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残照の描き方についての独り言 / 映画『カルテット』より [映画・DVD]

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 6月も下旬に差し掛かった頃、『カルテット -人生のオペラハウス-』(公式サイト:http://quartet.gaga.ne.jp/)と云う映画を観た。(以下、本文には映画の粗筋、個人的な感想などその内容についての言及を含みます。これから作品をご覧になろうと思っておられて、かつ余計な先入観やネタバレを望まれない方はくれぐれもご注意を^^ゞ)。


 その粗筋を大まかに話すと、舞台は英国のとある養老ホームで、そこは、リタイアした音楽家ばかりが集う、ちょっと特殊な“家(ホーム)”。今も音楽に囲まれながらそのホームで余生を過ごす老人たちに、俄に一大事が巻き起こる。折からの財政難でホームの運営は逼迫。その存続が危うくなっていると云うのだ。待ったなしの危機に立ち上がったのは、ホーム在住の4人のオペラ歌手。それも、英国オペラ史に燦然とその名を残す名カルテットの4大スターが、今再び組んでコンサートを開き、その収益でホーム存続の一発逆転を狙う、と云ったストーリーを、元夫婦の再会と葛藤あり、老いらくの恋あり、病気あり、もちろん“呆け”もあり、で奮闘する老音楽家たちを軽いコメディー・タッチで描いている。

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 物語自体は面白い話だ。老いと衰えを克服し、再びステージに立って聴衆を感動させる。そうして喝采の中、ホームは彼らカルテットに救われ存続するのだから。その課程で、若者には世代の壁を越えて先達の育んできた音楽に対する敬意を芽生えさせ(まぁ、いくらなんでも若者達にオペラの魅力を伝える為にと、ラップを引き合いに同列で語る行には幾分無理を感じてしまったけれど・・・^^;)、それと同時に老人には再びの夢と希望を与える。そうして、いつか積年のわだかまりさえも消して、愛さえ蘇るのだ。音楽ってやっぱり素晴らしい。めでたしめでたし、である。

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 しかし残念ながら、この作品は音楽映画として、どうしてだったんだろう?、決定的にしてはいけない演出を最後の最後でしてしまった。この物語で一番に感動を呼ぶはずの、一番に肝心なカルテットのパフォーマンスを描かずに、彼らがステージに上がって先ず受けた拍手喝采のシーンで、事もあろうにそのままエンドロールを迎えてしまうのだ。

 この映画では歌手が役者を兼ねていないのだから、口パクでもそれは仕方のないこと。それでも、映画を観ている僕らは、彼らカルテットが、どんな歌(※楽曲は僕の知る数少ないオペラ、ヴェルディの"Rigoletto"からの4重唱のハズだった)をこのステージで披露し、どの様にして聴衆を夢中にさせてゆくのかが一番の見所だと、待っていたはずなのだ。それなのに・・・。


 結果として、この映画は音楽劇の類ではなく、単なる「人と人のドラマ」として終わってしまっているんだな。音楽があるからこそ、人々が感動するはずのプロットなのに、一番大事な部分でその主役たる音楽を描かないでどうすると云うのだろう。

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 何年か前、NHKのBSで観たドキュメンタリーに、『残照』と云うタイトルでフランスの“芸術家の家”を取り上げた話があった。パリ南東部に実際在る『国立アーティストの家』。そこは、音楽家に限らず、様々なジャンルの老芸術家たちの終の棲家。僕は、そのドキュメンタリーのリアリティーに引きずられて、今回この『カルテット』を見たいと思ったわけだったのだけれども、2つを結びつけて考えたのは間違いで、勝手な思い込みが過ぎたのかもしれない。

 目の眩む様なスポットライトの中、拍手喝采を浴びて終わる映画のスターたちのきらやかな姿は、やはり虚無の世界、お伽噺のストーリーでしかなかった。対して、世界的には少しも有名なんかじゃない『国立アーティストの家』の“本物”の老芸術家たち、彼らの“残照”の仄明かりの方が、見終わった後の余韻は、よっぽども深い味わいを残して輝いていた気がしてならない。




※本文と全く無関係な写真(^^ゞはすべて国立西洋美術館常設のロダン作品より

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