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東京タワーと青い空 [いつかの出来事]

 とても仲の良かった、大好きだった同級生の1人がある日突然、不慮の交通事故に巻き込まれ天に召されてしまったのは、僕らが16歳の春だった。

 多感な年頃だったから、些細な事でよく喧嘩もしたけど、一緒に面白い事を考えるのが大好きで、学園祭の催しものを二人で企画したこともあった。それが大成功して、僕らは大喜び。そこから更に強い連帯感が生まれたりして、今思い返しても、僕らは本当に楽しい間柄の友達だった。

 その友人は東京タワー間近の、芝の或るお寺に眠っている。

 以前は命日の頃になると、その度友人達で誘い合わせて必ずお墓参りに出掛けていたのだけど、時が経つにつれ、だんだんと参加する人数も減り、僕も気には掛けていつつも、つい色々な事にかまけてしまい暫く出向かなくなってしまっていた。

 きっと不人情で冷たいヤツだと思われてるんだろうな。
 唇を尖らせて文句を言いたげな、16歳の儘の顔やその声を思い出して、心の中では「ごめんね」とその都度謝るのだけど、いつの間にかそんな事がもう6年も7年も続いてしまっている。久し振りに会いに行ってあげなくっちゃなぁと、今年もまた去年と同じセリフを、独り僕は呟く。




 或る日のこと、僕は友人と会う用が有って六本木に出掛けていた。
 この友人もやっぱり同じ中学と高校の同級生だ。

 ランチを食べた後、時間があるので映画でも観ようか等と話し合っていたのだけど、調べてみると目当てにしても良いと思った作品の次の上映時間にはタイミングが悪く、随分と半端な余り時間が出来てしまう。

 「じゃ、ちょっとアクシスのLIVING MOTIFに行ってインテリアでも見て時間潰そうよ」。そんな友人の一言で、僕らは飯倉片町方面へ向かって歩き出した。
 
 取り留めのない会話を交わしつつ、目的の建物のすぐ近くまでやって来ると、目の前に一段と大きく東京タワーが現れる。

 そう。
 東京タワーだよ。
 
 「ねえ・・・、お墓参りに行かない?」
 唐突な話に一瞬きょとんとした顔をした友人も、すぐに僕の云わんとするところを理解してくれた。

 「・・・そうだね。映画なんていつでも観られるから、久し振りに会いに行ってあげよう。そういや、この時期だったものね。だったら早く行かなくっちゃ。本当はもうお墓参りしちゃいけない時間になっちゃうじゃない」。

 その場でタクシーを拾って、すぐに芝へ向かった。ここからなら、ほんの数分で目的地まで着けるだろう。

 東京タワーがどんどん大きくなって近付いて来る。こんなに間近に来るのは、随分と久し振りの事だ。


★ ★


 16歳の頃のあの時、僕はこの友人との別れに際し、あまりに突然の出来事に現実感が湧かず夢を見ているような気持ちだった。ただただ、虚ろだった。ぼんやりとした儘に遺影を前にして、お線香をあげて、友人のお母さんに自分の名前を告げ、お悔やみを申し上げた。
 
 実はこの1ヶ月前にはご主人も病気で亡くされていたお母さんは、最愛の家族を立て続けに奪われて憔悴しきってしまい、この時には、もう流す涙さえ枯れ果ててしまったかの様な表情をされていた。その胸中を慮れば、悲しみは計り知れないものの筈。それなのに、焼香する子どもの友人たちに対しては、時折笑みさえ浮かべて「今日はどうもありがとう」などと優しい言葉を返されていた。そんな姿が、余計に目と心に痛々しかった。

 それなのに、「まぁ、あなたが○○君なのね。去年の文化祭の時の事をとても嬉々として何度も何度も聞かされたわ。お会いするのは初めてだけど、あなたの事はずっと昔から知っているのよ」。と僕に対し話された途端、堰を切った様に小さな嗚咽を幾度も洩らしながら、改めてまた、泣かれた。

 その時初めて、僕の目からも急に涙が溢れてきた。たくさんの同級生たちが見ている前で恥ずかしかったけれど、それでも我慢しようにもどうにも止められないくらいに、本当にみっともなくらいに、ぼろぼろと泣いた。

 自分が弱い所為だったり、悔しくて泣いた事なんて、それまでだって数え切れないくらい有ったけど、きっと、悲しくって、誰かの為に泣いたのは生まれて初めてのことだったと思う。

 東京タワーを間近にすると、僕はそんなあの日の事を思い出さずにはいられないのだ。
 遠くから眺めても何とも思わない癖に、すぐ側まで来ると急に感傷的になってしまう。こんな事を書くと、女々しい奴だと冷たく笑われるのかも知れないけれど。


★ ★ ★


 タクシーを降りて、お寺のすぐ側までやって来たというのに、僕と同行の友人の二人はひどく戸惑ってしまった。場所が間違っている?。いや、そんな分けはないよ。でも、あまりに記憶の中にある風景が現実と違っていて、僕らは呆れるほどに驚いてしまっていた。

 お寺のすぐ隣には、遙か空高く、古人にしてみたらまるで来世へ届かんばかりの見上げる様な超高層ビルが左右に塔としてそびえ建ち並んでいる。ぽっかりと大きく口を開けた天井の高い駐車場の入り口は、六本木ヒルズのそれとそっくり。さもありなん、ビルはあの例の会社の所有物件だ。僕が名前を知っているような有名シェフの高級店もテナントとして幾つも入っている。それらビルと寺とは、敷地を同じくする一連の建物のような構造へと生まれ変わっていたのだ。

 寺の入り口にかつて在った、古くも趣を感じさせた正面門は、味も素っ気もないコンクリに建て替えられている。それも、厳めしくもたいそうご立派な仁王像2体が通行人にジロリと睨みを効かせるオマケ付きと来ている。

 境内に入っても、昔の面影は殆ど遺されていなかった。本堂などの建物は、まるで学校の体育館か講堂を思わせるような「立派な」鉄筋鉄骨コンクリートの堅牢な建物にこれも建て替えられていた。ついでに、その門の脇に控えめに建っていた伝統的日本建築の古い精進料理店に至っては、東京でも有数のインテリジェンス・ビルの1画として生まれ変わり、あたかもずっと以前からの超一流料亭の様な顔をしてるではないか。

 ここは都心でも一等地。街の変貌は無理もないのかも知れないが、このお寺のあまりの変わり様には溜息さえこぼれてしまった。


 愛宕山を山と呼ぶなら、きっとここも山と呼んでも差し支えのないだろう墓所への坂道を登って、途中で花とお線香を買う。何せ何年振りかも正確に覚えていないくらいなので、墓所内でのお墓のちゃんとした位置が分からなくなってしまっているのだ。友人の苗字を伝えて、その場で一覧図を見せて貰い確認をする。「久し振り過ぎて、お墓の場所まで忘れちゃってるわけ?」と頭の中で声がする。ごめん、ごめん。これには申し訳なくって、苦笑いするしかないね。


 先週が命日だったから、どなたかお身内の方がみえたのだろう、お墓は綺麗に掃除がしてあった。墓石を軽く水拭きだけして、僕らは花とお線香を供えた。

 墓前に手を合わせて、僕は誰にも話していない、今、自分の抱えている悩み事を手短に、眠っている友に聞いて貰った。長く会いに来なかったことを詫びて、ついでに、余りにも変わってしまったこの場所の周辺について、驚いちゃったよとも話した。


 以前に来た時には何もなかったこの場所から見る空に、信じられないくらい高いビルが2棟もそびえ立ち、その向かい側にも同じくらいの高さまで達しそうな新しいビルが建設中だ。

 「お墓で写真なんて撮るものじゃないのよ」と同行の友に呆れられつつ、僕はビルの姿をカメラに収めた。
 この日の東京の空は、雲ひとつ無く真っ青だった。