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ラファエッロの『ゲッセマネの祈り』とシャヴァンヌとマルタンと [ART]

ラファエッロ_ゲッセマネの祈り.jpeg
◆ラファエッロ・サンツィオ(Rafaello Sanzio :1483-1520) / 『ゲッセマネの祈り』 (1504年頃)
 メトロポリタン美術館蔵

 2022年に乃木坂の国立新美術館で開催されたメトロポリタン美術館展。当時は新型コロナの流行未だ衰えずと云った具合で、僕も外出は必要最低限。特に電車など公共交通機関を使って出掛けるなど極力避けていた様な時期だった。それでも、どうしても電車で都内へ出向かなくてはいけない用事が出来て、どうせ出掛けるなら序でだ、折角だから、その時にやっていたこの展覧会を観に行こうと考えた。幾つか他にも候補が有った中でこの展覧会を選んだ理由は、ラファエッロ(ラファエロ・サンティ)のこの絵を、実際に自分の目で間近から眺めてみたかったから。
 



 先に観た友人からの話で「とても小さい絵だった」とは聞いていたけれど、大作がずらりと揃う展覧会場の中での24.1cm×28.9cmと云うサイズは油彩画(板)としては飛び切りの小品だった。それは、そもそもがこの絵は単独の作品として描かれたわけでなく、祭壇画の一部として制作された物だから。以下、それについての展覧会図録の解説を引用する。

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◆参照:ラファエッロ・サンツィオ / 『玉座の聖母子と聖人たち』(1504年頃)メトロポリタン美術館蔵

 『ゲッセマネの祈り』はペルージャのサンタントニオ・ディ・パドヴァ修道院(フランシスコ会)から注文を受け、修道女たちが使う付属聖堂のために1504-05年に描いた祭壇画『玉座の聖母子と聖人たち』の一部をなしていた。祭壇画全体は大きな板絵の上にルネット(半円形のパーツ)を載せた構成で、ルネットには、中央に祝福を授ける父なる神の上半身、その両脇に天使と熾天使(セラフィム)が描かれている。(・・・中略)
 元来、祭壇画の最下部には、祭壇画の両脇の木枠と同じ幅の「ブレデッラ」と呼ばれる層があり、3つの画面と2人の人物の立像が描かれていた。
 ブレデッラの3つの場面の順番はキリストの生涯の出来事に沿っており、左から『ゲッセマネの祈り』、『十字架の道行き』※1、『死せるキリストへの哀悼』※2と続く。

(以上、『メトロポリタン美術館展~西洋絵画の500年』図録より引用)

※1・・・ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵
※2・・・ボストン、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館所蔵


 
 『ゲッセマネの祈り』の主題は、新約聖書の「マタイ伝」、「ルカ伝」などの福音書の一節に伝えられているもの。エルサレムでの最後の晩餐を終えた後、イスカリオテのユダの裏切りに因ってこれから何が起きるのか気が付いていたイエスは、橄欖山(かんらん=オリーヴのこと)の麓に位置するゲッセマネの園にペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人を伴って赴く。弟子たちはイエスから「ここに座っていなさい、私が祈っている間、眠ってはならない」と命じられるが、疲れ果てていた3人ともが眠りに落ちてしまう。その傍らで、イエスはやがて訪れる”人”としての死、人々の罪を身代わりとなって背負う事の重大さと一身に受けるかもしれない神の怒りを思い、その苦悩に煩悶するも、「私が望む様にではなく、全ては神の御心のままに」と祈りを捧げ続ける。やがてイエスに杯を与えるべく、空を舞って天使が現れる、と云う情景が描かれているわけだ。


 この絵をぱっと見てしまうと、一番左で横になって眠る弟子の存在が目立たない為か、祈るイエスを頂点にして、前面でその左右に配される弟子との位置関係が完全なるトライアングルに思えてしまった。そうして、イエスの祈る目の前にはこんもりと塚の様に土が盛り上がっている。実はラファエッロの描いたこの絵では、当初、この塚の上に杯が置かれる様に描き込まれていたと云う。「杯」の解釈としては、それは人々の罪でいっぱいに満たされ、やがてイエスはその罪を自らのものとして飲み干さなくてはならない(=一身に背負うと云う意味)。当初は「どうか私からこの杯を遠ざけて下さい」と祈っていたそうなのだ。神の子で在りながらも同時に人でも在ったイエスが"人間らしい"苦しみを吐露する場面を描く上で、塚に置かれた「杯」は大変重要なアイテムの筈だった。だが、ご覧の通り、絵の塚の上には今は何も置かれてはいない。代わりに、それが在った筈の場所の上空に杯を持った天使が現れている。

 実は、後世の画家の手に依って塚の上の杯は消され、空から天使が舞い降りて、祈るイエスに杯を運ぶ図に改められてしまっているのだとか。この改変については芸術的な理由と云うよりも、修道院・修道女たちの信仰上の意向が反映されてのことかも知れない、と図録の解説は推測している。


★ ★


 ところで、僕がこの『ゲッセマネの祈り』に注目したのには、ちょっとした理由が有る。それはこの絵の構図。前述した登場人物のトライアングルと、一見不自然なほどに土が盛り上がった塚の様なものが在る光景。これを見て、僕は19世紀に活躍した或るフランス人画家の作品を思い出していた。

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◆ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ / 『海辺の娘たち』(1879年頃) オルセー美術館蔵

 それはピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ(Pierre Puvis de Chavannes:1824年12月14日~ 1898年10月24日)の代表作である『海辺の娘たち』。但し今回ここに掲載したものは縮小版(61cm×47cm)として改めて別に描かれたヴァリアントで、1879年にサロンに出品された方の絵(→ https://ilsale-diary.blog.ss-blog.jp/2009-01-08)とは色遣いが異なっていて、人肌は陶磁器の如く白く、フレスコ画の様なマットな印象を受けるもの。

 海辺に3人の若い女性をやはりトライアングルに配置し、一人立った女性は背中を向け髪を手に集めて整えている。残る二人は地面に肘をついたりして横になっている。一人だけ顔が見える左の女性は、物憂げな、やや疲れた表情をしている様にも窺える。三人は思い思いの方向を見ていて、その視線が合わさる事はない。状況からして、この絵には物語性は一切無く、絵画的な意味だけが有るのだと、これまでの僕は様々な本や解説文で読んだり聞いたりして来た。立った女性のポーズは、おそらくは『ヴィーナスの誕生』を意識してはいるのだろうが、画題とされる様な神話や文学的なシーンを画家はこの絵では描いているわけではないと、専門家に依って解説されていたのだ。


 だが、この絵の情景に加えて、もう一枚別のシャヴァンヌの作品を見てみよう。

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◆ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ / 『夢』(1883) オルセー美術館蔵

 こちらも彼の代表作である『夢』。松の間から薄らと三日月が覗く夜空の元、旅人と思われる登場人物が野宿をしている。すぐ傍に置かれた杖とそれに括り付けられた僅かな荷物のみが彼の持ち物の全ての様だ。歩き疲れて眠る彼の夢に、三人の女神が宙を舞って現れる。それは花を振りまく愛の女神と、月桂樹の冠を手にした栄光の女神と、三人目は富の女神で、その右手からは何やら金貨の様な物が地上へと撒かれている。

 眠る人と空を舞う女神。

 それまでの僕は、これら二枚のシャヴァンヌの代表作をそれぞれ全く別個の作品と見做して、重ねて考える様な事は無かった。だけども、ラファエッロの『ゲッセマネの祈り』を知ってからと云うもの、『海辺の娘たち』と『夢』の2作はそのラファエッロ1枚から生み出された双子的な作品なのではないかと考える様になった。そこで思いついて、『海辺の娘たち』を反転させ向きを変えて、『夢』とがあたかも1枚の絵の様に合わせてみたのが以下の図例だ。

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 僕には、これがラファエッロの『ゲッセマネの祈り』にとてもよく似た構図と見えているのだが、如何なものだろう。

 ラファエッロが描いた小さな板絵は、サンタントニオ・ディ・パドヴァ修道院の経済的困窮に因り1663年にスウェーデン女王クリスティナの代理人に売却されたそう。やがてそれが時を経て、メトロポリタン美術館の所蔵となる来歴の途中、果たしてシャヴァンヌの目に触れる機会は有ったのだろうか。それとも、単なる偶然の一致なのだろうか。興味深いなぁ(^^。


★ ★ ★


 さて、最後に察しの良い方はお気付きになって居られるやも知れませんが、現在僕のブログスキンのトップで使っている絵。この絵にも3人の女神らしき女性が宙に泳いでいますよね。

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◆アンリ・マルタン / セレニテ (1899年) : オルセー美術館蔵

 描いた画家の名はアンリ=ジャン・ギョーム・マルタン(Henri Jean Guillaume Martin:1860年8月5日 - 1943年11月12日)。作品タイトルのセレニテ(Serenite)と云うフランス語は平穏、平静、公平、(空などの)清澄を意味する言葉です。

 上掲の写真は2006年にオルセー美術館で撮ったものなのですが、その時、画家の名も作品名もメモして来なかった為に10年以上にもわたり、僕にとって謎の作品で在り続けた絵なのです(^^;。オルセーに関する本を何冊も色々と手にしたものの、この絵は全く紹介されていませんでした。そもそもマルタンとオルセーが紐付けで紹介されている事自体が殆ど無かった様に思います。今でこそ、オルセー美術館公式サイトも画像検索出来る所蔵作品のデータベースが充実しましたが、当時はごく僅かしか・・・な時代でしたから。確かめ様が無かったんですねぇ(^^;。

 そしてマルタンその人もここ日本では余り有名な画家だとは云えないのかも。新宿のSOMPO美術館にて2022年にアンリ・シダネルとの二人を取り上げた展覧会『シダネルとマルタン』展が開催されたのは記憶にも未だ新しく、僕も足を運びましたが、二人まとめてとは云えマルタンの名前がメインとなった展覧会はこれが日本初開催だったそう。僕は国立西洋美術館の常設でよく目にする『テラス(Terrace)』と云う点描的な絵が好きなんですが、確かに他で彼の作品と出会う事は余り多くはないかもしれません。ただね、実は松方コレクションの松方幸次郎はかなりの数、マルタン作品を買っていたりします。残念乍ら西洋美術館の常設ではまだお目に掛かれていない作品の方が断然多くて、僕はその内のたった2作だけしか観られていませんが。

※参照:国立西洋美術館の所蔵コレクション検索頁(→ https://collection.nmwa.go.jp/artizeweb/search_1_top.php
 上記ページにて、キーワード「松方コレクション」、制作者名「マルタン」で検索すると(油彩13点、デッサン1点)がヒットします。

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 フランス絵画に詳しい友人の一人にこの絵『セレニテ』を見て貰ったところ、やはり思ったところは「アルカディア的でシャヴァンヌ風」とのズバリな感想。この絵を描いたのがマルタンだと知らなかったとしても、作品からはシャヴァンヌの影響が横溢しているのは隠し切れないんだなぁ(^^;。


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◆ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ / 『諸芸術とミューズたちの集う聖なる森』(1884~89年頃)
 油彩(93cm×231cm)シカゴ美術館蔵 ※作品の一部をトリミング(2014年, 渋谷東急Bunkamuraにて開催された『水辺のアルカディア-ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの神話世界』展覧会図録の裏表紙より)

 竪琴を手にして宙を舞う女神は恋歌を司る女神のエラト。左手に続くのは抒情詩と歌を司る女神エウテルベ。(参照サイト →Bunkamura 名画を読み解く


 自身と同様に壁画画家として成功することとなる、36歳年下のマルタンの作品をサロンで見て、シャヴァンヌはこう語ったと云われています。「ここに私の後継者がいる。マルタンが私の後を継ぐだろう!」と。


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TaekoLovesParis

ラファエッロの「ゲッセマネの祈り」、私もメトロポリタン美術館展で見ました。若い時の作品というだけあって、シンプルに対象人物をくっきり描いているなと思いました。図録を買わなかったので、ここでの説明で、後世の画家によって、塚の上にあった聖杯が除かれ天使が掲げる姿・形に改変されたとわかり、当時、ラファエッロの作品と崇められていなかった?と考えたりしました。
大勢の画家が描いている「ゲッセマネの祈り」だけど、なぜ、yk2さんがラファエッロのに注目したのか、わかりました。シャヴァンヌの2つの絵との類似ですね!たしかに2枚を合成すると、ラファエッロの「ゲッセマネ」になりますね。「なるほど」と感心しました。
「夢」」は、ゲッセマネの左端の熟睡の人と天使の組み合わせで、「海辺の娘たち」は、キリスト、ヤコブ、ヨハネ」3人の三角構図。

そしてマルタンの描く3人の天使たちは、「夢」の天使たちに似てますね。マルタンは、「野を歩く少女」のイメージが強かったけど、「セレニテ」は、シャヴァンヌに画風が似てると思ったら、最後の行で、シャヴァンヌ本人から後継者と言われてるんですね。納得です.
私にとっても興味深い考察の記事でした。
by TaekoLovesParis (2024-01-16 00:50) 

yk2

taekoねーさん、コメントありがとうございます~。
すみませんねぇ、突然いつ以来だかも覚えてないくらい久し振りのコメント欄、予告もナシに開けて(^^ゞ。
もしもこの先偶然に、ラファエッロの『ゲッセマネの祈り』やシャヴァンヌで検索してここに辿り着く人がいたら、感想なり思うところを書いてくれる事が有ったら嬉しいな、と(^^。

22年にtaekoねーさんが展覧会にお出掛けになった記事を読んで、僕はラファエッロの『ゲッセマネの祈り』を知って、それから西洋美術館にクラーナハとヴァザーリの2作が所蔵されているのを知りました。だけど惹かれたのはやっぱりラファエッロ。でもクラーナハは「寝てる」ってキーワードで『パリスの審判』を思い出したりして、あれはあれで面白いですね(^^。そう云えばシャヴァンヌの『夢』の女神も3人。眠る旅人はいずれ、花(愛)、冠(栄光)、金の内どれか1つを選ばなくてはいけない暗示だとしたら、意外とパリスの審判の三美神もアイディアとして遠からず、ってコトだったりしません?(^^。

マルタンはシダネルとの展覧会で記事を書きたかったのが本当のところだったんですけど、あっと云う間にあれから2年。時が経つのが早過ぎます・・・(苦笑)。
by yk2 (2024-01-19 00:49) 

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