?。
花だけ見せられたとしたら、僕にはサッパリ・・・(苦笑)。
だって、これだけ花びらがいっぱい付いていると、どっちが何枚だなんて調べる気にもなれないですよね。そもそも公園の花を摘んで取ってみるワケにもいかないし(^^;。単純に葉の形状が違う、ってコトでしか区別出来ません。牡丹の葉が三又の槍の先の様であるのに対し、芍薬の葉はバジルのような形状をしています。
両者はよく似ているのも当たり前。芍薬は牡丹と同じ仲間でボタン科ボタン属の植物。Wikipediaでの芍薬のページを見てみると、原産地の中国では牡丹が“花の王”と呼ばれているのに対して、芍薬は“花の宰相”と云われてるんだそうな。
両者の決定的な違いは、牡丹が木であるのに対し、芍薬は草。だから冬には芍薬は、地上から上は枯れて無くなってしまうんですって。
面白いのは、牡丹は芍薬を台木にして栽培されている、ってお話。元来種からしか栽培出来ず、花を咲かせるのには永く時間が必要で、牡丹はとても手の掛かった花だったそうですが、戦後、芍薬に継ぐ栽培法が確立されてから花を咲かせるのが容易になったとの事。
それでも手入れはなかなか大変なようで、春になると、接ぎ木された方の芍薬だってそう簡単に乗っ取られては困る!と芽を伸ばすので、これはすぐに摘み取ってやらないといけなくて、そのまま放っておくと接ぎ木された牡丹は枯れて、元の芍薬に戻っちゃうんですって。それだから、「ウチの庭には毎年牡丹が咲きます」と云うお宅に花を拝見しに伺うと、咲いていたのは実は芍薬だった、なんてコトもあるそうな(^^;。そりゃ、ややこしいですよねぇ。
それでも蕾の時なら、両者は全く別の形状。
牡丹はまるで桃まんじゅうの様でしたが、白い芍薬の蕾は敢えて何かに例えるなら赤タマネギか、そんなの実在しないと思うけど、芽キャベツならぬ芽トレビス?(笑)。
こちらはピンクの芍薬の蕾。ちょっと先がとんがり気味だった牡丹の桃まんじゅう(写真右)とは違って、こちらはまん丸ですね。これなら僕にも区別出来ますよ(^^。
※先ほど、この頁上から5番目の写真で判断がつくかも、と書いたのも蕾が写っているからです。
◆酒井抱一/ 『四季花鳥図屏風』 (文化13=1816年) 陽明文庫蔵
※写真は六曲一双屏風の一部分です
いつもどおり(^^ゞに酒井抱一の絵でも探しておきましたよ、芍薬の図も。ちゃんと蕾もまん丸く描かれてますね。
因みに抱一の描いた牡丹もここに載せてみますので、ご比較あれ。
◆酒井抱一/ 『一二ヶ月花鳥図、四月の幅』 (文政6=1823年) 御物
※写真は掛け軸一二幅の内、四月の幅の一部分です
ところで、美人を表す言葉に「立てば芍薬、座れば牡丹」って有りますよね。僕はてっきりこれがおおよそ全てに当てはまって、芍薬と牡丹を見分ける際の目安になっているのかと思っていたのですが、どうやらそうでもないみたい。
すっと、真っ直ぐに立つ芍薬の花も在れば
牡丹同様、大きな花の重みでお辞儀をするかの様に正面を向いている芍薬の花も在ります。この状態を座ってるって云うのかな?。そもそも、花が座ってるってのがよく分かってなかったりして・・・(苦笑)。
★ ★ ★
最後に、牡丹1点と芍薬2点の絵をご紹介しておきましょう。
◆小倉遊亀 / 『咲き定まる』 (1974) 山種美術館蔵
◆山口蓬春 / 『芍薬』 (1957) 山種美術館蔵
芍薬や牡丹はその美しさから格好の画題。いつも琳派ばかりなので、たまには趣向を変えて、今回は神奈川県に縁の深い近代日本画家二人の作品を(※遊亀は鎌倉、蓬春は葉山に住まっていました)。因みに、この2枚は九段下の山種美術館に「桜さくらサクラ2009展」(http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-05-10)を観に出掛けた折に買って来たポスト・カードです。但し、当日は展示されていませんでしたけどね(^^;。
お次↓は上野の西洋美術館の常設展から。
◆クロード・モネ / 『しゃくやくの花園』 (1887) 国立西洋美術館蔵
制作が87年ですから、当時のモネは37歳。まだ若かったけど、実は彼の目には既に白内障の影響(参照 → http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2007-05-13)が出ていたそうで、ここでの表現もかなり抽象的に描かれています。タイトルや注釈が無ければ、何を描いているのか判断するのも難しい。バラだと云われれば、そうかなぁと思えてしまいそう。(単にこれが習作だった可能性も否定出来なさそうな絵ではありますけどね)。
ところで芍薬は元々ヨーロッパ原種もあったそうですが、19世紀になって日本産の園芸種がもたらされて以降、盛んに品種改良が行われて、モネの国・フランスでもちょっとしたブームになったんですって。その頃、彼の地は正にジャポニスムス全盛期。スイレン同様、モネは芍薬の姿にも“日本”を感じてこの絵を描いたのかなぁ。
4月中旬、いつもカメラを持って散歩に来る近所の公園には、大きくて立派な牡丹の花が満開で、純白、ピンク、紅色と咲き揃い、それはそれは見事なものだったのですが、5月も初旬が終わろうとしている今はご覧のとおり、その名残も留めず、緑の葉だけがそよそよと風に吹かれています。あの華やかな咲きっぷりがまだ瞼に焼き付いているだけに、この光景は寂しいなぁ~。僅か3週間程での余りの変わり様に、“花の命は短くて”を実感させられます。儚いものですねぇ・・・。
◆参照過去記事
・『続ハルノハナガサイタヨ』 : http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-04-29
そんな「もののあはれ」を、牡丹を愛した俳人・与謝蕪村になったつもりで、一句詠んでみました。
- 牡丹散りて 葉のみがそよぐ 初夏の径(みち)
えへへ、お粗末さまでございます。見たまんま、ですね(^^ゞ。
察しの良い方なら、僕が何をお手本(盗用?^^;)にしているかお判りでしょう。これは蕪村の「牡丹散(ちり)て 打かさなりぬ 二三片」が元々の句。目の前で、あの美しい大きな花弁がポロリ、ポロリと落ちて行く無常感、今もこうして過ぎて行く時の儚さを詠んだもの。ですが、今の僕の目の前には、牡丹の花の「ぼ」の字も見当たらないくらいに、花の咲いていた痕跡は何もありません。
木の根元を見ても、落ちて朽ちた花びらさえ見当たらない・・・。
いつだかTVのニュース番組か何かで見た記憶が有るのです。牡丹園では花が盛りを過ぎて花弁も大分落ちてしまうと、そのまま自然に朽ちるに任せず、人の手によって花の首元から次々鋏でバチン、バチンと切り落とされてしまっていたのを。どうやら株を弱らせない為にそう手入れをするのだそうで、ここの公園でもおそらくそうしたのでしょうね。
しかし、何か1つが終わればまた別の何か咲き始める。花の季節は巡るのです。この小径を進んだ先に咲いていたのは・・・。
あれえ~、こっちにはまた牡丹?と思わず口にしてしまいそうにそっくりな花が。
ほんの少しだけ、牡丹と較べると一回り花が小さい様な気もしますが、色も形も、咲いてる様さえとてもよく似た花。
花に詳しい方なら、この写真でハッキリと区別されるのかな?。
そう。この花の正体は芍薬(シャクヤク)ですね。
牡丹(写真上)と芍薬(写真下)の違い、こうして見比べて判りますか?。
花だけ見せられたとしたら、僕にはサッパリ・・・(苦笑)。
だって、これだけ花びらがいっぱい付いていると、どっちが何枚だなんて調べる気にもなれないですよね。そもそも公園の花を摘んで取ってみるワケにもいかないし(^^;。単純に葉の形状が違う、ってコトでしか区別出来ません。牡丹の葉が三又の槍の先の様であるのに対し、芍薬の葉はバジルのような形状をしています。
両者はよく似ているのも当たり前。芍薬は牡丹と同じ仲間でボタン科ボタン属の植物。Wikipediaでの芍薬のページを見てみると、原産地の中国では牡丹が“花の王”と呼ばれているのに対して、芍薬は“花の宰相”と云われてるんだそうな。
両者の決定的な違いは、牡丹が木であるのに対し、芍薬は草。だから冬には芍薬は、地上から上は枯れて無くなってしまうんですって。
面白いのは、牡丹は芍薬を台木にして栽培されている、ってお話。元来種からしか栽培出来ず、花を咲かせるのには永く時間が必要で、牡丹はとても手の掛かった花だったそうですが、戦後、芍薬に継ぐ栽培法が確立されてから花を咲かせるのが容易になったとの事。
それでも手入れはなかなか大変なようで、春になると、接ぎ木された方の芍薬だってそう簡単に乗っ取られては困る!と芽を伸ばすので、これはすぐに摘み取ってやらないといけなくて、そのまま放っておくと接ぎ木された牡丹は枯れて、元の芍薬に戻っちゃうんですって。それだから、「ウチの庭には毎年牡丹が咲きます」と云うお宅に花を拝見しに伺うと、咲いていたのは実は芍薬だった、なんてコトもあるそうな(^^;。そりゃ、ややこしいですよねぇ。
それでも蕾の時なら、両者は全く別の形状。
牡丹はまるで桃まんじゅうの様でしたが、白い芍薬の蕾は敢えて何かに例えるなら赤タマネギか、そんなの実在しないと思うけど、芽キャベツならぬ芽トレビス?(笑)。
こちらはピンクの芍薬の蕾。ちょっと先がとんがり気味だった牡丹の桃まんじゅう(写真右)とは違って、こちらはまん丸ですね。これなら僕にも区別出来ますよ(^^。
※先ほど、この頁上から5番目の写真で判断がつくかも、と書いたのも蕾が写っているからです。
◆酒井抱一/ 『四季花鳥図屏風』 (文化13=1816年) 陽明文庫蔵
※写真は六曲一双屏風の一部分です
いつもどおり(^^ゞに酒井抱一の絵でも探しておきましたよ、芍薬の図も。ちゃんと蕾もまん丸く描かれてますね。
因みに抱一の描いた牡丹もここに載せてみますので、ご比較あれ。
◆酒井抱一/ 『一二ヶ月花鳥図、四月の幅』 (文政6=1823年) 御物
※写真は掛け軸一二幅の内、四月の幅の一部分です
ところで、美人を表す言葉に「立てば芍薬、座れば牡丹」って有りますよね。僕はてっきりこれがおおよそ全てに当てはまって、芍薬と牡丹を見分ける際の目安になっているのかと思っていたのですが、どうやらそうでもないみたい。
すっと、真っ直ぐに立つ芍薬の花も在れば
牡丹同様、大きな花の重みでお辞儀をするかの様に正面を向いている芍薬の花も在ります。この状態を座ってるって云うのかな?。そもそも、花が座ってるってのがよく分かってなかったりして・・・(苦笑)。
最後に、牡丹1点と芍薬2点の絵をご紹介しておきましょう。
◆小倉遊亀 / 『咲き定まる』 (1974) 山種美術館蔵
◆山口蓬春 / 『芍薬』 (1957) 山種美術館蔵
芍薬や牡丹はその美しさから格好の画題。いつも琳派ばかりなので、たまには趣向を変えて、今回は神奈川県に縁の深い近代日本画家二人の作品を(※遊亀は鎌倉、蓬春は葉山に住まっていました)。因みに、この2枚は九段下の山種美術館に「桜さくらサクラ2009展」(http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-05-10)を観に出掛けた折に買って来たポスト・カードです。但し、当日は展示されていませんでしたけどね(^^;。
お次↓は上野の西洋美術館の常設展から。
◆クロード・モネ / 『しゃくやくの花園』 (1887) 国立西洋美術館蔵
制作が87年ですから、当時のモネは37歳。まだ若かったけど、実は彼の目には既に白内障の影響(参照 → http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2007-05-13)が出ていたそうで、ここでの表現もかなり抽象的に描かれています。タイトルや注釈が無ければ、何を描いているのか判断するのも難しい。バラだと云われれば、そうかなぁと思えてしまいそう。(単にこれが習作だった可能性も否定出来なさそうな絵ではありますけどね)。
ところで芍薬は元々ヨーロッパ原種もあったそうですが、19世紀になって日本産の園芸種がもたらされて以降、盛んに品種改良が行われて、モネの国・フランスでもちょっとしたブームになったんですって。その頃、彼の地は正にジャポニスムス全盛期。スイレン同様、モネは芍薬の姿にも“日本”を感じてこの絵を描いたのかなぁ。
★おまけは5月の花のスライドショーを
→ 5月の草花のスライドショーはこちらをクリック