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ダ・ヴィンチ・コードの嘘と本当 [本]

6月17日(土曜日)-②

  日中鎌倉で過ごしたこの日、夕方早めにみなとみらいへ移動した。そんな気もさらさら無かったクセに、何故か映画『ダ・ヴィンチ・コード』を観ることになったのだ。

 もともと気が進まなかった理由は一点だけ。

 この物語は先が読めなかったからこそ面白かったのであって、本で読んで結末を知ってしまってから映画で見たとしても、今更もうドキドキハラハラするのは期待出来ないだろう。

 文章で思い描いたシーンが如何に映像化されるのか云う興味は確かに有るけれど、それはあくまで二次的なお楽しみだ。最後の最後までタネがなかなか分からない、予想だにしなかった結末に覚える驚きこそが、推理物映画の醍醐味なのだから。

【※ご注意】
以下の文章には『ダ・ヴィンチ・コード』への個人的な感想、あらすじなどが含まれます。これから映画をご覧になろうと思われている方、作品に対する不必要な意見、先入観を欲しない方はお読みにならない方が良いかも知れません。予めご了承下さいませ。




 今日は映画の出来映えについてツラツラ書きたいわけではないので、いきなり端的な感想を述べてしまおう。


 「この映画って、果たして原作を読んでない人が理解出来るの?」


 ディテールの説明を端折り過ぎているのではないだろうか?。

 映画は未だ公開中なのでここで細かいことをいちいち挙げるのもどうかと思うけれど、謎に対するラングドンの推理が余りに迅速かつ簡単に答を導いてしまうのは興醒め以外の何物でもなかった。追いつめられ、心底答を求めて全ての知識を絞り出す様な労苦が伝わって来ない。ソフィーが内包している祖父ソニエールに対するトラウマ、彼の隠された顔と秘密結社の描かれ方も薄く、原作で感じたほどシオン修道会がミステリアスな存在に感じられない。加えてリー・ティービング邸の盗聴機器発見の行を描かなかったことで、謎の敵対者の驚くべき用意周到さは伝わらず、ストーリーの起伏を平坦なものへと大きく削ってしまった。

 また冷徹な殺人者・シラスへの恐怖感を煽る上で特に重要だったはずの、彼の特異な容姿と不幸な生い立ちに起因する妄信的な宗教観への説明も足りていただろうか?。何故、あれほどまでに彼が神とアリンガローサに忠誠を尽くすようになったのか、苦痛を善と感じる様になったのか、原作を読まずに映画を観た鑑賞者達に、あのフラッシュバックの様な映像でそれを伝えられていたのだろうか?。

 何故、もっと細かく書き込まなかったのだろう?。
 単に時間的制約が大きかっただけだろうか?。

 どうもそうは僕には思えない。原作に忠実に、細かくプロットを読み取らせる工夫を敢えて取らなかったのではないだろうか?。

 例えば前述のシラス。
 自らの神を守る為に次々と殺人を繰り返す彼の存在は、遠い過去より異教を信じる者達を弾圧し、改宗させ、意にそぐわねば時には抹殺さえして来たという、血塗られた教会の歴史の象徴のようにも思えるものだ(もちろん、それが事実なら、だが)。

 この設定は、無信心な日本人にはおおよそ窺い知ることの出来ない程にセンセーショナルなものだったはず。実際、宗教信仰社会へ与えた衝撃、拒絶反応の大きさは凄まじく、エジプト、インドの多くの州をはじめ、フィジー、パキスタンでは上映禁止の措置が取られるなど、キリスト教以外の信者を多く抱える国々にまでその影響は波及している。当のキリスト教に至っては教義を根本から覆されかねない様な大問題だ。映画化に当たってはそこを考慮し、「事実」と語るには余りに客観的根拠に乏しい争点をさりげなく消し、薄め、曖昧にしていった結果がこの「わかりにくさ」だったのではないだろうか。

 『ダ・ヴィンチ・コード』の本を手に取られた方ならご存じだとは思うが、著者のダン・ブラウンは冒頭にこう記している。

 事実

 シオン修道会は1099年に結成されたヨーロッパの秘密結社であり、実在する組織である。1975年、パリのフランス国立図書館が“秘密文書(ドシエ・スクレ)”として知られる資料を発見し、シオン修道会の会員多数の名が明らかになった。そこにはサー・アイザック・ニュートン、ボッティチェッリ、ヴィクトル・ユゴー、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチらの名前が含まれている。

 ヴァチカンに認可された属人区であるオプス・ディは、きわめて敬虔なカトリックの一派だが、洗脳や強制的勧誘、そして“肉の苦行”と呼ばれる危険な修行を実施していると報道され、昨今では論争を巻き起こしている。(中略)

 この作品における芸術作品、建築物、文書。秘密儀式に関する記述は全て事実にもとづいている。

(ダン・ブラウン著、『ダ・ヴィンチ・コード』上巻より引用)

 もしも、この本がこんな書き出しで始まっていなかったなら、僕はこれほどまでに夢中になってこの物語を読んだだろうか?。いや、この冒頭の「事実」に驚き、衝撃を受けたからこそ、取り憑かれた様に一気にストーリーを追ったのだ。

 異教、女性信仰、薔薇や五芒星の意味する象徴、黄金比、フィナボッチ数列、これらの専門知識無くしては決して解けないアナグラム、「モナ・リザ」や「最後の晩餐」に秘められたダ・ヴィンチからのメッセージ等々。これら、プロットを飾る数々のキーワードの一つ一つに強烈に引き込まれていったのは、それが「事実」であると云う前提でストーリーに絡み付けられていたからに他ならない。

 例えば、実はイエス・キリストの妻たる立場にいたとされる女性、もっとも愛された弟子であったはずのマグダラのマリアがイエス亡き後のキリスト教の教義の正統性を巡る問題から、政治的に娼婦に貶められていった理由や、人間としての予言者イエスが「神」へ変えられて行く過程は如何にも生々しい。

 また、オプス・ディの洗脳や強制的な勧誘、信徒の財産寄付や肉体的苦行を例に挙げ、過激かつ危険な宗教組織だと指摘し、教会への疑問意識を扇情的に植え付ける。これを読んで、多くの無防備な読者がダン・ブラウンの個人的な見解の支持者へと、本人がそれと気付かぬ内に組み込まれてしまったことだろう。

 彼は宗教による「洗脳」と云う言葉に、如何に多くの人々が激しく拒絶反応を示すだろうかを充分に見越して逆手に取り、自己の言わんとするところへ誘導する事にまんまと成功したのだ。

 さしてキリスト教に対する深い知識を持たない読者は、乾いたスポンジに水を含ませるが如くダン・ブラウンの言う「事実」を次々吸い込んでいく。それを、もしやと疑う余地も無く。

 あくまでフィクションの物語を読んでいながらも、冒頭のたった一言の「事実」と言う前置きに、いつしか意識の中のフィクションとノンフィクションの垣根はきれいさっぱりと全て取り払われてしまっているのだ。つまりは洗脳の危険を説く作者に、実は逆に洗脳されていたというわけ。


 ダン・ブラウンの「創作」に夢中になり、ここでの「事実」に疑問を持たなくなっていた僕を、現実的な世界に引き戻してくれたのはこの本。

ダ・ヴィンチ・コード実証学―現地取材で解明された、小説の裏側

ダ・ヴィンチ・コード実証学―現地取材で解明された、小説の裏側

  • 作者: マリ=フランス エトシュゴワン, フレデリック ルノワール
  • 出版社/メーカー: イーストプレス
  • 発売日: 2006/05
  • メディア: 単行本

 この本はダン・ブラウンの言う「事実」を公正な角度から検証、事の正否、真偽を客観的に判断し語っている。

 ここまで今回の僕のblogを読んで下さった方は、ほぼ間違いなく『ダ・ヴィンチ・コード』の既読者、もしくは映画をご覧になった方だろうと推察するので、この本の内容に関してはここで細かく触れない。興味がお有りならば、是非店頭で手に取って開いてみて頂きたい。

 ダン・ブラウンが何を根拠に「事実」と語っているのか、物語から少し引いたポジションで客観的に考えられる様になる筈だから。

 歴史は、その長い間に後世の人間達によって意図的に度々書き足され、もしくは書き換えられてきた。極論すれば、権力者、為政者が変われば神話さえも変わるのだ。ただ時とともに、如何にもそれが古からの正史であるかの様に辻褄は整えられ、やがて事実を知る者達は消えて行く。

 これは何もキリスト教に限った話ではない。
 例えば、我々が子供の頃、日本の正史と学校で教わったはずの古事記、日本書記がまさにそれなのだから。

 大和朝廷の始祖はどこから来たのか?。出雲神話に描かれる神々と朝廷の本当の関係は?。万世一系に隠された事実とは?。聖徳太子は実在しなかった、または紅毛碧眼(!)の渡来人だった?。中大兄皇子と大海皇子は本当は兄弟ではなかった等々、俄に信じがたい摩訶不思議な古代日本史論を挙げれば切りがない。正史たる記紀も、内容のおよそ8割は作り話なんだと唱える専門家の学者先生も居られるほどなのだから。

 つまりは日本だろうと他の国だろうと、人の世のあるところ、どこにでも(神話も含め)古代史と云う名の作り話がそれと分からず、たくさん存在していると云うこと。僕らは、常に人の歴史とはそう云うものなのだと認識していなくてはならない。

 でも、そんなことはやっぱり学校では普通には教えてくれない。大学なら兎も角、やっぱり義務教育の現場ではタブー視されているのだろう。カトリックの学校で、キリストが奇跡を起こして水面を歩いたなんて実際は作り話だ、などと決して話さないのと同じだ。

 信仰は人に安らぎと幸せを与える。しかし信じる神の違いから、今もずっと反目を生み続けているのもまた事実。

 信仰とは何なんだろう?。
 神とは?。

 『ダ・ヴィンチ・コード』は、現代人が当たり前だと思っている信仰の「事実」に、実はもしかしたら全く別の側面があり、永きに亘って「真実」が隠蔽されていることもあるのだと、広く一般に投げかけた点では大きな意義を持つ作品だと思う。

 そして2000年の時を経てなお、人間イエスの血脈が生き続いているのだと云う壮大なストーリーを発想(拝借?)し、そこに稀代の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチを当てはめてプロットを築き上げた。彼の書いた「小説」は大変によく出来ていると云っていいだろう。

 しかし、彼が「事実」として読者に刷り込んだ事柄には、限りなく根拠が薄い、まやかしめいた(あるいはペテンに近い)説が含まれることも、どうやらもう一方の「事実」らしい。

 そんなことをこの『ダ・ヴィンチ・コード実証学』で知ると、全ての謎を明らかにし、教会と信仰社会に驚愕の戦慄を与えたかったリー・ティービングは、ダン・ブラウン自身の代弁者なのかも知れないな、などとも思えて来た。

 ダン・ブラウン。
 彼こそが、一番にマグダラのマリアの前で跪きたいと願ってやまない者なのではなかろうか、と。



追記)7月5日
 イタリア在住のフレスコ画家、福井洋一さんがマグダラのマリアが登場するフレスコ画、テンペラ画、油彩画をご自身のブログでご紹介、その記事をトラックバックして下さいました。洋一さんはその道の専門家。ですから、それはまるで美術の教養講座をタダ(^^で受けているかの様です。是非ともご覧下さいませ。

メイコイワモト/福井洋一のDolceVita
マグダラのマリアと「ダ・ヴィンチ・コード」→http://blog.so-net.ne.jp/firenze/2006-07-05


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TaekoLovesParis

まだ映画を見てないので、数秒ためらったけど、原作読んだから、まっいっか、、と全部読みました。
yk2さん、小説の裏側という「ダビンチコード実証学」までお読みになって
すごいですね。
私は、聖杯が出てきたからか、本を読みながら、ラングドンはハリソン・フォード
をイメージしていました。トム・ハンクスなので、う~んと思って見に行ってない
のです。
シラスは色素欠乏症で、顔をあまり見せたがらずアリガンローザに恩義を感じて絶対服従、そのへんの見せ方が弱いのね。。

yk2さんは、ダン・ブラウンの小説の事実性は別にして、実にうまく作ってある、とのご意見と読み取りましたが。リー・ティービングがいい役なのは、自分を置き換えているから、ですね。

私は祖母が熱心なカソリックで、伯父やいとこが継承し、親友も信者と、カソリックは身近な存在。
秘密結社や聖書関連で、何年も前に見たのに気になっている映画は、「スティグマタ(聖痕)」パトリシア・アークエット主演と、「ナインスゲート」ジョニーディップ主演。yk2さんがおっしゃるようにキリストが生きていた時代から2000年も
たっているのですから、事実はいつのまにか変わって伝わっていきますよね。
上の2つの映画は、多分、yk2さん、気に入ると思う。DVDででも思い出した
とき、見てください。
by TaekoLovesParis (2006-06-27 22:45) 

yk2

◆plotさん、clos-de-meixさん、niceありがとうございます。

◆taekoさん:
おはようございます~。
こんな絡みにくそうな内容のblogにコメントして下さりありがとうございます(^^;。

この本ね、“アペリティフの日”で友人と待ち合わせた時に、少し早く六本木に着いちゃったので退屈しのぎに寄った本屋さんで偶々手に取ったものなんです。最初はそんな具合に、結構軽い気持ちで読み始めたんですけど、読み進む毎に『ダ・ヴィンチ・コード』に対する意識があまりにも大きく変わってしまって・・・。

小説は確かに上手く出来ていると思うのですが、今は何となく色褪せてしまってます。やっぱり根拠の薄いうわさ話の様なレベルの論説を「事実」であるかのように信じ込ませるのはズルいと思いません?。

さも真説の様に、大学教授役のラングドンが講義さながらに語るので、僕はすっかり興奮しちゃって、「そうかー、そんな真実の可能性があるのかー!」なんて思わされちゃった。僕は元々歴史や神話の「実はこんな説が」って話が好きで一時よく読んだのですが、今回はまんまとダン・ブラウンに騙された気分です(苦笑)。

キリスト教を信仰する方がこの作品を不快に思う気持ちも、今となっては理解出来る気がします。

教えて頂いた作品、DVDで出ているのならチェックしてみますね。
どんななんだろ?。
by yk2 (2006-06-28 07:46) 

バニラ

大体原作自体も何だかよくわからない部分がたくさんなのに
(これがベストセラーになったのがよくわからない私... 小説としては
まあまあの出来だと思うのですが)
映画は時間内にとりあえず収めてみました、という感じで
一緒に観た人はあえて原作を読まずに鑑賞したのですが
やっぱりまったくわからないといってましたよ~。
周りの評判もそんな感じですね。
by バニラ (2006-06-28 08:57) 

yk2

バニラさん、こんばんは。

日本人はキリスト教自体にあまり関心がないので、宗教的な歴史や美術に興味を感じないと面白いと思えないのかも知れませんね。

でもね、僕は原作のキーワードが分からないことだらけだからこそ、夢中になって読みました。

例えば、文中に画像を挿入しているジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「マグダラのマリア」。この3月にルーヴルを訪れた僕はまだ『ダ・ヴィンチ・コード』を読んでいなかったので、彼女は罪深い娼婦であり、故に手にどくろを持たされていると云う定説しか知りませんでした。

その後、ダ・ヴィンチ・コードを読むと、なんと「聖杯」とは彼女そのものだったのだ、という結論が導かれていたので、それはもう吃驚!。読んでからルーヴルを訪れていたなら、絵の印象ももっと違ったものになっていたかも知れないなぁ~なんて、思い始めると、もうすっかり物語の中に引き込まれてしまった自分がいたのです。

要は一つでも、興味を惹くポイントが有るか無いかで大きく印象は変わってしまうのではないでしょうか?。

何れにしろ、話題の作品だから世間に乗り遅れたくない!、って動機で読んだ人、観た人には、と~っても解りにくい作品なのは間違いないでしょうね(^^。
by yk2 (2006-06-28 21:01) 

TaekoLovesParis

yk2さん、昨日のコメントに書き忘れたけど、本文中にラ・トゥールの「マグダラのマリア」を貼ってあったのは、とても印象的でした。上の「最後の晩餐」が、
少し風化しているのに対し、ラ・トゥールは「光と闇の画家」といわれるほど、
明暗がはっきりしていますものね。ここにぴったりの絵ですね。

これ、ルーブルにあるそうだけど、私は見たことないんです。
ラ・トゥールの「マグダラのマリア」は何種類かあって、私が初めて見たのは、
ニューヨークのメトロポリタンで。横顔だけど、お滑らかしの髪型(宮中風)
で、顔がほとんどわからなくて、「お雛様」と思えるほどの平安朝で印象的
でした。
マグダラのマリアは、娼婦出身だけど、悔い改めてイエスの弟子になり、
その従順さと熱心さで、イエスに可愛がられたから、やっかみ半分に
たくさん伝説があるんですよね。聖杯伝説もそのひとつでしょう。
by TaekoLovesParis (2006-06-28 21:59) 

バニラ

はてさてわたしは話題に乗り遅れたくないからって読んだのだったかしらと
思い起こしてみれば、職場の若い子にぜひって薦められて借りて読んだのでした。 ま、似たようなものですね。
ルーブルには前にもまして興味を持ちましたけれど。
by バニラ (2006-06-29 21:57) 

yk2

taekoさん、こんばんは。
メトロポリタンにもラ・トゥールの「マグダラのマリア」があるんですね。さすが~。

で、早速Netで画像検索。小さなものですが、見つけてきました。
コスモポリタンの画は、鏡が描かれているせいで蝋燭の明かりが2つあって、やや明るい部分が多い作品になっているんですね。着衣も両肩、膝下が隠れるもので、肌の露出が多いルーヴルより清楚なイメージ。2枚を比較するとルーヴルの物の方がちょっとセクシーで扇情的ですよね。娼婦であることを一段強調したかのようです。

ふむ~。同一画家の同一テーマの絵で違いを較べてみるのって面白いですよね。教えて頂いてありがとうございました。

ラ・トゥールは性格の悪い、金に汚い男だったと聞いて何となくイヤになり(苦笑)、昨年の上野西洋美術館での企画展はスルーしてしまったのですが、実際にルーヴルで目の前にした作品はどれも素晴らしく、特に「ダイヤのエースを持ついかさま師」のペテンに掛ける方3人組の表情の豊かさ(=ズル賢い様)には大いに感心してしまいました。上野も観れば良かったと後から後悔しきりです。
by yk2 (2006-06-29 22:24) 

yk2

バニラさん、こんばんは。
ごめんなさい、そんなつもりで書いたんじゃないんですよ~(汗)。

だいたい僕なんて自発的に読む気なんてなかったんですよ。友達に無理矢理読め!って郵送で送りつけられたんですから(苦笑)。

で、その本、しばらくほったらかしにしてたんですが、TVでやってた特集番組で「最後の晩餐」に隠されたメッセージ、なんてのを見ちゃってから、俄然興味が湧いて面白くなっちゃったワケです。そのTV番組観なかったら、読みもしなかったと思いますよ。

>ルーブルには前にもまして興味を持ちましたけれど。

この映画の一番の社会的貢献は、ダ・ヴィンチやルーヴル美術館に多く目を向けさせた事かも知れませんね。僕は「モナ・リザ」って特に好きじゃなかったんですが、ドキュメントをいろいろ観ている内になるほど~!って思う、今まで知らなかったことがいっぱい有って楽しかったです。
その点ではダン・ブラウンよ、有り難う、ですね(^^。
by yk2 (2006-06-29 22:42) 

TaekoLovesParis

さすが検索上手なyk2さん、メトの絵をご覧になってくださったんですね。
着衣が着物襟で、平安朝だったでしょ?
本文中の画像は、型も脚も出ているのに、だらしない感じではなく、物憂げな
表情とあいまって清楚さすら感じてしまう。(美人は得って?)

モネとかルノアールは特に同じ主題の作品が多いので、比べるとおもしろい
です。
あの~4行目、メトのつもりがコスモポリタン、私はチョコレートを思い浮かべてしまった(笑)
<ラ・トゥールは性格の悪い、金に汚い男だった>
→そうなんですかぁ。道理で、「いかさま師」の描写が鋭い。
今、横に、西洋美術館の展覧会で買った「いかさま師」のファイルがおいて
あるから、ふと見ると、やはり、目つきに凄みがありますね~。只者じゃない
ってすぐわかる。作品の数が多くて、なかなかいい展覧会でしたよ。
マグダラのマリアは別バージョンがありました。

私も時々、先入観で、そんなの見なくていいわ、と行かないときがあるけれど、
後で、すごくよかった、って友達が言うと、ちょっと後悔。
キューレーターによって、取り上げる絵、配置などが変わるから、知ってる絵
でも、違って見えておもしろいんですよ。
by TaekoLovesParis (2006-06-29 23:29) 

yk2

くそ~、早く気が付けば直したのに(苦笑)>コス。
青カバのウィリアムくんに怒られちゃいますね・・・(^^ゞ。

と、云いつつ、でもでもtaekoさん、3行目の「肩」が「型」になってますよ~、気が付いてた?。僕はともかく、優等生のtaekoさんがねぇ~・・・(うひひ)。

冗談はさておき、taekoさんは本当に展覧会をたくさんご覧になっていますね。オペラも然りだし、文化方面全般の知識をたくさん持ってらっしゃるし、いつもすごいな~と感心しちゃってます。お仕事がそっち関連?。

そう云えばモネはここ1年くらいで「積みわら」を3枚観てますね。
プーシキン展とスコットランド展とオルセーとで。「睡蓮」はたくさん有りすぎていちいち覚えてられない(笑)。マルモッタンへは一度行ってみたいのだけれど。

この辺のお話は、まだ今年のオルセーの事をblogにするかもしれないのでまた今度。底が浅いので、コメントで話してネタ切れになっちゃうから(笑)。
by yk2 (2006-06-30 00:18) 

TaekoLovesParis

あは、私もまちがってて、逆に1本とられちゃった(笑)

仕事ね~、yk2さんって、聞き出すの上手だから。
私もyk2さんのお仕事、知りたいです。企画担当とかでしょ?
私はアートに関係ない仕事だけど、中高でいっしょの親友が歌姫だから
クラシックはいろいろ、、。前にデザイン事務所でアルバイトをしていて、
そこの先生からアート関係はいろいろと。。先生に恵まれていて一流のこと
を教わっています。ワインのcdm先生もそうです!

アルド・ロマーノは新宿のHMVになくて取り寄せ中。
買ったパールジャムの新譜を、「あぁやっぱりエディ・ベーダー」と思いながら
聴いています。メロウなポール・マッカートニーっぽい曲もはいってるんですよ。
そうだ、yk2さんも私のジャズの師匠になりつつあるじゃないですか。
by TaekoLovesParis (2006-06-30 23:22) 

yk2

taekoさん、こんばんは。
聞き出すの、上手ですか~?。考えたこともなかったです(^^ゞ。

僕の仕事は全く以てつまらないもので、企画とかアイディアが使えるような創造性が必要なもんじゃないです。それに、ここ1年くらいちょっとグレ気味なんですよー(苦笑)。ちょっとじたばたともがいてますねぇ。何とかしたいのだけれど。

>そうだ、yk2さんも私のジャズの師匠になりつつあるじゃないですか

taekoさんは僕が教えなくたって元から詳しいでしょう?。
それに僕は純粋なジャズ・ファンじゃないもん。
所詮は「jazzっぽいの」、ですから(^^;。

さて、明日(・・・ってもう今日なんだけど)はいよいよルネ・ジョリィ抜栓してきます。cdm先生にレポート出すよう云われちゃってるし、酔っぱらう前に感想留めておかなくちゃ・・・(笑)。

taekoさんはいつ飲むのかな?。taekoさんも要レポートですからね。忘れませんように(^^。
by yk2 (2006-07-02 02:04) 

cuvee-juliez

ほうほう、なるほど、両面からのルネ・ジョリ感想文がブログに出たら、素晴らしいですね♪
もし今週中にアップして頂けたなら、私からサプライズなプレゼントを差し上げたいのですが。
ちょっと想像付かないサプライズですからお楽しみに♪
あ、勿論taekoさんも、もし飲まれる機会があれば是非!
でも旬なプレゼントなので(ネタがばれるとツマラナイから)お二人ともに出来れば第1回目の締め切りは月曜まで。
で、いかがでしょうか?
これで我々が共にワクワク出来ますね??
by cuvee-juliez (2006-07-04 23:59) 

yk2

clos-du-meixさん、おはようございます。
飲みました、ルネ・ジョリィ!。
今週中にブログにアップするとサプライズなプレゼントですか~。なんだろ???。
実はそれ以外にも書きかけのものも有るので、飲んだ日の話は後でゆっくり書こうと思っていたのだけれど、なんとかがむばってみまふ。
by yk2 (2006-07-05 07:53) 

TaekoLovesParis

cdmさんへ
宿題出ちゃったから(プレゼントねらいだったりして、、)、週末に飲みます。
by TaekoLovesParis (2006-07-06 01:03) 

mikachan

はじめまして。plotさんのところから飛んできました。
本を読んで、映画も見ました。映画は時間の無駄でしたね。
まず、yk2さんの分かりやすい文章に引き込まれてしまいました。そうなんですよね、事実だと思ったからこそ、ダビンチコードは本の内容に一気に引き込まれてしまったけど、嘘の可能性があると知って、急速に興味を失っていました。
ダビンチコード実証学、読んでみたくなりました。
by mikachan (2006-07-07 17:50) 

yk2

ミカチさん、ご訪問とnice!頂き、ありがとうございます。

「ダ・ヴィンチ・コード実証学」は、決してダ・ヴィンチ・コードがインチキで嘘とデタラメばかりだ!、って非難している本ではないんですよ。とっても客観的に事実はこうだろう、と検証している本なのです。だから一方的にヴァチカンや教会側なわけでもないので、他の同様の検証本と較べたら冷静に読めると思います。

いろんな意見はあると思いますが、本屋さんでちょっとめくって見て下さい。
初めのうちはダン・ブラウンに失望するかもしれません。それに、実証学って謳うくらいですから、小説よりも遙かにとっつきは悪いです。でも、物語に登場した様々なキーワードについて、これを読めば本当のところが分かるんだ、って楽しさの方がだんだんに勝ってきますよ
by yk2 (2006-07-08 10:46) 

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