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杉浦非水の年賀状とイソップ寓話のウサギとカエル [ART]

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 僕はこれからですが、早い方なら既に準備をすっかり終えて居られるかもしれませんね。12月も中旬ですから、もう来年の年賀状の事を考えなくてはいけない時期です。とは云っても、未だ葉書さえ買っていませんけど(^^;。




 現代ではメールやLINEがその殆どとなってしまい、郵便葉書を使っての遣り取りはごくごく僅かになってしまってはいますが、毎年今も葉書で送ってくれる方には、やはりこちらも葉書でお応えしたいもの。その際、出来合いの図柄の入った年賀葉書を買ってそのまま使うのは少々味気ない。例えば干支などに因んだ名画など選んでそれを印刷し、相手に対しては一言自筆でメッセージを添える様にしています。

 ただね、干支に因んだ名画と云っても全てが全て、そう選択肢が多いわけではなくて、今年の干支「卯年」のウサギなどがそうなのですが、お正月に相応しい作品、絵柄がなかなか見つからない場合も有るわけです。例えばですが、デューラーのウサギは表情が硬くて何だか可愛くないし(^^ゞ、速水御舟の『翠苔緑芝』はアジサイが咲いている横で遊ぶウサギで季節感が全く合わない。それじゃあ堂本印象の『兎春野に遊ぶ』なんていかが?って、そもそもあの絵は出来合いの年賀葉書や切手にも使われてたし・・・なんて具合にね。

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◆参照画像 郵便切手『兎春野に遊ぶ』(堂本印象・画)

 そう云う時はやむを得ず、別に宝船やら鶴やら富士やらの吉祥柄などを選んだりするのですが、今年はお気に入りの図案家の一人である杉浦非水の作品集に格好と思える図を見つけられたのです。それが本エントリのトップに載せた版画作品です。それも、明治から昭和に掛けて学術書を中心に書物を刊行していた出版社、金尾文淵堂(かなおぶんえんどう)の名と所在の印刷された年賀状。大正4年は西暦で1915年ですから、今から108年も前のポストカードってわけです。まさに打って付け!って、ね[わーい(嬉しい顔)]


 ここで日本の近代グラフィックデザイン、商業美術の先駆けとなった図案家・杉浦非水(すぎうら・ひすい:1876年=明治9年~1965年=昭和40年)その人についても少々触れておきましょう。

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◆杉浦非水 / 『三越呉服店ポスター 春の新柄陳列会』(1914年)東京国立近代美術館蔵

 1876年愛媛県松山市生まれ。当初日本画家を目指して四条派の絵師に弟子入りし、その後東京美術学校の日本画選科に入学するものの、フランスから帰国した黒田清輝と出会ったことで影響を受け洋画に転向。その指導の下、印象派絵画やアールヌーヴォー的な版画・図案に目覚めます。図案家として大阪での内国勧業博覧会のPR誌の編集などを経て、その後東京で中央新聞社に入社。籍を置いたまま1908(明治41)年三越呉服店の宣伝用印刷物の図案作成に嘱託で携わることとなるのです。三越は社内に新たに図案課を設け、非水は1910年には主任として業務を任されます(同時に中央新聞社を退職)。彼の図案によるポスターやPR誌は大いに評判となり三越のブランド戦略に多大な成功をもたらすと同時に、非水自身の名声も高まっていきました。以降27年間、1934(昭和09)年に退職するまで、非水は三越図案課の看板デザイナーとして勤め上げることとなるのです。



 非水は三越の支援も有って、同社に勤務しつつも社外の広告図案や本の装丁デザインも積極的に手掛けています。

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◆杉浦非水 / 『東京地下鐵道株式会社ポスター 東洋唯一の地下鐵道上野浅草間開通』(1927年)

 三越は元々呉服店。ファッションに対する感覚は広告デザイナーとしての非水に欠けていてはならない素養だとは思いますが、この作品ではブルーの少年のコーディネートセンスがほんとに素晴らしい[exclamation]。僕がこのポスターを好きな理由は一にも二にもその点です。シルバーボタンのショート丈のコートはミリタリーっぽいダブルブレストのウエストベルト付き。そして同じ色のハーフ丈のパンツはコートとが同じ素材だとしたらサージ・ウール辺りかな。当時こんなスーチングの子供服を誂えられるのには相当裕福でないといけないでしょうねぇ。そして膝丈スナップ留めのロングブーツは白とモカ茶のコンビですって。お洒落過ぎる(^^;。ベルトが黒ならブーツのコンビ部分もモカ茶よりも黒できっちり揃えたい?。いやいや、黒よりモカの方がこの少年にはずっと軽やかで好ましい。絵のバランスとしても、敢えて帽子のベージュに色を寄せているんじゃないのかなぁ。



 上述の年賀状の出版社、金尾文淵堂との仕事も同様に三越在職中でした。

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◆杉浦非水 / 装丁 小説『生さぬなか』(柳川春葉 作)
 上編:金尾文淵堂、初版1913年02月 うらわ美術館蔵

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◆杉浦非水 / 装丁 小説『生さぬなか』(柳川春葉 作)
 中編:金尾文淵堂、初版1913年03月 うらわ美術館蔵

 金尾文淵堂から出版された柳川春葉作の小説『生さぬなか(なさぬなか)』は現在は絶版だそうですが、1913(大正02)年から1949(昭和24)年の間に都合十度も舞台化、映画化がされたほど人気の有った当時の新聞小説。上、中、下、後の4巻が出版され、装丁と箱は全て非水が担当。この出版社から発刊される書物はこのように美しい装丁や挿絵に凝った作品が多かったそうで、図案家・非水が大いに活躍する場の一つだった様です。



 そんなふうに美術を良く理解する出版社から出されていたポストカード(=年賀状)でしたから、このウサギの絵こそピッタリだと考え、2023年の賀状や自分のブログでも新年のご挨拶用に使ったりしたわけなのですが、このウサギの絵、同系色で判りづらいのですが、後からよくよく見ると絵の右下辺りに文字が入っているのに気付きました。拡大して確認してみるとどうやら「AESOPのうさぎ」と書いてある様です。つまりはイソップ寓話のお話がモチーフだったと云うこと。

 改めてこの絵を見てみましょう。池をのぞき込む4羽のウサギ。濃紺地にそれよりやや薄いブルーで池の縁に草が生えています。水面には白い渦巻きが。そしてそこには飛び込むカエルたちや上がった水しぶきの点々が描かれています。

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 寓話のストーリーはと云えば、要約するとこんな具合です。

 ウサギたちは常に怯えて暮らしていました。イヌやワシや他にも様々な動物たちがウサギをエサとして狙っています。ビクビク恐れながら暮らすことにウサギたちは絶望し、皆で話し合う内、こんなにも不安で悲しい日々を送るくらいなら、いっそもう皆で一斉に池に飛び込んで死んでしまおうと決めてしまうのです。そうしていざ池に向かうと、ウサギたちのやって来た気配に、一斉に水に飛び込むものが在りました。カエルたちです。その慌て振りを見て、ウサギたちの一団の中でも賢かった1羽が言葉を発しました。「みんな、池に飛び込んで死ぬのは止めにしよう。僕らよりもっと臆病で怯えて暮らす哀れなヤツらがいるじゃないか」と。


 つまりは、ウサギは自分たちよりさらに臆病なカエルを見て、その慌てた様を滑稽に思って下には下がいると、死を思い止まったってコト。自分がこの世で一番不幸、底辺だと思っていたけど、もっと不幸なヤツらが居たと知って気持ちが楽になった、ってオハナシらしい。自ら死を選んでしまうなんて馬鹿らしい。自分だけが辛いわけじゃないよ、って解釈すれば悪い話ではありませんが、これだけだと人は自分より劣る者、不幸な者を見る事で安心するものだ、とも取れてしまわないかなぁ。少々微妙な感じ・・・(苦笑)。

 思い止まったとは云え入水自殺ですよ~[たらーっ(汗)]。非水さん、この寓話の内容って、果たしておめでたい迎春のご挨拶に相応しいテーマだったんでしょうかねぇ・・・(^^;。






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