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あとづけ日記 / 14年12月分 [いつかの出来事]

 【1】MONICA Z

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 休みでもない平日の水曜日に映画を観る。それも、生まれて初めて一人きりで。

 映画って云うのは、いつだって誰かと一緒に行くもの。そんなふうに絶対的に決めつけていたわけじゃないけどね。ハリウッド的な大袈裟な映画があまり得意でない僕にとって、観たい!と思った映画に気持ちよく付き合ってくれる友達って、本当に貴重なんだ。でも、この日は一人きり。自分でさえ直前まで果たしてちゃんと観に行けるのだろうか?と心配していたくらいだから、予め友人を誘うだなんてちょっと無理な話だった。


 師走の平日の夜19時から、1日たったの1回しか上映のない作品。それも、次の週末を待たずにあと3日ばかりで、上映期間そのものも終わってしまう。まぁ、日本では好事家しかその名を知らないだろうスウェーデンの女性ジャズ歌手の生涯を描いた映画だなんて、上映してくれる映画館が有るだけでも有り難がらないといけないんだろうけどさ。

 その映画のタイトルは『ストックホルムでワルツを』http://stockholm-waltz.com/)。2005年に亡くなったモニカ・セットルンド※(Monica Zetterlund : 1937-2005)の無名時代から、やがて成功を収めるまでの様々な実話エピソードを元にした伝記映画。モニカを演ずる主演女優は、やはりスウェーデン出身の歌手のエッダ・マグナソンだ。顔立ちだけで見比べると、モニカ役がピッタリに思えるエッダではあるけど、初めてそのキャスティングを知った時は驚いてしまった。ジャズと云う大きな括りの中においては相当に雑食系である僕も、現地語で歌われるエッダのとっても個性的なソロ・アルバムは、さすがに購入するに至らなかったくらいだったから(※参照→amazon試聴*)。思わず心配しちゃったんだ。果たしてエッダ・マグナソンにスタンダードなんて歌えるのだろうか?って、ね。幸い、それは全くの杞憂だったけど。

 詳しい内容には触れないとして、音楽は勿論のこと、1950年代後半から60年代にかけての北欧デザイン、ファッションに触れたい向きにはなかなか楽しめる映画だとは思う。だけど、たばこを常に手放せず次第に酒に溺れてゆくモニカを見るのは僕には正直辛かった。ただただ、『歩いて帰ろう』(Sakta vi gå genom stan=Walking My Baby Back Home)のロマンティックなメロディにずっと酔いしれていられれば幸せだった。でも、常に上を目指して新たな作品を創造し、次々ショーを成功させなければならない世界で生きる彼女に、それは許されない。様々なプレッシャーが彼女を襲い、モニカは壊れ始めてゆく。やがて、夢にまで見たアメリカでの成功をついに決定づけるビル・エヴァンスとの共演作『ワルツ・フォー・デビー』で彼女はジャズ歌手としての1つの頂点に立つわけなんだけど、モニカ自身は一体この先どうなってしまうんだろう・・・といたたまれない気持ちでいっぱいになる。エンディングがああじゃなきゃ、観てた僕はきっと救われない儘だったろうなぁ。


Monica Z-Musiken Fran Filmen

Monica Z-Musiken Fran Filmen

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Imports
  • 発売日: 2013/08/20
  • メディア: CD

※日本語表記はゼタールンドなど“揺れ”あり


 【2】ウフィッツィ美術館展

 あれは1992年のことだから、今からもう20年以上も昔の話。僕は生まれて初めての海外旅行でイタリアを旅していた。ミラノ経由でフィレンツェへ。当時の僕にとってイタリアと云えば、それはもうひたすらファッションの国。ミラノではお洒落な洋服屋ばかりが集まるスピガ通り近辺ばかりをうろうろしていたし、フィレンツェで「ピティ」と云ったら、それはコレクションの展示会場であって、そもそもが宮殿なのだと云うことさえも関心がなかったくらい(苦笑)。

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 それでもその滞在中、美術に全く興味の無い友人と別行動を取って、一人でウフィッツィ美術館へと出かけた。ルネッサンスなんて言葉の意味も、メディチ家なんて存在も当時の僕には相当あやふやだったけど、どうしても実物を観たい絵が在ったから。それが『ヴィーナスの誕生』や『春(プリマヴェーラ)』だった。

 そう。本当のボッティチェッリが見たかったんだ。

 20年以上も前だけど、あの絵の前に立った時のことは絶対に忘れられないな。今ではいつだって大行列必至のウッフィツィも、当時はまだそれ程でもなく。6月の爽やかなシーズンであったにも関わらず、人影はまばらだった。だから、僕がヴィーナスを目の前にしたその時も、あの部屋には殆ど人がいなかったんだ。今はもう全く信じられないことだろうけど、ウッフィツィで『ヴィーナスの誕生』が独り占め出来たんだ。今思い出しても、その幸運に我ながらうっとりとしちゃうんだなぁ。本当に素晴らしい、素敵な時間だった。

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 だからね、今回の都美術館で開催されたウッフィッツィ美術館展は本当に、本当に楽しみにしてたんだ。2005年と06年に僕はフィレンツェを再訪したけれど、朝9時になる前から長蛇の列が出来る様になってしまったウッフィッツィは、残念ながら僕の旅程から外れてしまった。もう一度見たくても見られなかったあの美術館の作品たちが東京にやって来る。そう思うと、心からワクワクしてね。大袈裟なようだけど、「心待ちにする」って言葉は、本当にこんな気持ちの事を云うんだなぁ・・・とまで考えちゃったくらいに。

 でも、展覧会を訪れた結果は、ちょっとばかり残念なことに。
 こんなふうに思い入れたっぷりだったから、期待が膨らみ過ぎちゃったみたいだ。

 今回の展覧会が素晴らしいと感じた人も勿論いらっしゃるだろう。でも、僕には残念だった。今回やって来たボッティチェリは1点を除いて、僕の望むボッティチェッリではなかった。

 よりによってボッティチェッリ自らが一番に輝いた華やかなメディチ時代を堕落と見做して否定したサヴォナローラに心酔したことに因り、プリマヴェーラの煌めくあの感動は、彼の絵からすっかり消え失せてしまっていた。

 その時代のボッティチェッリ作品を知らなかったわけじゃない。画集ではずっと目にしていたつもりだった。でも、自分自身が考えていた以上に、実際にすぐ目の前にあった彼の聖母子像は、僕にとって「違う」ボッティチェッリだったみたいだ。
 

 【3】スカイレストラン

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 何故か急にこの曲が聴きたくなって、久し振りにHi Fi Setのアルバムを引っ張り出してみたものの、ちょっと気分に沿わなくて、潤子さんのセルフ・カヴァー・アルバム、『翼をください』(1998年)のヴァージョンに切り替える。コアなHi Fiファンには怒られちゃうかもしれないけど、ず~っと長いことギタリスト・松原正樹のファンだった僕にとっては、彼の盟友であるキーボーディスト新川博がプロデュースしたこのアルバムのアレンジの方が、やっぱりしっくりと来るんだな。確か2000年の初冬の頃だったか、今はもう無くなってしまった六本木・芋洗坂下のSTB139で観たライブがとても懐かしい。

 それでも、今日この日に『スカイレストラン』を聴く気になったのは、その懐かしさとは全く関係の無い話から。

 この歌の歌詞の意味を改めて考えてみる。

 かつて付き合っていたのだろう男女が、別れて数年後に再会する物語。誘ったのは男の方。「長いこと会わないうちにあなたへの恨みも消えた」「今だけは彼女を忘れてわたしを見つめて」と女が歌っていることから、彼等は男側に恨まれるような理由が有って別れたらしいこと、男には現在別の女性がいる事が判る。それも主人公の女が知っている人がその相手。また、それも「今だけは」と限定していることからして、この歌の男には戻らなくてはいけない場所、おそらくは「家庭」が有るのだとも匂わされる。

 この男は何を思って、時を経て再び「昔の彼女」を誘ったんだろう?。

 主人公の女はその理由「わけ」を訊かない。
 何かが起きればいいのに・・・。そう思いつつ、きっと何も起きないだろうと、予め自分を慰めている。


 そう。僕らは夜景の素敵なこの店に食事に来ただけ。懐かしく旧交を温めて、そして「さよなら」する。

 かつて付き合った男女が、何事も無かった様に「只の」友人に戻るのは、つくづく難しい。


 【4】最後のニュース

 26日。クリスマスの翌日、録画しておいた小田ぢい(^^ゞ毎年恒例の『クリスマスの約束』2014を鑑賞する。1曲目からいきなり陽水の難曲、『最後のニュース』の合唱でプログラムは始まった。いちいちここにその名前は並べないけど、もうお馴染みとなった小田塾門下生たちの素晴らしいコーラスと、正統なる陽水ファンがあまりお気に召さないのでは?と心配になる様な(笑)少々気取った「らしい」アレンジ(※まぁ、そこに小田和正のヤル気を感じるわけですが^^;)に、今年は面白そうだと期待が高まる。実際、去年はあまり楽しめなかったし、聞くところに拠ると、良い数字も取れなかったらしい。2009年の『22'50"』が番組的にも余りにも素晴らしい出来映えだったゆえ、その後は難しいなとは思っていたけど、これはそろそろ潮時なのかもしれないな・・・とさえ感じてしまった。小田ぢいも、もう60代後半だもの。ずっとずっとこれから先も同じようには行かないよ。いつかは、必ず終わりが来るんだ。

 そんな事を、どこか頭の隅で考えていた。

 でも、今回の1曲目、この『最後のニュース』でそんな事は杞憂だった、今年も予想以上に素晴らしかった・・・なんて番組のエンディングで思えたら好いな、って期待しちゃったんだけどな。


 結論から云ってしまえば、この1曲だけだったね。
 その曲が『最後のニュース』ってタイトルなのも、明らかに暗示的と云うか象徴的と云うか。

 『We are』、『Over』の時と同じなのかな。もう終わりだよ、ってはっきりと伝えないで、さよならしてしまうのは。

 あの人らしいと云えばあの人らしいよね。


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