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それでも明日はやって来る [思ったこと感じたこと]

2011年04月01日(金曜日)

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 未曾有の被害を及ぼした東日本大震災と、それに伴って起きた福島第一原発の事故に因って、まさに大波乱となってしまった3月が終わった。震災後、震源である宮城県はじめ各被災地の負った傷の深さが日を追うごとに明らかになって来るにつれ、人々は更なる悲しみに暮れ、余震に因って再び襲ってくるかも知れない災害への恐怖に脅えて、今もまだ心安らかならぬ毎日を過ごしている。この事態の出口は?、いつになったら平穏な日々が取り戻せる?、そんな思いを、誰もが胸中に抱いて。



 あれだけ次々と、あまりにも衝撃的で暗いニュースが続くと、どうしたって気持ちは沈み、重くなる。ましてや、宮城から福島・茨城沖を震源とする余震が昼夜を問わずに、何度も震度5クラスを計測し続ける。そんな中、気象庁から13日に出された「今後3日以内に70%の確率でマグニチュード7以上の余震が起こる可能性有り」と云うショッキングな予測に、人々の不安は募るばかりだった。今もう一度、福島の原発が同じ様なレベルの津波に襲われたなら、どうなってしまうんだろう?。考えたくはなかったけれど、考えずには居られなかった。

 加えて、東日本各地の石油プラントが被災したことに起因して引き起こされたガソリンの供給不足問題で物流がストップ。米やトイレット・ペーパーなどの商品が店頭から消え、首都圏も半ばパニック状態となってしまった。現在の日本で、自分の住む生活圏でこんな事が起きるだなんて、僕は夢にも思わなかった。



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 あの3月11日の震災から丸3週間が過ぎた。
 幸いにして、僕の住む横浜や東京ではあれから心配されていた大きな余震に襲われることもなく、徐々にではあるけれど、平静を取り戻そうと動き出している。勿論、未だ収束の見えない原発事故問題、計画停電による様々な経済損失危機をどう乗り越えてゆくのかと云った、考えも及ばない様な将来的不安は残されたままだけど、只々心配だけし続けて、じっと息を潜めていたって事態は何も好転しないよね。 


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 かく云う僕も、11日の地震以降の10日ほどは全く気持ちが晴れる事は無くて、心の安らぎを求める為の大好きな音楽さえ、たったの一度も聴きたいとも思えなかった。絵を観ても心は動かなかったし、本を開いても気持ちは一向に活字を追わなかった。不安だったし、沈みきっていた。どうしたって、今も起きている事が、遙か遠くで起きている出来事だなんて片づけられはしなかったから。

 でも、もうそろそろ、普段の自分を取り戻してゆこう。



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 時は刻々と流れて、季節は巡ってゆく。
 毎年眺めるのを楽しみにしている横浜美術館前のモクレンも、ここ数年よりは大分遅れて満開になった。


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 今年は、その為だけに、わざわざ見に行かないでもいいかな、って思っていたんだけど、結局気が付いたら足が向いていた。夕暮れ間際で、花を見るには、ちょっと遅い時間だったけれど。

 春になれば、この花が咲いて、僕はそれを眺めにこの場所へ来る。何の意味が有るわけじゃない。冬が終わって、あの薄桃色のモクレンの咲く季節になったんだ。それを自分の目で確かめたい。ただそれだけのことで、僕はこの場所へ来る。毎年決まって、繰り返すように。


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   「君のために ありふれた 明日だけを願う」

 普段は幾らAORやjazzが好きだとか云い続けて来たとしても、こんな時僕の心の中に不意に浮かんで来たのは、今ではほんの時たまにしか聴かないけれど、それでもやっぱり10代初めの頃からずっと聴き続けているあの人の歌声だった。

   「なにげない毎日が 手の届かない思い出にならないように
   涙に震えながら 戦うべき時があるんだ
   守るべきひとのために その哀しみを乗り越えるために

   明日 きっと またこゝで その笑顔に会いたいから」
(『明日』:作詞・作曲、小田和正) 

 
 そう。
 何があっても、それでも明日はやって来る。



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