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庭のオブジェ散策 / 神奈川県立近代美術館葉山 [ART]

2019年12月21日(土曜日)
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 京急の快速と、たとえ自分で運転していなくてもあの海岸通りの細い道路のすれ違いには毎々ひやひやさせられる(^^;バスを乗り継いで、久し振りにやって来たのは神奈川県立近代美術館・葉山館





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 ほんとに久し振りだなぁ。

 前回ここに来たのはいつ以来だろうと調べてみると、2016年の1月にフィンランドの女性画家、ヘレン・シャウルベックの展覧会を観に来たのが最後。ほぼ、丸4年振りだ。そんなに来てなかったのか~と、我ながら吃驚(汗)。



 偶々だけど、この日の展覧会も4年前と同じフィンランド絡みのもの。アラビア窯のデザイナー、カイ・フランク(1911~1989)の回顧展(日本・フィンランド国交樹立100年記念 没後30年カイ・フランク →http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2019_kajfranck)だった。

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 これまで過去に数回アラビア窯をテーマにした展覧会を観て来て、カイ・フランクの作品は勿論目にしていたわけだけれども、それはあくまでもアラビア窯と云うテーマの中で登場するデザイナーの1人として、だ。彼1人の作品のみで構成される展覧会って、どんな感じになるなんだろう?。すごくシンプルな食器類などで有名な人だけど、そこに至るまでの作風の変遷なども観られたりするんだろうか?等と勝手な想像もしていた。それは多分、同じアラビア窯のデザイナーで、2019年4月末から6月半ばまで東京駅ステーションギャラリーで開催されたルート・ブリュックの展覧会(http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201904_rutbryk.html)がそう云った構成だったので、僕の想像は自ずと同じ方向に傾いてしまっていたのだと思う。

 で、実際どうだったかと云うと、ひたすら、ひたすら~にシンプルだった(^^;。


 たとえばカイピアイネンやルート・ブリュックとは違って、カイ・フランクは一貫して全くの工業デザイナーなんだなぁ。それは「作品」と「製品」の違い、と云っても良いのかも。

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 誤解しないで欲しいのだが、それはカイ・フランクが作家性の強い他のデザイナー達に芸術的に劣ったり、ツマラナイなんて云う意味ではない。カイの「製品」は工業デザインが語られる時によく目にする「無名性」って言葉の当てはまる最たるプロダクツであり、その点で先駆者であるが故に偉大な存在なのだ。彼が手掛けたのは人々の日々の暮らしの中で使われる事を第一に考えたシンプルな製品=道具。その普遍的なコンセプト、エッセンスは、例えば現代の日本女性達が好むお洒落雑貨店等で大量に売られる「無名」の食器たちに計り知れない影響を与えている。買い手がその名前もデザインの1つも知らなかったとしたって、カイ・フランクそっくりな品物を手にしている可能性は幾らでもあるのだ。例えば彼のデザインとして1953年に発表されたキルタ(KILTA)、未だにロングセラーを続けるイッタラのティーマ(TEEMA)のシリーズが最たる例だろう。そのシンプルさと製品の無名性ゆえ、今更もうカイ・フランクのコピーがどれ程世界中に溢れているかだなんて、わざわざ考えるのが馬鹿馬鹿しくなってしまう程の物なんだから。

 そんな製品デザインよりも尚、今回僕の興味を惹いたのは、カイが滞在時に自らがシャッターを切った日本の風景の写真の数々だった。それらが北欧のモダンデザインと柳宗悦らの民芸運動との接点だとか、見る僕の気持ちをそんな方向へと誘う。ああそう云えば、近代美術館の鎌倉本館で観た『シャルロット・ペリアンと日本』(2011年)もモダンと民芸って、同じ様な方向性の展覧会だったっけ。



★ ★

 
 一通りカイ・フランクの作品=製品たちを眺めてから、この日のもう一つの目的の為に美術館の庭に出る。その目的とは、2016年に閉鎖されてしまった神奈川県立近代美術館・旧鎌倉本館(※本館建物は鶴岡八幡宮にて鎌倉文華館鶴岡ミュージアムとして保存利用されることになりました→https://www.townnews.co.jp/0602/2019/03/29/475716.html)に置かれていたオブジェ達がその後、こちらに引っ越してどんなふうに展示されているのか、確かめておきたかったんだ(^^。

※参照過去記事→『サヨナラ、カマキン』(https://ilsale-diary.blog.ss-blog.jp/2016-02-07


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◆山口牧生 / 『棒状の石あるいはCosmic Nucleus』(1976)

 この写真に写る、横長の大きな棒状の石だって、ただの庭石じゃないんだよ(笑)。これも元々は旧鎌倉本館の建物正面に配してあったもの。


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◆空 充秋(1933~) / 『揺藻 See Weed』(1988)

 これも鎌倉からの引っ越し組。


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◆鈴木昭男 / 『《音(おとだて)プレート・葉山(3点組のうち)』(2012)

 この写真を見ただけでは「?」な作品(笑)だと思われますが、ここに立って、海を見ながら潮騒の音など聴いてみて、ってことでの耳マーク。


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◆西雅秋 / 『大地の雌型』(2003~5)

 陸に上げられ底を晒した小舟ってことかしらん?。繰る人ももういなくなって、その役割を失って、永遠に砂浜に、ただ取り残されて。「・・・小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたわむる」的な、啄木ちっくな寂寥感をイメージしてみる。

 そうして、後からタイトルを読んで自分の持ったイメージと作者の意図を答合わせしてみたりするのですが、全然違うみだいだな(苦笑)[たらーっ(汗)]


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◆アントニー・ゴームリー(1950~) / 『Insider Ⅶ』(1998)

 今日ここに来る前に一番楽しみにしてたんだ。ゴームリーはどこ?、って(^^。鎌倉では池の水で近寄れず、な場所に配されていた彼だけど、今回は庭園の通路と建物を隔てる植え込み、それもそこそこ勾配のあるこの傾斜!の先とは、随分とまた遠いなぁ~。もっと近くで見たいのに(苦笑)。


県立近美葉山_庭08.JPG
◆西 雅秋(1946~) / 『イノセンス-火-』(1991)

 こちらも以前は旧鎌倉館本館の池の上に在ったよね。そのシチュエーションとこの形状の見た目から、僕は何となく海底探査船をイメージしてた。でも、水の無い今度のこの場所だと、果たしてファーストインプレッションで同じふうに感じただろうか・・・。いや、そうは思わないだろう。タイトルに頼れば、火ってことは、釜?。じゃ、「イノセンス」はどう解釈すればいい???。

 それが何か。理解しようと試みれば、現代美術はかくも難解だ[ふらふら]


県立近美葉山_庭11.JPG
◆保田春彦 / 『地平の墓舎』(1993)


県立近美葉山_庭12.JPG
◆李禹煥 / 『項』(1985)


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◆ホセイン・ゴルバ / 『愛の泉』(1993-97 / 2004鋳造)

 見た目どおりの水栓柱で、右端に有るボタンを踏むと実際に水が出るそうな(^^。


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◆若林奮 / 『地表面の耐久性について』(1975)


県立近美葉山_庭16.JPG
◆清水 九兵衛(1922~2006) / 『BELT』(1978)


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◆中島幹夫 / 『軌 09』(1966頃)


県立近美葉山_庭18.JPG
◆富樫一 / 『ハーモニーⅡ』(1972)


県立近美葉山_庭19.JPG
◆眞板雅文 / 『天地の恵み』(2003)

 この写真では全く判らないと思うけど、竹の中に青銅色のカナブンらしき虫がいる(このページのトップの写真参照)。


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◆『石人』(1966) ※オリジナルは6世紀前半の扁平石人。岩戸山古墳出土で大分県日田市設置


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◆イサム・ノグチ(1904~1988) / 『こけし』(1951)


県立近美葉山_庭25.JPG
◆柳原義達 / 『裸婦 座る』(1958)


県立近美葉山_庭26.JPG
◆木村賢太郎  / 『作品-55』(1961)

 もう一通り見た積もりになって、さてそろそろ帰ろうとカメラもしまい、バス停に向かって歩き出したら駐車場の脇にまだコイツがいた[あせあせ(飛び散る汗)]。旧鎌倉館本館ではイサムノグチの『こけし』のすぐ後ろに置かれてたよね。目立たないんじゃない?、この場所。危うく見逃すところだった(^^;。




 神奈川県立近代美術館の鎌倉本館閉館後、2016年12月に撮影された「イサム・ノグチのこけしが鎌倉から葉山へお引っ越しする」模様の動画が有りましたのでご紹介。なんか和むわ[わーい(嬉しい顔)]





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