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サヨナラ、カマキン(神奈川県立近代美術館・鎌倉本館) [ART]

2016年01月27日(水曜日)
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 もうじきに閉館してしまう神奈川県立近代美術館の鎌倉本館、通称カマキン。最後にどうしてももう1度訪れたくて、僕としては平日の中では比較的融通の付けやすい水曜日の午後に2時間ほどの時間を作った。所有する絵画などの常設作品は今後葉山館や鎌倉別館で観る機会もまた有るだろう。だからこの日は、たとえ限られた短い時間でも、建物を中心に自分のこの目と記憶に”カマキン”の姿を焼き付けておきたかった。この場所に美術館が在ったことを忘れない為に。




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 神奈川県立近代美術館・鎌倉本館の建物は鶴岡八幡宮の敷地内に存在する。県で美術館建設を検討していた1950年頃、八幡宮の土地の一部が国の所有となっていたものを県が働きかけ、国から八幡宮側への返還が進んだ。その見返りとして、八幡宮は県に対し、現在のカマキンの建つ土地を永代無償で貸与提供する約定を結び、この場所に県立美術館が建設される運びとなった。


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 永代無償貸与。つまりはず~っとタダで使い続けていいよ、って約束。

 それなのに何故、今回美術館敷地は八幡宮に返還され、戦後日本のモダニズム建築の傑作とされるこの坂倉準三設計の建物は取り壊しが検討されているのだろう?。


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 どうやら、1967年に鶴岡八幡宮が文化財保護法により国の史跡指定を受けてから、雲行きは変わったらしい。

 実は、近代美術館の建つその敷地地中には歴史的遺構が埋まっているのだそうだ。その保護の為、史跡指定後は壊変を与える様な掘削工事はもう二度と行えなくなった。それが意味するところ、カマキンは建て替え工事は勿論のこと、耐震性を高める為の補強、大規模な改築を行うことさえも難しくなってしまったのだと云う。

 これって端的に云うと、ずっと美術館の為に「土地」を使っていいよって話で決まってた筈の契約なのに、そこに「建物が利用、存続出来る内は」って一文を後から文化財保護法に因って追加されちゃったに等しい。いつか必ずやって来る「契約終了日=返還日」が設定されしまったって事だよね。それがいつになるかはまだ誰にも判らないけど、その耐久性はざっくりおよそ60年程度と考えられているコンクリート建造物が老朽化して使用不可能になる日は確実にやって来るんだ。実際、耐震性に問題が有ると判った新館(1966年完成の別棟)は2007年より既に公開利用が中止されている。


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 鶴岡八幡宮は11世紀から鎌倉の地に存在する。方や、神奈川県立近代美術館・鎌倉は1951年に完成し一般公開が開始されたもの。県が国に土地返還の口利きをした事実はあっても、カマキンが歴史的にその場所に存在する必然性は全く無い。美術館よりも歴史的価値が優先されるのは致し方ない。67年当時、完成から16年が経過していた美術館建物の価値は、随分軽く見られていたのかも知れないなぁ。

 考えてみれば、この場所で今後基礎をいじる様な大規模工事は一切出来ません、ボロくなって使い勝手が悪くなっても、基本的にはいつかは決まってないけど「期限」が来たらウワモノは壊して地面を返すんですから、大規模修繕もしちゃダメですよって話は、結局はこの「使用権」の余命宣告にも似ている。先が随分長そうで想像しにくく、即座にそう実感した人は多くはなかったと思うけど。でも、極論すると、返還日はいつでも、その翌日にでもやって来る可能性が有った。そんな事件が起きなくて本当に良かったけど、放火でもされて火事になって建物が滅失してしまったら、同じ場所ではもう再建できないんだもの、即座にその権利は終了してしまっていただろうから。


 建物が存続するからこその土地使用権。でも、今ある建物が美術館として使えなくなるなら土地返すのが当たり前。確かに道理ではある。でもそれって、まるで地主に有利だった昔の、ごくありふれた借地借家契約と差して変わらないじゃないか。どうして、この「永代使用権」はフツーの借地権めいた話にすり替わってしまったんだろう。ついそんなふうに考えてしまうのは、僕だけだろうか。


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◆イサム・ノグチ(1904~1988) / 『こけし』(1951)


 そんな流れを受け、1986年、神奈川県は30年後に県立近代美術館・鎌倉本館を廃し更地返還する旨の契約を八幡宮側と締結する。

 そう約束しちゃったんだ。そして、その30年後がまさに今年、2016年ってわけ。期間が30年だった理由の考え方としては、おそらく当時の借地法に倣って、堅固な建物の更新は30年ってのがそのベースだったのだろうか?。建物の完成からも65年目。財務上の鉄筋コンクリート建物の耐用年数60年※も既に越えた。様々な面で、県民にそろそろ潮時と思わせるには充分だろうと考えたのかも知れない。 ※旧法


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 返還バナシが決まってしまう2年前の84年には鎌倉別館が新設オープンし、後に葉山の旧高松宮別邸跡に新規建築される3つ目の県立近代美術館(2003年開業)を当時既に計画検討していたなら、鎌倉本館を廃しても差したる問題でもない、と思っていたんだろうな、当時の県政では。時代的にもバブル前夜でこの辺りからハコモノ行政が盛んになる。この頃の県の役人や県議さんたちにはきっと、坂倉準三が師事したル・コルビジュエの設計した建物=上野・国立西洋美術館が30年後に世界遺産を検討されるほどの国際的評価を得て、その弟子坂倉の作品にも俄然注目が集まるだろうなんて未来は思いも寄らないものだったに違いない。


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 平日にも関わらず、この日のカマキンは大勢の来館者で賑わっていた。多くの人々が僕と同じ気持ちなんだろう。もうじきこの美術館が失くなってしまうのを残念に思い、思い出をなぞる様な気持ちで、名残を惜しんで今日この美術館にやって来ているのだ。


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 ここから池のある風景を眺めるのが好きだ。だけど、それもお終いと思うと寂しいものだな。

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◆昆野恒(ひさし 1915-85) / タイトル不明 (1960)

 この日みたいにお天気が好いと、こんなふうに池の水が反射して回廊の天井にゆらゆらと光がきらめいている。オブジェ越しにそれを眺めていると、毎々、ああ今日は鎌倉に遊びに来てるんだなぁ~と云う気が一入に感じられたものだ。ただ水は茶色く濁っていて、お世辞にも綺麗ではないけどね(^^;。


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アントニー・ゴームリー(1950~) / 『Insider Ⅶ』(1998)

 池に浮かぶ小島に佇む、カマキンのオブジェ内では僕の一番のお気に入りのゴームリー。もうちょっと肉付きの良い兄弟(笑)が竹橋の東京国立近代美術館のバルコニーにいる(『Reflection=反映/思索』)。


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 敷地内に点在するオブジェたちはどこへ行くんだろう。鎌倉別館の庭にも彫刻作品やオブジェが幾つか置かれているけど、あそこはあまり広い場所とは云えないから、ここに在る物全部が移ったら窮屈だろう。とすると、一部は葉山に引っ越すんだろうか。


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◆空 充秋(1933~) / 『揺藻 See Weed』(1988)


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◆『石人』(1966) ※オリジナルは6世紀前半の扁平石人。岩戸山古墳出土で大分県日田市設置


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◆木村賢太郎  / 『作品-55』(1961)


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◆高橋 清(1925~1966) / 『人』(1967)


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◆西 雅秋(1946~) / 『イノセンス-火-』(1991)


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◆海老塚耕一 (1951~)/ 『水と風の体積』(2001)


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◆清水 九兵衛(1922~2006) / 『BELT』(1978)


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 それではこんなところで、サヨナラ、カマキン。


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