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オルセー美術館のアール・ヌーヴォー [ART]

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 今回の記事は、数年前にパリのオルセー美術館を訪れた際に写真に収めて来たアール・ヌーヴォーの品々のお話です。でも、これは完全に自分の“お勉強用”としてまとめた積もりですから、殆ど学生のノートの様なもので、かつ、かなりの分量もあります(^^ゞ。そんな物でも構わないと仰って頂けるなら、以下、どうぞお付き合い下さいませ。


 9月12日から、東京の世田谷美術館で開催されている『オルセー美術館展~パリのアールヌーヴォー』を観に行くのを、とても楽しみにしています。でも、僕には出掛けるその前に1つ、どうしても済ませておきたいことがあるのです。実は、僕のブログの下書き記事の中には、06年に現地を訪れた直後に手を着けた「オルセー美術館のアール・ヌーヴォー」と云うタイトル(要はこの記事のコトです)が、3年間も仕上げられないままで残っちゃってるのです(苦笑)。これをスッキリ書き上げてからでないと、どうにも気持が悪くって(^^;。

ルネ・ラリック / 『罌粟のピン』 (1897年) 写真左
ルネ・ラリック / 『チョーカー』 (1898-1900年) 写真右




 只でさえ更新のノロマ(^^ゞな僕のブログには、きちんと最後まで書き上げずにほったらかしになっている下書きがこれの他にも幾つも有ります。でも、さすがに3年越しは最長記録(^^;。そのワケは、とても興味があったから写真を撮って来たのだけれど、全く詳しくないテーマだったので、物の本などを読み、いろいろと調べてからブログの記事にしたかったのです。だって、ただ行って来ました、見てきました、ってだけで、まるで中身の無いハナシなんて、自分でも書いていてツマラナイでしょ?。多少なりとも、記事にすることで、思い出+自分自身がちゃんとに知識を蓄えられるようなものにしたかったのですね。


 そう考えたのは、オルセー中のとある一室を訪れて感じた事が端緒でした。
 
 それまでも、ほんの微かには僕の頭の中にも知識としてあった、ジャポニスムとフランス美術との関係。でも、日本の何が19世紀のフランス人たちを魅了したのか、当時の僕にはちゃんとした知識は有りませんでした。ただ単に、印象派画家やロートレック、ゴッホが浮世絵に魅せられていたと云う程度の断片的な話を耳にした事があった程度で、それがどう云う経緯を以て装飾美術の分野やアール・ヌーヴォーにまで及んだのかだなんて、全く何も知らないんだよなぁと、ここで実感させられたのです。

 だって、きっとこの部屋に展示されている品々を日本人が観たら、誰だってきっと思うはず。この、奇妙な「ジャポニスム」ってものは、一体どこの国のもの(様式)なの?って。

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エドゥアール・リエーブル / 『二段重ね式家具』 (1877年頃) ※写真手前より右
◆作者確認出来ず ※写真中央のテーブル
ヴーヴ・フェルディナン・デュヴィナージュ / 『キャビネット』 (1878年頃) ※写真左

 一体、日本の何を見たら、こんな家具が出来上がってしまったんだろう・・・。ひょっとして、それとは知らずに仏壇を参考にしてしまったのかな?。例えば、この写真の左奥にある『二段重ね式家具』を見てそう思ってしまったのは、きっと僕だけじゃないと思うのです。

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 この蓮が飾り付けられたブロンズの花瓶も、陶製とおぼしき着物姿の日本人女性の人形(瓶口の中に釣り糸を垂れている)が取り付けられているんですから、おそらくは、多分にジャポニスムを意識して制作された品なんでしょう。でもやっぱり僕らから見れば怪しげなニッポン。なんとも不思議で無国籍なムードが漂っています。そもそも、花瓶にこんな人形が乗っていること自体不思議ですよね。それともこの時期日本から輸出されたもので、この作品の参考になった様な何物かが存在したのかなぁ?。

 しかし、単にジャポニスムと云ったところで、その実際は中国や他のアジア地域の文化がきちんと整理されずに、ごちゃ混ぜになっていたのですね。正確でないのも無理からぬこと。だって日本は1858年(日米他、各国との修好通商条約締結)に開国するまで、自らの文化を世界にほとんど発信することなく約250年も過ごした、鎖国の国。オランダ以外の西洋社会では、ほとんど未知の世界のような国だったのですから。


★ ★


 今回この頁に掲載する写真は、その殆どが実は06年から更に1年遡って05年3月に撮影したもの。両年ともオルセーを訪問したのは帰国当日の朝から昼までの、ほんの2~3時間。元々が駅舎だった広い美術館を隈無く巡るには、どうしたって時間が足りません。結果、絵画に時間を割いたその分、アール・ヌーヴォーについてはじっくり観る時間が残されていませんでしたから、気になった作品を駆け足でカメラに収めるしかなかったのです。

 特に05年は、只でさえ時間が無いのに、入館までに1時間半を要したくらいの行列。気持ばかりが焦ってしまい、写真を撮ったはいいけど、作者や作品名のインフォメーションは一切記録せず。どうせ説明はフランス語しか表記がありませんから、日本に帰ってネットや美術書で拾えばいいや、なんて軽く考えていたのです。なんせ、天下のオルセー美術館なんですから、その手のカタログなんて間違いなく簡単に手に入るだろうと。

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 でも、これが大間違い。絵に関するオルセー美術館の解説書は数多有れど、アール・ヌーヴォーになると極端に数が少なく、それを特集した本は見当たりません。総合解説的な本においても、割かれている紹介ページはごく僅か。そして、作品も大抵が日本でも著名なガレやラリックなどの同じ作品が掲載されている事が多かったのです。中身を確認せずにnetで1冊7~8000円を超すような専門書の類を買うわけにもいきませんので、故に、何とかネットで調べたかったのですが、結局はオルセー美術館のアール・ヌーヴォー作品については僕が知りたい様な情報は見つけられませんでした。


 ここからは、僕がその日気になって写真を撮って来た作品たちを並べてみますが、作者や作品名が分かった物はその内の半分くらい。残りは分からないままなのです。どなたか、ご存じの物が在る様でしたら御教授下さいませ。

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エミール・ガレ / 『色絵付装飾皿』 (1878年頃)

 この唐人が浮き模様となった色鮮やかな絵皿(錫釉がけ色絵付軟質陶器)も日本人が見れば明らかに中国趣味的な飾り皿ながら、着物の柄、紋様などには日本的表現も見られる・・・と物の本では解説が付いているのですが、僕には全くそうは見えなかったなぁ(苦笑)。なおかつ、これが代表的なジャポニザン、エミール・ガレの作品だった、ってことにも驚かされました。ガレでさえ、こんな摩訶不思議なアジアを創造してたんですね・・・。当然、高島北海と出会う前(北海がナンシーに留学するのは1885年)の作品です。


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フィリップ=ジョセフ・ブロカール / 『手水鉢』 (1871) ※写真中央

 フィリップ=ジョセフ・ブロカール(1831~1896)はイスラム美術・工芸の修復、蒐集家として知られていましたが、そもそも腕利きの七宝ガラス生産者で、しばしばこの様なシリア風に金で装飾されたオリエンタルなガラス作品を作成したそう。台座は黒く塗られた木製で3方に配された脚はドラゴンを模しています。
 2006年に観たエルミタージュ美術館秘蔵の「エミール・ガレとドーム兄弟展」(於、東急Bunkamura)にも同様の豪華な作風をしたガラス花器が展示してあり、それを見て、この写真の作品の作者も同じブロカールだと判明しました。


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フランソワ・ウジェーヌ・ルソー / 作品名、制作年は確認出来ず

 こちらは自分で撮った写真に作者名が途中まで(フランス語表示でフランソワ・ウジェーヌ・R)写っていたのですが、なかなか一致する名前が見当たらなくて困りました。しかし、やはり前述の「エミール・ガレとドーム兄弟展」で似た作風の作品を見つけ、これだ!と思ったのですが、そちらは作者が“メゾン・ルソー&レヴェイエ・レユニ商会”、制作がアペール兄弟工房とあって、単純には一致してくれません。ネットで調べてもヒットせず、このメゾン・ルソーがウジェーヌ・ルソーの会社だときちんと判明するのは、後に由水常雄著の「ジャポニスムからアール・ヌーヴォーへ」(中公文庫 ※下で紹介)を手に入れてからでした。

 しかし、あまり本などで紹介されていないにも係わらず、実際のウジェーヌ・ルソーはガレに先駆けてアール・ヌーヴォー様式のガラスを手掛けたパリ派の第一人者で、もっとも早い時期から日本の作風を取り入れた作品を発表していた作家だったのです。元々は陶芸家として名を馳せた人で、1862年のロンドン万博はじめ多くの展覧会での受賞歴を誇る一流の作家でした。陶器のパッキンとして使われていた北斎漫画を発見したとされる版画家のフェリックス・ブラックモンは彼の友人で、ブラックモンが陶器の絵柄を着想したものをルソーが絵付けを行った絵皿“セルヴィス・ルソー”は“セルヴィス・ジャポネ”とも呼ばれ好評を博し、このコンビは商業的にも大きな成功を収めました。

 なお、今年日本でも上映されたフランス映画『夏時間の庭』の中で登場する、お手伝いさんエロイーズが形見分けに貰うガラス花器(参照→ http://natsujikan.net/gall.html)がブラックモン作とされていましたが、ブラックモン作のガラスって、検索してもまるで見つけられないんです。ひょっとして、やはりこれもブラックモンの意匠発案でウジェーヌ・ルソーが作成に当たった物の事なのかな?、なんて僕は想像してますが、正解やいかに。


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 こちらは作風としては、おそらくはガレで間違いない様に思えるのですが、台座はともかく、ガレ作品はあまり口の縁に金属を用いているものを見掛けないので、もしかするとドーム兄弟など他の工房の物かも・・・。


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 半透明のガラスにエメラルドグリーンの蓮が映える美しい花器は、やはりこれもガレの作品だと思うのですが、僕が見た作品集などでは全く紹介されていません(他のガレ作品の紹介で、背景に写り込んでいるものはあるんですが・・・^^;)。1つ、どれか上げるよと云われたら、僕はこれがいいなぁ~(^^ゞ。


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ルイ・マジョレル / 『コーナー用長椅子』 (1900年) ※写真左右。中央の椅子もマジョレル作
 
 壁に固定しないと用を成さないだろう、1本足のみのコーナー用の長椅子。肘掛けは睡蓮の葉を模しています。

 ナンシー派を代表する家具デザイナーのルイ・マジョレル(1859)はトゥールに生まれ、生家はナンシーで高級家具と陶器を生産する工場を営んでいました。子どもの頃から絵を描くことが好きで、16歳にして全国美術協会展に出品すると早速入選。それを契機に画家になることを目指してパリの美術学校へ進みました。そこで彼が教えを受けたのはバルビゾン派の大家ミレー。マジョレルはこの巨匠を心より尊敬し、絵画の道を邁進していたのですが、入学から2年が経った20歳の頃に父が急逝した為、絵の勉強を断念して家業を継がなくてはならなくなりました。

 父の店で制作していた家具はルイ15世様式のフランス家具で、マジョレルも1889年以前まではこのスタイルで生産を行っていたのですが、ナンシーでは85年に日本から当地の森林学校に留学してきた高島北海の影響でジャポニスムが他の地域以上に深く浸透し、広がりをみせていました。これがガレの意匠などに好い変化を与え、ガラス製品のみならず家具も評判となった為にマジョレルもこれに感化され、日本風のアイディアを取り入れたデザインを発表。これらを出展した1889年のパリ万博で大好評を博し、成功を収めるのです。

 ガレ同様、この長椅子にも見られる様に蓮や蘭など植物をモティーフとした事で知られますが、ガレが家具の耐久性などをあまり考慮せずに動植物その物の形状を家具の構造に取り入れたのに対し、家具の専門たるマジョレルは、あくまで自然は装飾の一部として扱ったそうです。後には室内装飾全般を手掛ける様になり、パリの百貨店・ギャルリー・ラファイエットの鉄製手すりなども彼の作品。


エミール・アンドレ(デザイン) / 『ステンドグラス扉』
 ・ステンドグラス制作・・・ジャック・グリュベール
 ・木部制作・・・ウジェーヌ・ヴァラン

 この扉はブティックの試着室の為に作られました。ステンドグラス作者のジャック・グリュベール(1870~1930)は元々は画家志望で、ナンシーからパリの美術学校へと入学し、そこでは象徴派の先駆けとして知られる画家・ギュスターヴ・モローにも指導を受けます(※当時モローの元にはマティスやルオーも学んでいました)。その後ナンシーへ帰郷し、ドーム兄弟の元でガラス制作に携わり、マジョレルの工房で家具などを経験した後に独立しています。


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 こちらの美しいステンドグラスも作者が確認出来ないままなのですが、オルセーにはこれとは別に、ほとんど同じ形態をしたカモメがモチーフとされているジャック・グリュベール制作のステンド・グラスが所蔵されています。こちらもその作風から、おそらくは彼が制作したものだろうと僕は判断しているのですが、果たして実際はどうでしょうか。


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 遠目にはドニ風に見えるポスターが気になって撮影した写真です。展示ステージ上には上がれないので近くでは見られず終いだったのですが、この記事を一旦アップしてから後にオルセー美術館のサイトに発見しました(^^;。意外なことにこの作品、彫刻家でありインテリアと家具のデザイナーでもあったアレクサンドル・シャルパンティエの仕事でした。予想外でちと吃驚。タイトルは『La Modiste』で、その名のとおりに婦人用帽子店の為に描かれたもののようです。また、ここでは僕が撮った写真は無いのですが、オルセー美術館内には彼が室内と家具デザインを手掛けたシャンプロゼーの実業家・ベナール邸の食堂が復元されていて、シャルパンティエと云えば、普通は皆さん当然にこちらを思い出すハズ。

 尚、手前の木製家具はベルギー派の建築家・ヴィクトール・オルタ(1861~1947)がデザインしたブリュッセル市内の実業家邸の家具で、制作はアンリ・プルスネール。


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 この奥に立てかけられた扉も作者が未確認。線状の鉄をどことなく植物の様に装飾的に施したデザインはパリのメトロ(ヴィクトル・ユゴー駅など)などでも知られるエクトール・ギマールでしょうか?。(※確認取れました ↓ )

 この両開き扉(1897年)はギマールが手掛けたアンジェの武器販売店の扉。
 「垂直な線と植物のモチーフによるアラベスク模様の交錯、木材と鉄との交錯による装飾模様により“ギマールの様式”を証言している」(※引用、オルセー美術館による解説図録、『オルセー美術館への旅』日本語版P116より。2011年01月29日、追記)


 その手前に見られるシンプルな椅子は、上のものと同様にヴィクトール・オルタのデザイン。


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◆机(写真手前) アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド / 『両袖机』 (1899)

 なめらかで優雅な曲線面と、引き出しのハンドルなどで部分的に使われるブラスの意表を衝いた形状がユニークに響き合う、大変に格好の良いデスクです。絵をメインに撮ったものなので写真が切れてしまってスミマセン。ここではデザインの全てはご判断頂けないとは思いますが、こんな机が使えたらなぁ~とうっとり憧れちゃいます[ハートたち(複数ハート)]

 この机のデザイナーはアンリ・ヴァン・ド・ヴェルド(1863-1957)。
 彼はベルギー生まれの建築家・デザイナーですが、当初は画家を志しパリへ渡り、印象派から影響を受けます。その後ベルギーに帰国し、二十人会でホイッスラー、ロートレック、ゴッホ、スーラなどポスト印象派や象徴派(ウィーン分離派)の画家たちと交流し、次第に彼らと同じく強くジャポニスム(特に浮世絵)の影響を受ける様になります。やがて住宅設計に進出し、1895年、当時の日本美術研究の第一人者で『芸術の日本』の発行人であり、蒐集家のサミュエル・ビングのギャラリー、“ビングの店”のインテリアを担当するのですが、このギャラリーこそ、“アール・ヌーヴォー”と云う言葉の発祥地なのです。

 ヴェルド※のデザインはクラッシックな要素を持ちながら、シンプル&モダン。ここに写真はありませんが、彼のデザインした椅子たちも大変スタイリッシュで有名です。洗練されていて、とても素敵なフォルムをしています。

※日本語表記はヴェルデ=VAN DE VELDEとされている事もあります


◆絵(写真奥) ピエール・ボナール / 『庭の女たち』

 ボナールは「日本かぶれのナビ」と呼ばれただけあって、ジャポニスム繋がりでアール・ヌーヴォーの作品とは相性抜群だからでしょうか、この作品はナビ派の部屋に展示されずにアール・ヌーヴォーの部屋にあるのですね。縦長なのは、もちろん浮世絵を意識した構図です。


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 ナンシー派などとは見るからに一線を画すこちらは、現代のデザインとしてもすんなり違和感なく通用しそうなシンプルな椅子とテーブル。背後に飾られたタペストリー(左は大天使ミカエルらしきふうに思えるので、おそらくは受胎告知がテーマかな?)は象徴派的なので、調べ始めた当初はこれらの家具の作者もウィーン派?などと勝手に想像^^してみたのですが、椅子はついては全く手懸かり無し。小振りなテーブルの方は上のデスクと同じくヴァン・ド・ヴェルドのデザインでした。96年に日本で開催されたオルセー美術館展“モデルニテ-パリ近代の誕生”にも展示されていたようで、図録に掲載されています。なお、乗せられている花器についても作者不明。

※以下追記です(10/10)
 taekoさんから、これらの椅子の作家の名前が判ったよ、と教えて頂きました。ありがとうございます~(多謝)。

 一連の白い椅子がペーター・ベーレンス、背を向けてる1脚がBruno Paul(独語発音が分かりません^^;)と、双方ともドイツの作家のものだったのですね~。ユーゲント・シュティルはもう調べるのも面倒だったので、まるきっりノーマークでした。でも、この2人について調べたお陰で、ヴァン・ド・ヴェルドがドイツへ招かれて活動していたこと、ペーター・ベーレンスが主宰していた「ダルムシュタット美術家コロニー」とも交流があったこと、ドイツのユーゲント・シュティルには多大なるヴァン・ド・ヴェルドの影響を通じて間接的にジャポニスムが影響していること、彼が私設したデザイン・スクールが後のバウハウスに発展したことを知りました。だから、ここではドイツ作家の椅子と彼のテーブルが一緒に並べられていたんだ~と納得。それぞれの作家たちの関連性を踏まえつつ、背後のタペストリーから椅子のファブリック、花器に至るまで、色のトーンが調和する様にコーディネートされているんですから、ディスプレイした学芸員さんもさすがのセンスですよね。


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パニエ兄弟社 / 『装飾花器』

 99年のオルセー美術館展(於、国立西洋美術館)で見た、忘れ得ぬヘビ女(笑)の花器。僕が撮ったガラスケース越しの写真では判りにくいだろうけど、ヘビがうにょうにょとぐろを巻く中心部(やや銀色)はメデューサの顔になっています。パニエ兄弟社はアール・ヌーヴォーのデザインにおいては特筆的なものはなく、他社追随であり、あくまで時の流行を追った結果だそう。ここでも、ガレふうガラス(ジャポニスム)よりもブラスの飾りに重点が置かれ、メデューサの象徴性がその意匠の中心に思えます。なお、パニエ兄弟はウジェーヌ・ルソーの弟子なんですって。


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 孔雀の羽模様のお盆を中心としたこの一連の作品も作者が分かりません。

 ※パリ在住のinatimyさんが調べてきて下さいました(2011年01月29日に追記)[ひらめき]
 作者はジャン・デュナン(Jean Dunand:1877~1942)と云うスイス出身のインテリア・デザイナーで彫刻家や金工家としても活動していたそう。この作品はニッケルに浮き彫りを施したもの。web検索してみたところ、デュナンは(リュシアンもしくはウジェーヌのどちらかの)ガイヤールによって招聘された漆芸家で東京美術学校漆工科の教授であった辻村延太郎とともに1905年に渡仏したという漆芸家・菅原精造(1884~1937)にパリにて師事し、日本漆工を研究し技術習得したそうです(※詳細はこちらへ→ ごめんなさい、2014年03月現在リンク切れです )。
 また、2009年に世田谷美術館で開催されたオルセー美術館展には金工部門に皿(1909年制作、銅に銀メッキおよび打ち出し:図録P152)が1枚出展されていました。 

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 こちらはカナリアなのかインコなのかも分かりませんが、前述の映画『夏時間の庭』の中で、主人公が亡き母からの相続により寄贈した品々をオルセー美術館へ見に行くシーンの背景に、ほんの一瞬ですが登場します。


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 アール・ヌーヴォーの小間物類いろいろ。左端のアンリ・アム作・『蜻蛉の彫刻を施した杯』(1904)、右から2点目のリュシアン・ガイヤール作・『菊の装飾を施した櫛』(1903-04)はやはり99年に上野で観たもの。共に角に彫刻を施した作品で、特に櫛類は材質が違わなければ江戸の物と云われても信じてしまいそう。


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 こちらはご存じルネ・ラリックの香水瓶やらボンボン入れ、ブローチなどアクセサリー類。

 
★ ★ ★


 最後に、以下は僕がこのページの作品たちを調べたいが為に読んでみたアール・ヌーヴォー関連書籍です。オルセー収蔵作品を調べたいと云う用途を前提にして、使い勝手を短くレヴュー風にまとめてみました。


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ジャポニスムからアール・ヌーヴォーへ (中公文庫)

  • 作者: 由水 常雄
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1994/01
  • メディア: 文庫

 この本はオルセー美術館の収蔵品とは直接の関係はありませんが、ジャポニスムとアール・ヌーヴォーの関連に特化してフォーカスを当てた本で、フランスのみならずベルギーやイギリスなど周辺各国に日本美術が及ぼした影響についても述べていて大変興味をそそられました。また、代表的作家のみならず、他の一般向け美術書よりも広い範囲でアール・ヌーヴォーの作家たちを網羅して紹介しているのが嬉しいところ。



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エミール・ガレ―ガラスの詩人 (「知の再発見」双書)

  • 作者: フィリップ ティエボー
  • 出版社/メーカー: 創元社
  • 発売日: 2004/11
  • メディア: 単行本

 ガレと同じナンシー出身、フランスのアール・ヌーヴォー研究の第一人者で、オルセー美術館のアール・ヌーヴォー部門設立以来の学芸員、フィリップ ティエボー氏の著作と云うことで、これは!と思い買ってはみたものの、僕が写真に撮って来ていたガレ作品は殆ど紹介されていませんでした(苦笑)。しかし、ガレの人生を時系列で辿り、作品は勿論のこと、当時の工場風景や風俗なども写真で紹介されていて、19世紀の社会的背景やガレの人物像、作風の変化なども視覚的に表されていて捉えやすいです。また、ガレ本人がしたためた書状類が載せられているのは大変に興味深い資料。



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パリ オルセー美術館 (別冊太陽)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2006/08/21
  • メディア: ムック

 現在、一般の書店で普通に手に入るオルセー美術館のガイドとしては一番ポピュラーかつ内容もしっかりした良い本だと思うのですが、総合案内的に1冊の中に全てを詰め込んでいるので、アール・ヌーヴォーに関する内容は、残念ながら全部で12ページ(全184p中)とほんの僅か。紹介されているのもガレ、ラリック、ギマールと云った代表的作家のみです。
 尚、僕は未読ですが、別冊太陽のシリーズにはアール・ヌーヴォーを単体で扱ったものが他に複数冊出版されているようです。



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世紀末・生命の輝き (NHK オルセー美術館)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 1990/07
  • メディア: 大型本

 残念ながら現在廃刊の本ですが、オルセー美術館所蔵のアール・ヌーヴォー作品に興味があるのなら、こちらが一番にお奨めです。1990年刊行と、既に発売から20年が経過している本ですが、美しいカラー写真がふんだんに使われ、充実した解説で読み応えたっぷり。また、オルセーを飛び出して、パリの街中で今も見られるアール・ヌーヴォー建築やナンシーのマジョレル邸なども紹介していますので、小さい本ではないので多少かさばりますが、アール・ヌーヴォーを巡る旅のガイドとして最適かも。
 但し、それでも数多あるオルセー美術館のアール・ヌーヴォー所蔵品のほんの一部が紹介されているに過ぎず、陶器やガラスのコレクションで一般によく知られる有名作家以外の作品(たとえばウジェーヌ・ルソーなど)を調べたくとも、ほとんど記述がありません。




 これらの他に、以下の展覧会カタログも参考にしました。自分が観に行ってない展覧会のカタログに関しては本当は厚くて場所塞ぎだから買いたくないんだけど(苦笑)、古本屋さんを色々と巡って内容を検討した上で購入。

 ・「日本の美」 / ジャポネズリーのルーツ (1985年開催)
 ・「ジャポニスム展」 / 19世紀西洋美術への日本の影響 (1988年開催)
 ・「モデルニテ-パリ近代の誕生」 / オルセー美術館展 (1996年開催)
 ・「19世紀の夢と現実」 / オルセー美術館展1999 (1999年開催)
 ・「エルミタージュ美術館秘蔵 エミール・ガレとドーム兄弟」 ~フランスからロシア皇帝への贈物 (2006年開催)
 ・「ガレとジャポニスム」 (2008年開催)

は展覧会を鑑賞したもの


 色々と調べて行く内に分かって来た事ですが、アール・ヌーヴォーと云う概念は1950年代の後半の時点で確立されておらず、美術史における位置づけさえ定かでなかった、美術の研究対象分野として認められていなかったそうで、学問的な研究が徐々に行われる様になったのは、ここ50年くらいなんだそうです。その中でもジャポニスムとの関連性の研究は30数年前に『ジャポニスムからアール・ヌーヴォーへ』(中公文庫)の作者である由水常雄さんから問題提起されたものの、フランス、日本双方の研究者から大変激しく否定されるなど、それ以前はまともに研究されてもいなかったテーマだったんですって。美術史の中のアール・ヌーヴォー研究は、比較的まだ新しいと云って良い分野なのですね。このテーマは日本文化が深く影響を与えているせいか親しみを感じることも多く、明治の頃の輸出工芸品、それらが出展された博覧会の事などとも大いに関連していますので、更なる興味も湧いてきました。

 さてさて、これで3年越しの気懸かりなヤツも片付けたので、ようやく来週辺りは世田谷美術館に行けそうです(^^。




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コメント 8

aranjues

大作お疲れ様でした。読むだけでも結構疲れますから、
実際に見て、これを記事にまとめるとなると膨大な労力
だったことでしょうね。
ほとんど猫に小判の内容なんですが、ルイ・マジョレル /
『コーナー用長椅子』、、これには興味をそそられました。
オブジェとしてのみに制作されたのでしょうか。作者に意図を
聞いてみたいところです。
by aranjues (2009-09-28 08:43) 

pistacci

nice!欄がないので、ここでnice!。
((さらっとまとめてしまう己が記事は棚に上げておいて(笑))、
勉強になりました!
エメラルド・グリーンのガラス器、すてき!と思ったら、yk2さんと好みが一緒なので、私のセンスも悪くない?なんて思ったりしました(笑)
以前、Taekoさんのところで、どうしてリアルな爬虫類系が取り上げられるのかと疑問に思ったのですが、メデューサも、結構見かけますね~。
今ほど煌々と明るくない図書室とかの一角に飾っておくのは、ちょっと怖いと思うんだけど。

家具のコーナーの写真は、とても興味深く見ました。
今まで見た舞台のワンシーンが、それぞれ浮かんできました。
by pistacci (2009-09-28 22:35) 

TaekoLovesParis

yk2さん、3年間温めてきた記事、やはり大作、読みでがあっておもしろかったです。yk2さんのアール・ヌーヴォーへの興味が単にジャポニズムとの関連にとどまらず、工芸作品全般や当時の社会の風潮まで幅広く考察なさってらっしゃるのが一線を画してますね。すごいです。たくさん資料も調べていらっしゃるし。

アールヌーヴォーに先立つバロックやロココの時代は、王侯貴族中心に工芸品が発達し、この時代19世紀末は市民階級が富と力を持ったから、個人邸宅が、
こんなに優雅なんですね。
上から2番目の写真左、黒に金だからって、私は、仏壇なんて思いませんでしたよー。ロココの家具の延長かと思いました。3番目の写真の花瓶は、ギョェッですけどね。ひどすぎーとまで。

急いで撮影とのことですが、きれいな写真ばかり。
こういうの見ると、自分の記事が恥、だけど、実力の違いだから、気にしなーい。

<ご存じの物が在る様でしたら御教授下さいませ。>
→ 2006年2月21日の私の記事に、「シンプルな椅子とテーブル」の写真の
答あり、です。
by TaekoLovesParis (2009-09-28 23:13) 

Inatimy

今頃は、スッキリした気分で世田谷美術館に行かれた後かな♪ 3年間も温めてきた記事の完成おめでとうございます♪ 風邪が治ってからじっくり読もうと思ってとっておいたんですが、濃厚な内容の記事にクラクラ。
私も10年以上前にオルセー美術館に行きましたが、確かに広すぎて的を絞らないと時間が足りないですよね。 なので、こんなアールヌーヴォーの展示コーナーがあるとは知りませんでした。 来年あたり見に行きたいなぁ。
鎖国中も交流のあったオランダでさえ、現在も、中国や韓国と混同せず日本のことをちゃんと理解してるとは思えないので、昔の人が不思議がジャポニズムの世界を作り上げていても無理は無いのかも。 で、ふと、日本の「カレーうどん」や「カレー丼」をインド人がどんな風に見ているのか気になりました・・・怪しく映ってるんだろうな。 
映画「夏時間の庭」面白そう♪ でも「サンジャックへの道」といい、フランスでは遺産っていうのは重要なカギなのかしら・・・。
by Inatimy (2009-10-07 17:29) 

yk2

みなさま、コメント&niceありがとうございます。返信遅くて(・・・遅すぎて)すみませぬ。

◆aranjuesさん :

見るだけでも疲れちゃうだろう話にお付き合い下さって大変恐縮です~。どうせだから、aranjuesさんには特別にコメントもたくさん書いてみました(笑)。

マジョレルの椅子はちゃんと実用です。ウジューヌ・コルバンと云うアール・ヌーヴォー建築のパトロンの様な人がいて、その人の私邸用にデザインされたものなんですって。総板張りの壁にこの長椅子ははめ込まれているそうで、そのコルバン邸は現在ナンシー派美術館となっています。いつか、行ってみたいんですよね~。

で、話すんご~く飛びますが、僕のアール・ヌーヴォーへの興味はジャポニスムから始まっていて、その源泉の1つは明治の輸出陶器。広い意味で考えれば、そこには森村組の輸出した、現在オールド・ノリタケと呼ばれる食器類への興味も含まれるのですよ。名古屋にお住まいのaranjuesさんなら、その辺りの話になればもう少しご共感頂けるかも(^^。

ちなみに、時々ご利用なされるJR新横浜駅のすぐそばに、東急東横線の大倉山と云う駅があるのですが、この大倉山駅の名前の由来になっている大倉家とは森村市左衛門の妹婿で、森村組の大番頭だった孫兵衛さんの家なんです。愛知県大府市桃山町に大倉公園と云う公園があると思いますが、その公園の名の由来と同じ大倉さんです。そこに桃を植えて農園にし、後に住宅地として分譲したのはその息子である大倉和親で、公園に現在残る旧大倉邸はその別邸。そして彼が日本陶器(ノリタケの前身)の初代社長さんだったりします。意外に名古屋繋がりでしょ?(ちょっと無理矢理かな?・・・笑)。


◆pistaさん :

おお、同じ花器がお好みとは嬉しいですね~。でもね、僕が好きな物はあんまりにも資料が少ないと某Tねーさんにこぼしたら、「それはyk2くんの好きな作品がオルセーにとっては重要じゃないからよ」とあっさり云われました。なんだとぉ~!って感じでしょ?。さらっとすっごいイジワル云うんですから(大笑い)。

メデューサとかヘビがアール・ヌーヴォー期の作品に多く採用されている理由の一つには、当時のフランス演劇界の花形女優であるサラ・ベルナールが好んだから、ってのもあるそうです。サラは、絵画に於けるアール・ヌーヴォーの旗手・ミュシャが初めて描いた演劇舞台の商用ポスターの人としてつとに有名ですね。
で、ワタクシ思いますに、クレオパトラが死に際し選んだのがヘビの毒でしょ?。美しい女性の悲劇的運命を象徴するのがヘビだってのも、サラ・ベルナールは大いに意識してたんじゃないのかなぁ~と。な~んて、全く根拠の無い単なる僕の想像なんですが・・・(^^ゞ。

by yk2 (2009-10-09 00:21) 

yk2

コメント&niceありがとうございます。更に返信遅くなりましてすみませぬ(汗)。

◆taekoさん :

3年「温めた」、はあまりに大袈裟です・・・。資料が増えたのは、単に掛かった時間の長さに比例して、ですね(苦笑)。

>19世紀末は市民階級が富と力を持ったから、個人邸宅が、こんなに優雅なんですね。

いまでこそ優雅と云われるアール・ヌーヴォー様式ですが、当時はマカロニ(うどん)様式だとか果てはミミズかサナダムシ様式だ、なんて悪口もあったみたいだし、拒否反応も大きかったみたいですよ。たしかにガレのデザインなんて完全にグロテスクな方向に入っちゃってる物も少なくないし、行き過ぎた室内装飾は毎日そこで暮らすことを考えたら、ちょっと落ち着かないかもしれないですねぇ~。脚が巨大な蜻蛉だったりするガレのテーブル1つくらいだけなら兎も角、部屋全部がギマールだったりしたら。彼のアトリエの写真が載ってる本があるのですが、壁と天井の境にまるでは木の根が這ってるし、飾り棚には幹がニョキニョキ生えてるし、ですもん。幾ら自然の造形が美しいと云ってもねぇ・・・(^^;。

>私の記事に、「シンプルな椅子とテーブル」の写真の答あり、です。

ねーさん、もっと早く教えて下さいよ~~~(苦笑)。
この記事、まだ僕がtaekoさんとコメントの遣り取りする以前のものですね。不覚にもチェエックしてませんでした(><)。

でも感謝感謝です~。
ねーさんが調べて下さったお陰で、作家名が判ってスッキリしました。僕はうっかりヴァン・ド・ヴェルドとバウハウスの関わりを読み落としていた事にも気が付いて一石二鳥。嬉しかったです。

それにしても、オルセーのデコラティヴ・アートの作品紹介のページ(http://www.musee-orsay.fr/en/collections/works-in-focus/decorative-arts.html)もしばらく見ない内にすごーくコレクションの写真など充実されてたんですね~(吃驚)。以前はこれほど点数が無かったような記憶があって、ここのところ全く見てませんでした。灯台下暗し、とはまさにこの事ですね(^^ゞ。


◆いなちみーーさん :

風邪はもう治りましたか~?。
ふふ、アタマがクラクラするような時にデコラティヴな意匠と長文は、さらにクラクラさせてくれそうだったでしょ?(笑)。でも、僕も大概1つの記事が随分長いけど、「いなちゃんの今月のお料理」も毎々負けてないでしょーに(笑)。

>こんなアールヌーヴォーの展示コーナーがあるとは知りませんでした

Inatimyさんは結構建築物に興味があるみたいだから、建築デザイナーの室内での仕事を見るのは絶対に面白いことだと思いますよ。僕も「いなちゃんオルセーへ行く」って記事が早く読みたいなぁ~。だって、あれらの作品を観て、Inatimyさんが何の食べ物を連想するのか、すごく興味がありますもん(笑)。

上でも書いてますが、今回taekoさんに教えて貰ったお陰で、ユーゲント・シュティルも少し掘ってみようかな~と云う気になってきましたが、そう考えるとアール・ヌーヴォー発祥の地ベルギーやドイツに行き来しやすいオランダ在住のInatimyさんは、すーんごく恵まれた環境に住んでるってコトですよね~。現物(建物)がすぐそばに在るんだもん。いいなぁー(本気でウラヤマシイ)。

※ ※ ※ ※

と、ここまで書いて気付いたんですが、今回はみ~んなが長くなっちゃって(汗)、aranjuesさんへのコメントがちっとも「特別な長さ」じゃなくなっちゃいましたね(^^ゞ。
by yk2 (2009-10-10 06:39) 

Inatimy

孔雀の羽根のトレイは、下記のプレートついてました。

Jean Dunand
Lancy 1877 - Paris 1942
Plat 1914
Nickel oxydé et argenté repoussé
Salon de la Société nationale des Beaux-Arts,1914
Acquisen 1914

オルセーに行ったのですが、ちょうどこのエリアを含めた部分が修復中。
展示品も少なめでした。
写真撮影が全面禁止になったいたので、上の写真もすごく貴重ですねぇ。
by Inatimy (2011-01-25 19:07) 

yk2

いなちみ特派員、現地調査ありがとー!。

オルセー行って来たんだね。全館改修中とは聞いていましたが、せっかく出掛けて展示品が少なめ・・・は残念でしたね。
でも、いなちゃんは旅行者じゃなくって現地在住。確か、毎月だか毎週1回くらい入場料半額とか無料って設定の日もあったよね?。これに懲りずにまた調査に行ってね(笑)。
ただ、写真撮影全面禁止とは淋しいなぁ~。


Jean Dunandを検索掛けてみましたが、スイスのインテリア・デザイナーに該当する人物がいたようですね。

・ジャン・デュナン(Jean Dunand)1877~1942

僕が行き当たったのは個人の方のサイトのようですが、その情報を信頼するならば、パリ万博に作品を出品し、そのまま請われてフランスで漆芸を指導した漆職人・菅原精造に師事しているようですね。どちらも初めて聞く名前で、またここから更なる興味が広がります。
教えてくれてありがとね(^^/。
by yk2 (2011-01-29 07:21) 

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