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映画『ブルゴーニュで会いましょう』と1er Cruと [映画・DVD]

2016年12月18日(日曜日)
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 14時半待ち合わせで六本木のサントリー美術館へ出向き、『小田野直武と秋田蘭画』(http://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2016_5/)と云う江戸絵画の展覧会を観てからお茶も飲まずに直ちに渋谷へ移動。Bunkamuraで久し振りに映画を観る。そのタイトルは『Premiers Crus(邦題:ブルゴーニュで会いましょう)』。(公式サイト : http://bourgogne-movie.com/

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残照の描き方についての独り言 / 映画『カルテット』より [映画・DVD]

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 6月も下旬に差し掛かった頃、『カルテット -人生のオペラハウス-』(公式サイト:http://quartet.gaga.ne.jp/)と云う映画を観た。(以下、本文には映画の粗筋、個人的な感想などその内容についての言及を含みます。これから作品をご覧になろうと思っておられて、かつ余計な先入観やネタバレを望まれない方はくれぐれもご注意を^^ゞ)。


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モンテーニュ通りのカフェ [映画・DVD]

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 今から少し前の話題になるけれど、エコールド・パリの画家、モディリアーニが制作した彫像が、パリで行われたクリスティーズのオークションにて、なんと48億円もの高額で落札されたと云うニュースがあった。

http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2736125/5879512

 これは、モディリアーニの絵画を含めた全作品に付けられた値段の中で、過去最高値。
 そもそも、今回の落札予想価格も400~600万ユーロ(約4億5000万~6億7000万円)程度だと思われていたそうだが、結果としてクリスティーズさえ思いも寄らなかっただろう高値がつけられてしまったわけだ。これにはきっと、モディ自身も吃驚だったろうなぁ。絵じゃなくって彫刻に?、って。


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映画版・魔笛(THE MAGIC FLUTE)でオペラ入門 [映画・DVD]

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 え~っとですね、今回のお話は、そもそもはまるまるこちらの記事“”に対するコメントとして書き始めたものがベースだったりします。たまたまタイミング良くオペラ映画版の『魔笛(THE MAGIC FLUTE)』を観てみたところだったので、その話をしてみようと。でも、コメントにしちゃぁ随分長くなり過ぎてしまったし、結局はオペラそのものではなく映画の話だし・・・。なんだかやっぱりご迷惑かも(^^ゞ。そうだ[ひらめき]、それならいっそ、もう少し書き足して記事にしてしまおう、ってな具合に、安直にひらめいて書くことにしてしまったのが今回の記事なのです。ただ、内容の方はいつもどおりに脱線しまくりの支離滅裂状態にございます。オペラ門外漢に付き、その辺りは寛大なるお気持ちを以て、何卒ご容赦を(^^ゞ。

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クリスマスの頃に思い出す映画 [映画・DVD]

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 世界的な経済不安が拡がり明るい話題が本当に少ない昨今ですが、それでも季節はもうじきに年の瀬。クリスマス・シーズンですね。華やかにきらめくツリーの電飾の下で、楽しげにはしゃぐ幼い子たちの様子など眺めていると、微笑ましく、ほんの一時ではありますが、世相の暗さを忘れられる様な気がします。

実はこのツリーの写真を撮った日は、今年も何か良いクリスマス・アルバムが出ていないかなぁとCDショップへ出掛けてみたのですが、試聴してみるとどれも今一つ気に入る様な内容ではありません。昨年手に入れたティル・ブレナーエミリー・クレア・バーロウの作品がとても気に入っていたので、これらと同レベルであれば喜んで買って帰って、このblogでレヴューなんぞ書いちゃおうかと考えていたのですが、どうやらあっさり空振りしてしまった模様(苦笑)。

 その代わりと云ってはなんですが、特にクリスマスがテーマでなくとも、クリスマスの頃になると、つい僕が思い出してしまう映画を2つばかりご紹介しておきましょう。

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自分解釈用「真珠の耳飾りの少女」(その2) [映画・DVD]

 (その1):http://blog.so-net.ne.jp/ilsale-diary/2006-01-19 から続く


 グリートはいつでも頭巾を被っていた。他人の前では決して髪を見せない。厳格なプロテスタント家庭で育った彼女が髪を見せると云う事は「特別な事」なのだ。

 グリートとピーターはとある休日、彼女の実家へと向かうために歩いていた。誰も居ない田園の道すがら、ピーターは君の髪の色は何色かと訊いた。巻き毛かストレートか、長いのかと矢継ぎ早に訊いた。じゃれるようにピーターが気軽にグリートの頭巾に手を掛けると、彼女は咄嗟にきつく拒絶してしまう。グリートの母にも気に入られてすっかり恋人気取りのピーターに対し、フェルメールへの思いを胸の奥に秘めているグリートは今一つ優しく出来ない。この日も彼女の家では娘とその「恋人」の到着を母が待って居てくれると云うのに。

 自分の絵に関心を寄せるグリートに、フェルメールは絵の具の準備をさせるなど、次第に自分の傍で手伝いをさせるようになっていた。

 或る日の事。書きかけの作品のキャンバスを見つめ、グリートが首を傾げている。フェルメールが背後から声を掛けると、色が合っていないのは何故かと問う。モデルのスカートはブルーだったのに、絵の中では真っ黒に塗られていたからだ。

「水差しを持つ女」

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自分解釈用「真珠の耳飾りの少女」(その1) [映画・DVD]

 最近になってようやく、以前からずっと観たかったこの映画真珠の耳飾りの少女をDVDで観ることが出来ました。

 実はもっと早く観る機会が何度も有ったのに、偶然見掛けた個人の方の評をNetで読んで「ふーん、そんなものなのかぁ」なんて、ちょっと気持が冷めてしまっていたのです。 

 でもそれは間違っていました。人のマイナス評に惑わされずに、もっと早く観るべきだったと後悔しています。ワン・シーン毎に拘り抜かれた室内セットと美しい映像はまさにフェルメールの絵画の世界をそのままに再現しています。何気ないシーンに様々なフェルメールの作品が埋め込まれているような、いや、全てのシーンが彼の作品に繋がって撮影されているかのような気さえしています。

 ストーリー自体は創作ですから、それには様々なご意見も有ると思います。フェルメールの描画技法などについてアカデミックに探求されているような方には、ちょっぴり首を傾げてしまうような描写も有るのかも知れません。実際僕が読んだ批評文も、「事実にそぐわない陳腐な甘ったるいラブストーリー仕立てでつまらない」との厳しい内容でした。

 しかし、難しい学術的なことを抜きとすれば僕はこう云った「行間」を読み取らなければならないような話は元々嫌いではありません。主人公達の心の内側、少女の異性への憧れ、恋、愛、欲望、そのどれもが微妙に揺れて描かれ、決してはっきりとは語られませんが、それは全て見る側の想像や咀嚼力に委ねられているのであり、観た人の感ずるところ、思うところが、この映画のストーリーが完結する場所なのです。

 僅かな指の動き、表情、視線の移ろいから我々が欲するところの感情を読み取らなければならないのは、なかなかにやっかいでは有ります。なんとも曖昧で、不安定で、二度三度と繰り返しじっと観て、初めて気が付く事が幾つも有ったりして。きっと主人公自身も判らなかった、確かめられなかった疑問点についてああでもない、こうだったのかも知れない等と考えているわけで、多分、脚本家が構成として頭に思い描いた“正しいところ”は、僕が導き出すのは難しいだろう事も判っています。

 それでも、映画を見終わってから改めて「真珠の首飾りの少女(=青いターバンの女)」の彼女を見つめると、今にも真実を語り出しそうなその唇が、余計に甘くミステリアスな魅力を増していることに気が付くのです。

 この絵に描き出された彼女の「心」とは?。その「心」をフェルメールはどう受け止めていて、どうしたかったのか、どう出来なかったのか。

 これはあくまで自分の為に書くのです。もっと徹底的にこの映画のストーリーの真意を探りたい、登場人物達の心の機微を深く捉えたい、そしてそんなシーンに実際にフェルメールの絵を当てはめてみたい。そう考えた僕は再度DVDを観ながら、ストーリーを文章に書き起こしてみることにしました。多少の自分なりの解釈は加わりますが、こう云うことでこのシーンは存在するんだ、って自分なりの確認の方法にしたかったのです。

 そんな自分の欲求に従う上で、偶々blogというメディアがそれを手っ取り早く視覚的に実現出来、かつ残せるものだからここに書いてみるわけです。しかしこれは、これからこの映画を観てみようと少しでも思っている方にとっては、全く不向きなものとなるでしょう。きっと読まない方が良いと思います。だってストリーそのまま書き出すつもりなんですから。こんな長い前置きを読んで貰って申し訳ありません。くどくも繰り返しますが、これは自分がもっと解釈したいが為の、自分の為のページなのです。

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