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L'Absinthe(アブサント) / エドガー・ドガ [ART]

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◆エドガー・ドガ / 『アブサント』(1875-76)オルセー美術館蔵 
※上に掲載した絵の画像には、人物を中心としたトリミングを施してあり、絵の一部をカットしています

 物憂げな女は何を思うのか、力無く肩を落とし、どこを見るともなく虚ろな眼差しを下向きに送っている。同席する、お世辞にも品の良い紳士には思えない身なりの男の視線も隣の彼女に向けられてはいない。別の事に心を囚われているのか、それとも何かを物色しているのか、ギラついた視線でパイプを燻らせる。二人は一体どう云う関係性で1つのテーブルを共にしているのだろう。向かって左のテーブルには水が入っているのだろうガラスのフラスコが置かれ、女のすぐ手元には黄色味を帯びた乳白色の飲み物が入ったグラスが置かれている。これがこの絵のタイトルの由来ともなっている酒、アブサントだ。




 アブサント(Absinthe)とはアブサンとも呼ばれているハーブ薬草系のリキュールで、主な原料としてアニスやニガヨモギなど複数のハーブ、スパイスにて調合され、フランスを中心にヨーロッパ各国で作られて来た。その名の由来はギリシャ語のヨモギ(apsínthion)を意味する言葉より採られているとの事。安価で製造され庶民の間で広く飲まれたが、高アルコールで通常度数が40%、中には70%にも及ぶ物も造られていたそうで、それは多くの中毒患者を生み出す結果へと繋がった。例えば19世紀末芸術家たち。ロートレックやゴッホなど30代半ばで人生の幕を下ろした彼らはアブサント中毒だったとも伝わっている。アブサントはその原材料ニガヨモギの抽出成分ツジョンに因って幻覚を見るなど向精神作用が引き起こされる危険があるそうで、ロートレックもゴッホも一時期精神病院に入所させられていた原因の1つが、その作用だったのではないかとも考えられている。

 ドガの描いた女の目の前に置かれたグラスに注がれているのは、酔う事でそんな危険を伴う安酒なのだ。不幸せそうな彼女のグラスは未だ口をつけられていないのか、たっぷりとアブサントがグラスを満たしている。その酒が意味するところ、酩酊、怠惰、堕落、犯罪など、悪や破滅への原因を産み出すもの。酔うことで人世の辛さや生き難さを一時的にでも忘れようとあがくパリの下層市民を描く為の象徴的なアイテムとして、ドガはこの安酒=アブサントを選んでいるのだ。

 僕の手元に有るドガの画集『岩波 世界の巨匠 ドガ』(岩波書店、1994年第一刷発行)の執筆者・パトリック・ベードの解説に拠ると、この絵がエミール・ゾラの小説『居酒屋』(1877)の出版と軌を一とする時期に発表されたのは偶然ではないだろうと述べている。ゾラは『居酒屋』にて、アルコール中毒と売春が蔓延る当時のパリ、そこに生きる人々の下層生活を痛切に描き出している。ドガのこの絵も、おそらくは近いテーマとして、ゾラに触発されて採り上げたのではあるまいか、と。


 ドガの『アブサント』はドガが偶然にカフェで見掛けた光景をスナップショットとして描いた作品ではない。画中のこの女性も隣の男性も、ドガの友人をモデルとして筋立てられた『場面』なのだ。

 男性のマルスラン・デブータンはサロンにも印象派展にも作品を出品していた版画家で、ドガとはごく親しい芸術家仲間。彼はトマ・クチュールに学び、その縁で同じく一時期クチュール門下だったシャヴァンヌとも親しくなった。実はこの絵『アブサント』の舞台となった「カフェ・ド・ラ・ヌーヴェル・アテーヌ」はデブータンが常連だったことから、彼の周辺にいた当時の新進気鋭の芸術家たちがグループを成して集う場所となり、後の印象派の重要な拠点とも成った場所なのだ。ドガもマネも、そしてエミール・ゾラもデブータンとこのカフェにて交流したと云う。
 
 一方女性モデルは当時のドガと最も親密と云われていたエレン・アンドレで、彼女は女優として活動していた。画集の解説文のとおりにドガが『居酒屋』を意識した物語の一場面を描こうとした為か、画中のエレンは暗く、希望の持てない表情だ。いかにも不幸そうに演出され、魅力の乏しい女性として描かれてはいるが、実際はチャーミングな女性であったそうで、モデルを務めた他の画家、マネやルノワール作品ではもっと「優遇」されて魅力的に描かれていると、前述パトリック・ベードの解説文には一筆が添えられている。


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 ドガを私淑したロートレックが36歳で亡くなったのは1901年の9月9日。彼の死から122年が経過した現在に於いて、向精神薬作用で幻覚を引き起こす様な危険な酒が今もそのままの形で広く流通、販売される筈も無く、アブサントは20世紀に入ってスイス・ドイツ・アメリカなど各国でその生産に対する規制や禁止が為された。

 その規制に沿って対応すべく、ニガヨモギの使用量を抑えるなどした現代のアブサントが、今も広くフランスで飲まれるパスティスだ。この名はかつて一世を風靡したピーター・メイルの著作『プロヴァンスの12ヶ月』で世界中に知れ渡った。透明な紅茶色したアルコールに水を注ぐことですぐさま白濁する、ちょっと手品めいた変化をすることも人々の興味を惹いた。パスティスとは「Se pastiser=似せる、まがい物の意味」だそうで、1932年にポール・リカールに依ってその製造が始まり、”リカール”の製品名で今日もパスティスの為のリキュールとして販売されている。


 そしてもう1つ、パスティスとほとんど同一視されているリキュールにペルノーがある。主な原料となるアニスシードに15種類もの様々なハーブやスパイスを加えて作られるアニス・リキュール。ペルノーもメーカーの名前で、リカールと良く似た様な味わい風味を持つため、パスティスをレストランやバーなどで注文すると「ペルノでしたらご用意できます」と云われることがある。

 それがどう云う事かと云えば、リカールなどのパスティスに入っていて、ペルノーに含まれない材料が有るので、両者はよく似た味わいで混同されながらも、厳密には違う飲み物として区別されている。その代表的な差を生む原料がリコリス=甘草(かんぞう)。ヨーロッパではごく普通にリコリスをキャンディーの原料などにもしているので、日本人には馴染みにくい、まるで生ゴムを食べているかの様なあの黒いキャンディーをご存じの方も少なくないだろう。ちょっとした罰ゲームだよね、あの味は(苦笑)。

Pernod Soda.jpg
(※写真はペルノーを炭酸で割ったペルノー・ソーダ。僕はシャルトリューズだとか薬草ハーブ系のリキュールが好きなのでよく飲みますが、人によって好き嫌いがかなり分かれる味かも・・・^^;)

 僕が普段行くレストランではリカールを使ったパスティスが供され、別の行きつけのバーではリカールは置かずにペルノーだけしか使われない。おそらく、そんなに多くはオーダーもされないだろうから、どちらか1つを用意しておけば事足りるってところなんだろう。僕はソーダ割で食前酒的に楽しむことが多いけど、普段はほとんど、リカールだろうが、リコリス抜きのペルノーだかを意識したことはない。そして、グラスを口にしながら、ゾラの居酒屋やドガの『L'Absinthe』を思い出すことも殆どない。今でも、相当にアルコール度数が高い、酩酊、悪酔いを誘う危険なお酒だとは重々認識していますけど(^^;


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 以下、SSブログがソネブロ時代からのユーザー繋がりであるmickyさんのブログで読ませて頂いたエントリ(https://mickytokyo.blog.ss-blog.jp/2023-09-20)から、「リコリス」でちょっと脱線。

 今は丁度お秋の彼岸で、お墓参りに行ってヒガンバナ(曼珠沙華)を目にする時季でもある。ヒガンバナはヒガンバナ科ヒガンバナ属で学名が「Lycoris radiata」で、そのまま洋名でリコリスと呼ばれることもある。

 一方、パスティスの原料となるリコリス / 甘草(スペインカンゾウ、ヨーロッパカンゾウ)はマメ科カンゾウ属の1種で、学名が「Glycyrrhiza glabra」で英名が 「liquorice, licorice」で、全くの別物。カタカナにすると一緒になってしまうので紛らわしい。

 蛇足となりますが、ユリによく似た外観でオレンジの花を咲かせるノカンゾウやヤブカンゾウの「カンゾウ」はこれまた甘草に非ず、「萱草」でススキノキ科ワスレグサ属。カンゾウをカタカナにすると表記がまるで一緒だからこちらも本当に紛らわしい。見た目がそっくりなユリともまた別種で、さらにオマケを付けると、ススキノキ科は一般に知られるススキ(イネ科ススキ属)、ワスレグサはワスレナグサ(勿忘草、忘れな草:ムラサキ科ワスレナグサ属)と、日本語で書けば名前がよく似てるけど、これまた全然違う植物です(^^;。



 今放送中の朝ドラの主人公・牧野富太郎博士の功績を追って、植物の学名や分類に興味を持つ方も最近は多いと思われますが、この世界は見た目が似てるからその名を付いたけど、実は全く似ても似つかぬ別属別品種ってコトが当たり前の様に有る様ですね。今回ちょっと調べただけでもかなりのカオスを感じました(^^;。