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続・井伏鱒二の『かきつばた』とオフィーリア [本]

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 この1つ前のエントリに、僕が自宅で鉢にて育てているハナショウブが思いがけず八月になってから花を咲かせた話を書きました。本来は6月初旬の頃に咲く花ですから、これは「狂い咲き」と云える出来事なのかもしれません。2か月もまるまる時季外れなのにも係わらず、葉の中程から豆鞘を開く様にして花茎が現れて、その先端が蕾となって上へと伸び始めました。尖ったその先端が膨らみつつ、徐々に色が現れ始めます。真夏の焼け付く様な酷暑にも負けずに蕾が成長し続けると、約2週間を経て閉じた雨傘の様な形となり、その傘が濃い紫色にしっかり染め上がれば、それはあと数日内に間違いなく花が咲くだろう予告となります。その様子を、僕は驚きと少々の戸惑いを以て日々眺めていました。そうして同時に、小説家・井伏鱒二作のこの短編『かきつばた』の事を思い出していたのです。

※今回のエントリでは、井伏鱒二の小説を作品名そのままに『かきつばた』と二重鉤括弧+平仮名で表記し、植物の方を”カキツバタ”としてカタカナ表記し、双方が混在しない様に統一して表記してあります。





 初めてこの短編小説を僕が手に取ったのは、そう昔の話でもありません。ヘッセの『アヤメ』に感化されて、実際にジャーマン・アイリスや三寸アヤメを育て始める様になった後ですから、せいぜい10年に満たない位の話です。「へ~、井伏鱒二に『かきつばた』だなんてタイトルの小説が在るのか。カキツバタの花をどんなふうに描写しているんだろう。アヤメ科繋がりで読んでみたいな」。作品に対する予備知識は一切無し。軽い気持ちで読み始めたものでした。

 ですが、正直なところ、一回読了しても全くピンと来ない小説だったなぁ。

 昭和20年8月の福山を舞台にして、空襲予告が出て疎開を強いられている事、詳しい情報がまるで知られていなかった原爆投下と放射能被ばくの事、終戦後の事などがそこでは綴られているわけなんですが、主人公「私」の淡々とした語り口はどこか写生的で展開の起伏に乏しく、小説と云うよりは日記の様だなとも感じました。当たり前の様に、耐えがたい心労や苦痛ばかりが続いた頃だったと想像してしまう昭和20年8月の、尚且つそれも広島県内のお話なのに、そう遠くない福山には、と云うか主人公の語る当地の雰囲気からは切迫した空気は感じられない。むしろ長閑にさえ思えてしまいます。困ったなとは思えども、それ程恐怖している感が伝わって来ないのですね。あまりに当事者的でなく、その眼差しは傍観者の様。主人公は福山の駅周辺を歩きながら、米軍からの空襲予告に因って、この風景は見納めになるかもしれぬ、と語っています。今歩いているその場所が、間もなくの空襲で焼け野原にされると予測出来ている筈なのに、です。僕はこの主人公の当事者感の薄い語りに、ずっとモヤッとした違和感を感じ、その気持ちはこの本を一度読み終わった後でさえ、何ら消えないものでした。


 「いずれがアヤメかカキツバタ」などと美しいものの喩えとして並び称される花。アヤメには乾燥を好む種と、ハナアヤメの別名で呼ばれるハナショウブの様に湿地に育つ種が有ります。アヤメ科アヤメ属の中でも特に近い種の花であるカキツバタとハナショウブはともに湿地を好み、水辺で群生する植物です。2つはよく似た姉妹みたいな花だと、僕は常々思ってきました。

 今回、我が家のハナショウブが”狂い咲き”した事から井伏鱒二の『かきつばた』を思い出して、僕の鉢植えにさえ、思いがけずこんな出来事が起きるのだから、井伏も昭和20年の8月に狂い咲いたカキツバタを本当に見たのかも知れないな。あの小説の設定も、あながちフィクションだと決めつけられなかったな、と考えるに至りました。これまでは、本来は5月に咲くカキツバタが3ヶ月も遅れて、真夏の8月に咲くだなんて絶対に有り得ないと決めつけていましたから。

 それをきっかけに改めてこの『かきつばた』を読み直してみたと云うわけですが、やっぱり前述した傍観者的視線への違和感は変わらず、モヤモヤした儘でした。僕にはこの物語に入り込んで行けない。主人公の傍観者的視線の、更に外から、ただ何となく光景を文字で追っているだけ。結局、再読したところで理解出来ない話なのかなぁ。そんなふうにまるでピンと来ない物語ですが、まぁとても短い作品だから苦にはならない。取り敢えずは最後まで再読しましょう。

 そうして、この話が最終盤に差し掛かるところまで読み進めます。たった1輪だけのカキツバタが狂い咲きした池の辺に、ある日の朝唐突に若い娘の死体が浮かぶ。何が理由か、この時代に精神を病んでしまったその娘は、空襲に次ぐ空襲の恐怖の中で逃げ惑い、どうやら誤って池に落ちてしまったらしいと云う筋書きです。展開の起伏の乏しいこの物語に、漸く、その題名にも冠された花であるカキツバタがモチーフとして語られる場面になります。

 その水死体を偶々目撃してしまった主人公が語り出します。もう一人、これとは別のカキツバタの咲く東京の池で水死体となって浮かんだ、哀れな若い娘の話を。

 ふと私は思い出した。それは誰からきいた話か思い出せない。それとも誰かの書いた物語の一部であったかもわからない。私の思い出したのは濃艶なカキツバタの花である。
(  中 略  )
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 誰か青年が、こんなように窓から池の見える二階に下宿していた。場所は東京の場末かどこかである。
 その青年は文学志望の男であった。窓の下の池には、水の落口のところに片寄ってカキツバタが生え、花が満開であった。その池を隔てた埋立地に、若い指物師とその妹の住んでいるみすぼらしげな家があった。指物師と妹は兄妹仲がよくも悪くもない。妹は奉公に出ているといころを父なし児(ててなしご)を孕んで帰っているところであった。

--ある朝、青年が何気なく窓から池を見ると、カキツバタの咲いているそばに、指物師の妹が仰向けに浮かんでいた。きれいな着物をきて、その着物の袖が金魚の鰭(ひれ)のように水の中に垂れさがっていた。指物師は妹の死体を見つけると、水の落口のところを大きくまたいで水面に向かって大きく前こごみになった。伸ばした手が妹の死体に届いた。指物師は妹の片方の袖を水から引きあげて、それを妹の膨れたおなかの上に乗せた。同じように、もう一つの袖を妹のおなかの上に乗せ、行儀よく手を重ねたように袖を重ねた。そうしておいて、指物師は大急ぎで横丁の方へ出て行った・・・・・・。


(井伏鱒二作 『かきつばた』より引用)



 僕には何故、この東京のどこかの池で死体となって浮かんだ娘の話と、福山の娘とが対比並列されて語られる必要が有るのか、全く理解出来ませんでした。頭の中で、文章そのままに情景を思い浮かべる事は誰にでも出来ること。それをしてみたところで、僕には作者がこの小説を通じて何を表現したくて、読者に何を伝えたいのか、意図がまるで掴めなかったのです。現代に思う美しい言葉でないのを承知で漱石の『草枕』ふうに云うならば、この2人の”土左衛門”(^^ゞが示すもの、結ぶものって、何なんだろう?。


★ ★


 若い狂女が死して水に浮かぶ様を想像する内、ジョン・エヴァレット・ミレイの『オフィーリア』の絵を思い浮かべるに至った、とは前回のエントリで書いた内容ですが、『ハムレット』とこの『かきつばた』を実際に重ねて考えてみようなどとは、当初は全く思いつかないことでした。漠然とミレイのオフィーリアのイメージには辿り着いたものの、それは全くの当て勘の様なものであって、僕が普段から絵が好きだからこそ、頭の中で両者の情景が重なって見えただけだと軽く考えていたのです。

 ですが、偶々思い浮かべたオフィーリアの絵がドラクロワなどでなく、ミレイのものでしたから、それならば、シェイクスピアから直接の引用ではなく、ひょっとして、間に漱石の『草枕』が1枚噛んでいるのではないかとも考えられました。その作中にミレイの『オフィーリア』がイメージとして登場することで知られていて、漱石の美術愛を語る上では外せない作品ですから。それを井伏が読み識っていたとしても、全く不自然な事とも思えません。加えて、彼は小説家を目指す以前には画家として身を立てる事を夢見ていたそうで、趣味としての絵筆は終生手放さなかった程。絵画への関心は常に人一倍持っていたのです。

 今回ここで『草枕』にしっかりと話を振ってしまうと、きっと「非人情」とは?だとかから始まって、話のヴォリュームがとんでもない事になって仕舞うのが目に見えて恐ろしい(そもそも書き上げられなくなる?・・・苦笑)のでサラッと流します(^^;が、漱石の方は、あくまで主人公の画工自らが描く理想の絵画を追求する為に、その最重要イメージとしてミレイの『オフィーリア』の絵そのものを登場させています。「あんな絵が描けたなら!」と云う引用の仕方ですから、『ハムレット』の内容そのものには深く立ち入りません。

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◆山本丘人 / 『水の上のオフェリア』

 新聞小説であった『草枕』は一般大衆への認知度も高かったため、漱石没後10年に当たる大正15(1926)年の夏に日本画家・松岡映丘によってその文章世界を絵画化する試みが企画され、映丘率いる新興大和絵会に属する弟子達総計27名(その中には山口蓬春や小村雪岱の名が含まれる)によって制作、『草枕絵巻』として発表されています。オフィーリア(オフェリア)=お那美さんが水に浮かぶ最重要場面は山本丘人が担当。当然日本女性に変換して着物を着せています。

 水面には初夏を思わせるまばゆい陽が差して、川辺には愛らしい花々が咲き誇っています。そんな中、画中の女性の青い着物の裾は足先へと金色の光に煌めいて、ゆらゆらと浮かんでいる。その裾先の描写がちょっと魚の尾びれの様にも見えませんか?。これは『ハムレット』の劇中、ガートルード王妃がオフィーリアの最期を語る際、こう言葉にしているからなのでしょう。
 
 「オフィーリアはきれいな花環をつくり、その花の冠を、しだれた枝にかけようとして、よじのぼった折も折、意地わるく枝はぽきりと折れ、花環もろとも流れのうえに。すそがひろがり、まるで人魚のように川面をただよいながら、祈りの歌を口ずさんでいたという。」

(シェイクスピア作『ハムレット』第4幕第7場 福田恆存訳 より引用)

 そう。シェイクスピアの記述に倣って、『草枕絵巻』のお那美さんも”人魚ふう”に描かれているのです。


 因みに、漱石以前にもオフィーリアは日本文学の作品中でイメージ化されています。漱石の『草枕』(1906=明治39年)を遡ること四年、尾崎紅葉の大ベストセラー、『金色夜叉』(※1)の単行本のページを挿絵で飾っていたのは鏑木清方。 

鏑木清方_金色夜叉.jpg
(※1 元々は読売新聞にて1897=明治30年の1月1日から 1902=明治35年5月11日まで連載)

 元々の画像(別冊太陽 鏑木清方-逝きし明治のおもかげ-よりスキャン)がそもそもあまり鮮明でないので判りにくいかもしれませんが、髪の長い女性が水に浸かって倒れている図です。僕は『金色夜叉』は読んでいないので、場面説明を文中の解説に頼りますと「三十四年結成の烏合会第3回展に紅葉の慫慂(しょうよう=そうする様に強く勧めること)によって描かれた、夢の中でのお宮の水死場面」だそうで、仰向けでないのでミレイの『オフィーリア』とは一見違う様ですが、清方はラファエル前派の影響下に在ってこの挿絵を描いたんだそう。

 いやいや。僕が想像していた以上に、相当古くからエヴァレット・ミレイの『オフィーリア』は日本の文学界や美術界に多大な影響を及ぼしていた様です。


 清方には『妖魚』(大正9年)と云う人魚を描いた六曲一双屏風も有って、人魚繋がり(?)でこれもオフィーリアの変奏か?。もしくは同じラファエル前派でもこちらはウォーターハウスか?等とついこじつけてしまいたくなるのですが、これは『道成寺』の清姫の半身蛇や、もしくはその作品に挿絵を提供していた泉鏡花のあやかし、妖奇的作品世界の影響が大きいとのこと(※2)。清方は『高野聖』がお気に入りだったんだそうな。
(※2)不思議、奇怪なことや妖怪そのものを「あやかし」などと云うことがあるが、船が難破する時に海上に現れるという化け物もあやかしの名で呼ばれる


 もう察しの良い方は気付いて居られるやもしれませんが、何故、ここに来て人魚をキーワードにしてお話をさせて頂いているのか。井伏鱒二の『かきつばた』に人魚は出て来ません。出て来ないんですけど、こんな記述は有ります。既に上で引用した、指物師の妹が仰向けに浮いている場面です。

「きれいな着物をきて、その着物の袖が金魚の鰭(ひれ)のように水の中に垂れさがっていた」

 僕は山本丘人の『水の上のオフェリア』を眺める内に、オフィーリアが『草枕』の那美に変換されるのを見て気付いたのです。ああ、これは日本のシェイクスピア演劇で古くから採用される手法と同じなんだなと。髷を結って、着物を着て、刀を持つ日本人が演じるシェイクスピア劇。黒澤明が『マクベス』を下敷きに、映画『蜘蛛巣城』(1957)やリア王で『乱』(1985)を撮った様に。

 そう思い始めると、『ハムレット』の「人魚のよう」と『かきつばた』の「金魚のよう」も同じこと。それでも東京の池に人魚はさすがに無いだろうと、井伏が少々捻って”変奏”してみたのではあるまいか。ここに至って、ようやく東京の方の”土左衛門”が、確信を持って、オフィーリアと重なって見えて来たのです。

 そうか。
 福山の娘と狂い咲きしたカキツバタは、戦争でおかしくなった人の心や当時の日本社会の狂気の象徴ってわけか。物語冒頭で主人公はその花を「濃艶」と述べているから、二人の哀しい娘たちもきっと、カキツバタの化身の様に美しい娘だったんだろう。そして、東京の娘の話を「誰かの書いた物語の一部」かも知れぬとわざわざ記しているのは、『ハムレット』の一部であるオフィーリアの悲劇を切り取ってるって事を、作者は暗に表明しているんじゃないだろうか。


★ ★ ★


 ところで、東京の池の娘には指物師の兄がいます。何故、作家は設定として、身籠もって奉公先から戻される家を親元ではなく、兄との二人暮らしとしたのでしょうか。おそらくそれは、池に浮かぶ娘がオフィーリアなのだとしたら、兄もレイアーティーズとされるわけなのでしょう。

 池の上の妹を発見した兄は落口を跨ぐようにしてそばへ近寄り、水の中へ手を届かせます。妹の身体はその場で浮かせたまま、静かに慈しむようにその両手を膨らんだ腹の上で重ねて合わせてやります。敬虔に、神に祈りを捧げているかの様に。それが、この娘とお腹の子に執り行われる葬送の儀式の全てなのです。

 このどこかキリスト教的行動にも思える情景は、『ハムレット』の劇中のとあるシーンと、僕の中で繋がるのです。その死因について、入水自殺の可能性も否定出来ない事を理由として、キリスト教徒としてのオフィーリアの葬儀は牧師に依って拒まれます。祈祷さえも満足にあげて貰えない埋葬のみのあまりに簡素な儀式に、レイアーティースは悲憤し、最後にもう一度妹の亡骸を抱きしめようと墓穴に飛び込むシーンと重なるのです。

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◆『燕子花図屏風』 / 酒井抱一(1801=享和元年作)出光美術館蔵

 そうして、指物師は遺体も引き上げぬ儘、最後に大急ぎで横丁の方へ向かいます。一体彼はどこを目指したのでしょう?。医者でしょうか。それとも警察でしょうか。いや、彼がレイアーティーズならば、誰が妹をこんな目に遭わせてくれたのか、憤怒の炎を燃やし、ハムレットならぬお腹の子の父親を討ち果たそうと駆け出して行ったのかもしれません。





 最後に蛇足になりますが、漱石先生ったら『草枕』の大事な最終場面で、ミレイの『オフィーリア』の様子をうっかり思い違えた儘に記述なさっておられますね(^^;。今と違って見たい時にささっと画像が確認出来る便利な時代じゃないんだから、それも仕方の無い事だとは思いますが。

 「オフェリアの合掌して水の上を流れて行く姿丈は、朦朧と胸の底に残って、棕櫚箒(しゅろほうき)で烟(けむり)を払う様に、さっぱりしなかった」

 とありますが、ミレイの『オフィーリア』はこのページのトップの画像でもご覧頂けますが、実のところ”合掌”して描かれてはいませんね(笑)。『かきつばた』の指物師の兄が妹の両の手を重ねて組んでやるシーンは、井伏がわざわざ漱石の間違って記したとおりに、合掌(=祈り)していなかった絵を合掌していた様に、祈りの場面として修正を加えてあげた様にも読めて、そう思うとちょっと面白い。これで朦朧は晴れてさっぱり出来ましたでしょうか?、漱石先生(^^ゞ。


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