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アングルのバイオリン [ART]

Ingres_valpincon.jpg
◆ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル / 『ヴァルパンソンの浴女』 (1808) ルーヴル美術館蔵

 フランスには「アングルのバイオリン」なる言葉が在ると聞く。アングルとは、18世紀末から19世紀に掛けて活躍したフランス新古典主義絵画の巨匠、ドミニク・アングル(1780-1867)その人のこと。女性を美しく描く事にかけて並ぶ者無しと謳われた画家の趣味は畑違いの音楽演奏、バイオリンを弾くことだった。その腕前はまさに玄人はだしで、聴く人を皆惚れ惚れさせるくらいに見事だったことから、誰が言い始めたか「アングルのバイオリン」とは“得意の余技”を表す慣用句として使われるようになったと云う。ところが、これに真っ向から反対の意味を唱える人もいる。彼のバイオリンの腕前は、実のところ全くの素人レベルであり、聴衆を魅了する事など到底及ぶべきも無い程度のものだったと云うのだ。そして、この説に従えば、「アングルのバイオリン」とは“下手の横好き”を意味する言葉として伝わっているのだとか。

 はてさて、一体どっちが本当なんだろう?。


アングルに関連する過去記事
 ・ピカソの「白い服の女」から“お手本”を遡る(その1) :→ http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-01-06
 ・ピカソの「白い服の女」から“お手本”を遡る(その2) :→ http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-01-08




 そもそも僕がこの「アングルのバイオリン」と云う言葉を知ったのは、読んでいたルーヴル美術館の関連本にその記述が在ったから。そこではアングルはバイオリンの名手として紹介され、言葉の意味ももちろん、“得意の余技”として記されていた。

 それは今から23年も前に刊行された本なので、残念ながら現在はもう絶版の様なのだが、日本放送出版協会(NHK)から出版されていた『ルーヴル美術館Ⅶ』と云う全7巻シリーズの最終第7巻・“ロマン派登場”。古い割には美しいカラー写真がふんだんに使われていて、唯一、案内役として登場する俳優の中村敦夫、島田陽子両氏の顔写真が随分とお若く感じる以外には(^^;全く時代を感じさせない、ごく最近のルーヴル関連の出版物と比しても何等劣ることのない素晴らしい解説本だ。

 何しろ執筆陣が豪華の極み。日本美術教育界の高名な先生方はもとより、ルーヴル美術館長のミシェル・デリニャ=ラヴォ氏はじめ同館学芸部、フランス文化省審議官などがペンを執り、この本が世に出た昭和63年当時に国立西洋美術館長であり、NHKの新日曜美術館の解説などでもお馴染みの高階修爾氏(現・大原美術館長)と共に監修及び編集責任を分担して当たったのもフランス国家の美術館総審議官氏と云った具合に、日仏第一級の美術研究者たちの共同制作に依って出来上がったものなのだ。

 で、あるからして、僕はここに書いてある事柄を果たして本当かどうかと疑う余地など、正に微塵も持たなかった。

NHKルーブル美術館Ⅶ.jpg

ロマン派登場 (NHK ルーブル美術館)

  • 作者: 高階 秀爾
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 1986/05
  • メディア: 大型本


 ところがつい先日のこと。
 今回の話とは関係のない、或る1枚の写真について少々調べたいことが有ってネットで検索を掛けていたところ、行き当たったページでアングルのバイオリンの腕前について、前述のように“下手の横好き”説に則った記述がされているのを見つけた。それが1つ所だけなら差して気にも留めなかっただろうけど、もう少しほかのサイトを巡ってみたところ、数カ所で同趣旨の内容が記されていて、尚かつその内の1つは、歴とした某公立美術館のサイト上に掲載されている学芸員さんの署名付きの文章だったのだ。 

 こちらの説では、アングルときたら誰彼の見境なく自分の演奏を聴かせちゃうのが何よりのお愉しみ(^^;。画家としての彼に用が有って訪ねて来た客人にも「それでは先ず1曲聴いて貰いましょう」ってな具合で、大巨匠のありがた~い申し出を無碍に出来るはずもなく、イヤだと云えない周囲の人々は大いに困惑させられていたらしい。なんだか、まるでアングルがドラえもんに於けるジャイアン(笑)の様な存在にも思えてきて、これはこれで面白いよね。

 もしかしたら、こんな逆説がアングルの地元・フランスでもまことしやかに語られているのかも知れないとの思いが、僕の中で俄に湧き出し始めた。それは決して安直に画家のバイオリンの腕前を疑うと云ったものではない。だが、アングルは新古典主義派の旗頭として多くの尊敬を集めた反面、対立するドラクロワ率いるロマン主義派支持の人々にとっては最大の攻撃目標でもあった(この2極的対立はやがて画壇を飛び越え、当時のフランス社会の政治体制を巡る大論争へと発展する)。要は彼を良く云う人も、そうでない人も確実に存在したわけで、そんな時代の情報の信憑性や事の裏表について考えてみたくなったのだ。ほら、去年の大河ドラマの中でも篤姫が樋口可南子さん演ずる母上様から云われて大切に守っていた教えが有ったでしょ、「一方を聞いて沙汰するな」って(笑)。pistaさん、お元気にされてらっしゃるかなぁ~(^^


★ ★


 『ルーヴル美術館Ⅶ』(前出)の中で「アングルのバイオリン」に触れているページには、何よりも線を重視した、この類い希なる才能を有した画家の素晴らしいデッサン画が掲載されている。

パガニーニの肖像.jpg
◆ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル / 『パガニーニの肖像』(1819)

 何の迷いもなく引かれる線。この絵を見る者が、たとえ描かれた人物の実際像を知らずとも、その正確さを全く疑わせる事など無いだろう完璧なまでのデッサン。ドガがこの線に夢中になったのも無理はない。目に映る対象を全くそのまま画として写し取ってしまうアングルのデッサン技量には、ただただ驚かされるしかない。この絵は画家がイタリア滞在中にローマで出会い友人となった作曲家であり、バイオリニストとして天才の名を恣(ほしいまま)にしたニッコロ・パガニーニ(1782-1840年)を描いた1枚だ。

 このデッサン画の解説に依れば、なんとアングルはその稀代のバイオリニストが結成したカルテットで第2バイオリン奏者を務めていたと記してあるのだ。

 クラシック音楽には基本的な知識さえ全く持ち合わせていないため、パガニーニが如何なる人物であったのか何も知らない僕は、彼についての記述が載せられている本、『大作曲家の知られざる横顔』(渡邊學而著、丸善ライブラリー)を取り寄せて早速読んでみた。すると、パガニーニと云うこの人物も並外れてケチとの風評を立てられたり、彼の常人離れした演奏を聴いてたちまち夢中となったナポレオン・ボナパルトの2人の妹たちから寵愛されてはそのどちらからも繰り返すように逃げ出すなどして、一筋縄ではいかないエピソード満載(^^;の大変興味深い人生を送った人物だったらしいことが分かった。

 しかし、パガニーニは音楽家。やっぱり音楽家の人物像を知るためには、何を置いても先ず音を聴いてみないとね。

 
Paganini_Violin Concertos.jpg

パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲全集(3枚組)

  • アーティスト: パガニーニ,ローレンス・フォスター,ミッシェル・サッソン,モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団,アレクサンドル・デュバッハ(Vln)
  • 出版社/メーカー: Brilliant Classics
  • 発売日: 2001/12/01
  • メディア: CD


 アングルがセカンドとして参加していたのはカルテットだったと云うことで、本来なら弦四重奏や室内楽の作品(参考CD→http://www.hmv.co.jp/product/detail/2661756)を、そしてメインアクトもさることながら伴奏を中心に聴いてみたいところなれど、当方このジャンルに不案内につき、たくさんあるカタログの中から何を買ったら良いのやら[たらーっ(汗)]。試聴出来るものはして考えてみた結果、今回はジャケットにアングルの描いたパガニーニのデッサン画を採用していると云う点に敬意を払ってこちら↑のCD(3枚組)を取り寄せてみることに。

 その演奏データを記しておくと、バイオリンの演奏がAlexandre Dubach(アレクサンドル・デュバッハ)、指揮者がローレンス・フォスター(disc#1)、ミッシェル・サッソン(disc#2&3)、オーケストラはモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団でレコーディングは1991年から94年にかけてのもの。

 クラッシック音楽については完全なる門外漢の僕なので、演奏に関する評などは畏れ多くて語るべくも無いのだが、若き頃よりルッカの宮廷音楽家も務めたパガニーニの音楽は基本的には軽やかで優雅。しかし、彼自身は「悪魔的」とまで呼ばれた超絶技巧を有するスーパー・バイオリニストだったとのことで、このCDでのデュバッハの演奏も相当にテクニカルなもの。単純に、繰り出される音数だけ考えてみても、相当に激しく素早く、なおかつ正確な運指のスキルを持たなければ、楽譜に向き合うことさえ許されないような曲がほとんどだ。クラッシックなので実際は当然に譜面通りなのだろうが、バイオリン・ソロなどはパガニーニ自身の感性と指から自然発生的に解き放たれたような感覚すらして、これにはまるでジャズに於けるインプロヴィゼーション・パートを聴いている心持ちさえする。こんな僕でも退屈とは無縁。意外と、いやいや、かなり楽しめちゃうではないか[わーい(嬉しい顔)]。中には聴き覚えのある旋律の楽曲も幾つかあって、これがパガニーニだったのか!、と気が付かせてもくれたりして。

 さて、ここで本来の話題に立ち返ってアングルのバイオリンの腕前に再び思いを巡らせてみよう。

 直接パガニーニの演奏に触れたわけでないにせよ、彼の楽曲の演奏難易度が高いのはCDを聴いてみてよく分かった。それを踏まえた上で、祖国イタリアのみならずウィーンやパリなどヨーロッパ各地でことごとく聴衆を熱狂させたパガニーニの楽団のセカンド・バイオリニストが、伴奏がその役割の中心とは云え、「下手の横好き」レベルの素人楽士に務まるわけがないと考えるのは、ごくごく自然な推測と云えるのではないだろうか。時にはパガニーニに合わせて相当難しいユニゾンを弾く必要だってあったことだろう。

 加えて、Wikipediaのパガニーニの頁で紹介されている彼の生前の逸話を知れば、その思いはさらに強まる。

 彼は自分の技術や楽曲が他人に研究されるのを極端に警戒し、楽譜は全て自らが管理してほとんど出版させなかったと云う。自分の演奏会で伴奏するオーケストラの面々にでさえ直前まで楽譜を渡さず、また、その楽譜にでさえパガニーニ本人が演奏するソロ・パートの記載は一切無かったのだとか。また、演奏会が終わればその楽譜は直ちに回収される徹底ぶり。要は、パガニーニと共に演奏する為には、高いレベルでの読譜能力と、初見の楽曲をほんの僅かな期間での練習でマスターする適応力が要求されるわけで、これは相当な技量を持った演奏家でなければこなせない仕事。またパガニーニの演奏のギャラは当時の並み居る演奏家の中でも破格であり、コンサートのチケットも当然の様に高額だった。彼の演奏会へ出掛けると云うのは、当時のヨーロッパ社会では一種のステータスの様なものでさえあったのだ。もし、アングルがきちんとしたレベルの演奏会でパガニーニと共演していたのなら、たとえパガニーニが友人としてアングルの腕前の拙さを許したとしても、それなりの技量を以て演奏が出来なければ、高いチケットを買わされた聴衆は決してその素人演奏を許さなかったことだろう。


★ ★ ★


 さて、僕はアングルがバイオリンを巧みに弾きこなすと云う情報を先ず得てそれを信じていたため、どうもそのサイドに立ってこの話を肯定してしまいがちで、これだけ高度な楽曲を演奏をするパガニーニの楽団で第2バイオリニストまで務めていたのだから間違いあるまい、と云う論法で物を考えてみたのだけど、これとてあくまで推論に過ぎない。第一、根拠としたパガニーニの楽団に在籍していた話自体、真実なのかどうか確かめてもいない。

 だから、本当のところは何もハッキリ出来ないままに変わりはないのだ。

 でもね、アングルが亡くなってからおよそ50年後のフランスで、アメリカから渡って来た一人の男がこんな写真を撮っているので、ちょっとご覧になってみて頂きたい。

Ingres's Violin.jpg


 その男の名前はマン・レイ。写されているのは、レオナール・フジタなどエコール・ド・パリの画家たちのモデルとしても有名な“モンパルナスのキキ”。アングルの描いた『ヴァルパンソンの浴女』(写真トップ)を下敷きにして、キキの背中にエフ・ホールを描き足してバイオリンに見立てていると云うわけなのだ。そして、彼はこの写真のタイトルを『アングルのバイオリン』』(1924、京都国立近代美術館蔵)と名付けた。

 マン・レイは、当時の恋人でもあったキキの身体を、アングルがこよなく愛したバイオリンに見立てて作品としたわけで、彼の制作意図がどんなものだったかは分からないにせよ、アングルの腕前が「下手の横好き」じゃ、さすがにこのタイトルは様にならないよね。まるでパロディになってしまいそうだもの(^^;。


 “得意の余技”と“下手の横好き”。
 「アングルのバイオリン」の言葉の意味は果たしてどちらなのか、ちゃんとした真実を突き止めたい気もするけれど、こんな事は無理に結論を求めなくとも、ロマンチックに考えた方が楽しくて好いのかも知れないね。アングルの絵には、甘く麗しい調べのバイオリンの音色が添えられている方が、彼の描いた女性たちもより一層官能的で美しく映えると僕は考えたいのだけれど、如何なものだろうか。





※参考)
 因みにTV東京で放送された「美の巨人たち」にてマン・レイを取り上げた回(http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/040403.htm)では、「アングルのバイオリン」は弾きたがり、聴かせたがり説に拠って「他人にとってははた迷惑な困った悪癖、悪しき趣味」と云うニュアンスで紹介されています。
 


美の20世紀〈11〉マン・レイ (美の20世紀 11)

美の20世紀〈11〉マン・レイ (美の20世紀 11)

  • 作者: アレクサンダー ゲイムス
  • 出版社/メーカー: 二玄社
  • 発売日: 2007/10
  • メディア: 大型本



マン・レイ 写真と恋とカフェの日々

マン・レイ 写真と恋とカフェの日々

  • 作者: ハーバート・R. ロットマン
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2003/05
  • メディア: 単行本


大作曲家の知られざる横顔.jpg

大作曲家の知られざる横顔 (丸善ライブラリー)

  • 作者: 渡辺 学而
  • 出版社/メーカー: 丸善
  • 発売日: 1991/07
  • メディア: 新書



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コメント 15

pace

 表題からマン・レイもことかしらと思ったら本家のアングルのことだったんですね。(笑)

 NHKのルーブルシリーズでは、中村敦夫、島田陽子が日本訛りのフランス語の吹き替えになっていて結構笑えましたよ。

 あのスーパー・パガニーニの2ndをアングルがつとめたとはしりませんでした! 超変人といわれたパガニーニと友人関係を紡げたアングルは、超えていたのかはたまたイメージの軍門に下ったのか?

興味は尽きず過去から現代に話は続きますね。

 因に、マン・レイのfホールは書き込まれたのではなく、焼き込まれたものと記憶しておりますが、定かではありません。
by pace (2009-04-10 17:02) 

バニラ

アングルのバイオリンって知りませんでした。
はたしてプロ並みの腕前なのか、否か… 思いめぐらすのも楽しい!
それにしても 一枚の絵画からこんな展開があるなんて楽しくお勉強できた感じです。
by バニラ (2009-04-11 07:30) 

TaekoLovesParis

ここを読んで、パガニーニの曲を聴きたくなって、「ヴァイオリン名曲集」のCDに、はいっているかな?なんて探して聴いていました。でも私が一番聴き覚えのあるレコード時代のパガニーニのヴァイオリン協奏曲、メニューインのさえずるようなテクニックの演奏とはだいぶ違いました。絵は、描かれたときのまま伝わるけれど(印刷物で色合いが変わるときもあるけど)、音楽は、演奏者によってずいぶん変わるなぁ、って、しみじみ思いました。

アングルの肖像のデッサンをジャケに使ったCD、いいですね。アングルふうに
上品に描かれていて。クラシックのCDのジャケって、演奏者だったり、景色だったりで、バッハ以外は作曲者本人像って少ない気がします。

マン・レイのこれは見たことあったけど、「アングルのバイオリン」というタイトルとは、知りませんでした。「こんなにパロっちゃって」とあんまりいい印象ではなかったのですが、このモデルがキキで、しかもタイトルが「アングルのバイオリン」なら、今後、見る目が変わりそうです。
某公立美術館のマン・レイ紹介のサイトも読みました。
そうですね~、どっちなんでしょうね。2nd担当というところが、、しかし、パガニーニの曲だと、2ndも難しいのかも?
いずれにせよ、絵の合間にバイオリン、なかなかできない技ですよね。
yk2さん、いろいろ調べてお書きになっただけあって、おもしろい読み物でした。


by TaekoLovesParis (2009-04-11 13:34) 

Inatimy

すごく面白いお話です♪ ひとつの言葉の背景に、こんなにたくさんの要素がつまってるなんて。 パガニーニと聞いて、すぐに思い出したのが、フランツ・リスト。 子供の頃、父の大事なレコードをこっそり聞いて、とても印象に残ったのが、リストの「ラ・カンパネルラ」。 その解説文にパガニーニの文字が確かあって、さっき調べたら、「ラ・カンパネルラ」は『パガニーニによる大練習曲』のなかのひとつだそうで。 パガニーニに憧れたリストも初見で完璧に弾きこなすスゴイ人だったらしい・・・。 極める人は、こうと思ったことは、とことん追い求めるのかしら♪ ふふ♪「アングルのヴァイオリン」って言葉、いつか会話の中で使ってみたいな。 
by Inatimy (2009-04-12 06:21) 

yk2

nice&コメントありがとうございます。

◆paceさん :

さすが、paceさん。写真にお詳しいのは重々承知でしたが、やっぱり(^^。
マン・レイがこの写真に施した加工についてですが、エフ・ホールは焼き付けですか。そういやこの写真のプリントはいろんなところ(=美術館)で持ってますものね。キキの身体の方にもシェイプがよりバイオリンらしく見えるようにと加工が加えられているそうですが、そっちは「筆を入れた」とありますね。ネガをどんなふうにすればこう云う写真になるのかすごく興味があるのですが、paceさん、blogで実地で教えてくださらないかなぁ~・・・などと無茶ぶりしてみたりして(笑)。


◆バニラさま :

僕は物に対する興味の持ち方が芋づる式なので(^^;、1つ気になるとついついその周辺に関するものも気になってしまうのです。お陰でクラシックのCDだなんて、買うのはジャクリーヌ・デュプレ以来10年振りくらいかも(笑)。

by yk2 (2009-04-13 00:26) 

yk2

◆taekoねーさん :

パガニーニは生前ほとんど楽譜を出版させなかったから、後の演奏家がその演奏の記憶を辿って採譜した、なんてwikiには書いてありますね。強弱とか細かいニュアンスは、果たして本当のパガニーニの演奏と全て同じだったのかなぁ~などと素朴な疑問も感じたり。

今回のネタは、実は1月のレオナール・フジタ展でキキがモデルの作品を数点観まして、彼女のあんまりお化粧してない素顔の写真があればと思って検索してたら、たまたまマン・レイの話題から某美術館の記述を見つけ興味を持ちました。僕もそれまでこの写真が「アングルのバイオリン」と云うタイトルだとは知りませんでしたもの。僕はこの写真を見ると、エフ・ホールのせいでしょうね、以前からリトナーがいた頃のfourplayのアルバムを頭に思い浮かべます。出てくる音は“BETWEEN THE SHEETS”ね(笑)。


◆Inatimyさん :

すごい、Inatimyさんったら記憶力抜群!(笑)。
子供の頃のそんな記憶まで鮮明だなんてびっくりするやら羨ましいやら(^^;。
そう云う内緒はお父さんも気が付いても怒らないでしょ。娘が僕の気に入ってるレコードを一人で聴いてた、だなんて知ったら逆に喜んじゃったかも。

今回僕が読んだ本にもリストの話は出てきますよ。彼が19歳の時パガニーニを観て、「わたしはピアノのパガニーニになるのだ。さもなければ気違いになるのだ」と話したのは有名なんですってね。

「ラ・カンパネルラ」、気になるので今度僕も聴いてみますね。バイオリンよりリストが編曲し直したピアノ曲の方が有名みたいだから、まずはピアノからかな。Inatimyさんのコメントからこれを検索してたら、パガニーニの人生を描いた映画があったのを発見しました↓。近く廉価版DVDになるみたいだから、観てみたいかも(^^。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_gw?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Ddvd&field-keywords=%83p%83K%83j%81%5B%83j&x=15&y=19


by yk2 (2009-04-13 22:00) 

pistacci

ゴブサタです☆
記事だけは読ませていただいていたけれど、呼ばれちゃって、わぉ!
笑っちゃいました。久しぶりに、nice!も押してみました。
覚えてくださっていて、ありがとう♪♪♪
気温の上昇とともに(笑)、元気も上昇(?)中です。でも、目先のことに追われる日々。見たい展覧会も目白押しなのに、割引券を集めるばかり・・・( ̄_ ̄ i)

いつもながら、とても勉強になり、また、たのしい記事でした。
アングルもさることながら、マン・レイの写真、いつ見たのか覚えてないけれど、白く美しい背中のラインに、どぎまぎしちゃった覚えがあります。
by pistacci (2009-04-14 23:36) 

TaekoLovesParis

わぁ、pistaさん、ひさしぶり~!
元気も上昇中とのことで、きっと復帰も近いのでは、、って、ひそかに期待してます。どこかに必ず笑いを誘うところがあるpistaさんの記事、なつかしいです。
by TaekoLovesParis (2009-04-14 23:50) 

TaekoLovesParis

yk2さん、昔のfourplayの「f」でしょ。私がよく聴いていた頃の。
Between the sheets、、私はネイトのハスキーな声が好きだけど、
これ、歌詞が。。(笑)

リストの「ラ・カンパネラ」は、天才とうたわれながらも聴力を失ったピアニスト、
フジ子ヘミングの十八番。リストを弾くために生まれてきたと言われたほどの
才能、不遇になってからも、ずっとカンパネラを弾き続けた不屈の人。
もう70歳を過ぎていますが、今も精力的にコンサートをなさっています。
チャンスがあったら、聴いてみてください。



by TaekoLovesParis (2009-04-14 23:52) 

yk2

pistaさん、こんばんは~♪。
年末以来、お久しぶりですね~。コメント頂いてとても嬉しいです。
お元気にしてらっしゃいましたか?。

blogに「一方聞いて沙汰するな」なんて言葉を書いたら、やっぱりどうもpistaさんを思い出してしまって、ついついお名前を書き出してしまいました(^^;。
常々、早く復活してくださらないかなぁ~と思ってるからなのですが、なんだかまるで天の岩戸みたいでした?(笑)。

taekoねーさんも書いておられますが、僕もpistaさんのほんわり楽しいblogがまた読めるようになるのを楽しみにしてますからね。のんびりお休みして、気が向いたら、また是非に。
by yk2 (2009-04-15 22:33) 

yk2

taekoさん、こんばんは。

pistaさんの登場に合わせて、わざわざコメント書き足して、尚かつその順番も入れ替えて下さったのですね。お手間頂きありがとうございました。僕らはふたりともpistaさんのblogの愛読者ですもんね(笑)。

“BETWEEN THE SHEETS”、マン・レイのこの写真にぴったりだと思いません?。・・・って、女性に訊くのはやっぱりちょっと問題アリかな?(笑)。

リストのカンパネッラ、ご推薦のフジコ・ヘミングで聴いてみますね。早速明日あたりHMVへでも出掛けてみます。最近jazz系新譜が何だかツマンナイから(^^;クラシック聴くのに丁度好いタイミングかもしれません。
by yk2 (2009-04-15 22:51) 

tom

昨日、「天井桟敷の人々」(映画)を見ていたら、「アングルのバイオリン」という言葉が登場していました。マン・レイの写真作品が思い浮かんだのですが、映画の時代設定は、もっと昔なので、???いかなることか?と、ネットで探ると、こちらに辿り着きました。昨日の映画の、どういう場面だったか思い出せなくて残念ですが、こういう意味を知って、また、見直す機会があったら!と思います。
by tom (2010-02-05 14:53) 

yk2

tomさま、ご訪問頂きありがとうございます。

そうですか、映画の「天井桟敷の人々」の中でセリフとして“アングルのバイオリン”が使われいるのですね。これはとても良いことを教えて頂きました。
劇中どんなニュアンスで使われているかで、褒め言葉なのか、それとも皮肉なのかを判断出来ますものね。僕も是非見て、確かめてみたいと思います。
実はこの話をブログで書きたいなと考えた時点で、仕事でフランスによく出掛ける知人に現地でのサンプル調査をお願いしたのですが、お酒飲みながらのハナシだったせいか、今ではすっかり忘れているようで・・・(苦笑)。
by yk2 (2010-02-07 11:01) 

an

マン・レイは当時人気の写真家でした。
一方でシュルレアリスム的作品も作っていましたが
それは写真よりも人気がなかったようです。
そんな状態をアングルが展覧会の度に
趣味のバイオリンを客に無理やり聞かせていたエピソードになぞらえて
「アングルのバイオリン」を作ったという話を聞いたことがあります。
自分の作品はアングルのバイオリンのように他人にとって
迷惑なものなのだろうか?と悩んでいたと聞いていたので
アングルがバイオリンを得意としていたという説を聞いたのはこの
ブログが初めてです。
色々な説があるんですね~
by an (2012-05-23 23:40) 

yk2

anさま、コメント頂きありがとうございます。

お書き下さった内容の“聴かせたがり=悪しき趣味”説は、マン・レイ側からの解釈としてTV東京の「美の巨人たち」でも採用していたお話ですね。僕はあまりマン・レイについての本や資料に目を通したことがありませんので存じませんが、きっとマンの伝記や回想記の様なものに、その様な旨の記述が有るのでしょう。

一方で、キキことアリス・プランの伝記、河出書房新社刊の『キキ / モンパルナスの恋人』(ルー・モルガール著、北代美和子訳)の中にある、そのままズバリ「アングルのヴァイオリン」と云う章での書かれ様はちょっとニュアンスが違っています。そこではマン・レイの『アングルのヴァイオリン』が撮影・制作された過程が語られているのですが、マンはアングルが画家として身を立てる以前に、既にバイオリン演奏で収入を得られるほどの腕前で在った事を知っていた様なのです。その上で、余技として楽器など演奏できない自分にとっては、写真こそが「アングルのバイオリン」=他人から評価される部分であり、収入を得る手立てであるのだ、と考えた・・・との内容です。

まぁ、これにもキキの回想がどれ程の信憑性を有しているかと云った問題もありますけれど(^^;。


ただ、実際にアングルのバイオリンの腕前がある程度のレベルに在ったのは、どうやら間違いの無い事実のようです。講談社刊の『現代世界美術全集・“25人の画家”#1 アングル』(編集解説・鈴木杜幾子)に依りますと、アングルは6歳の頃より、装飾、画家、彫刻などを手掛ける地方芸術家であった父の手ほどきによりバイオリンを習い始め、14歳の時すでに、トゥールーズ市のオーケストラ、モントーバン・カピトール交響楽団(※現在も存続しているそうです)で第2バイオリン奏者の地位にあり、僅かではありますが演奏収入も得ていたそうです。


>アングルがバイオリンを得意としていたという説を聞いたのはこのブログが初めてです。

↑ のtomさんのコメントで映画『天井桟敷の人々』の中でセリフとして「アングルのバイオリン」が使われているとご紹介頂き、僕もDVDを観てみたのですが、庶民の間の例え話(=慣用句)として通用するレベルで、それは「余技」を示す言葉として使われていましたよ(^^。

僕がこれまで調べてみた範囲では美術専門家や書籍など、論者の身元がはっきりしている様な文章にあるのは、大概が“得意の余技”の様に思えます(^^。
※一例として→ http://www.museesdefrance.org/event/now_program/report20060722/index.html

この記事を書いてから早3年が経ちますが、真相は未だハッキリせず。はてさてどちらやら・・・ですね(笑)。

by yk2 (2012-05-27 10:59) 

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