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「ピカソとモディリアーニの時代」 / リール近代美術館展を観る [ART]

 もしかしたら、ひとつの作品も好きじゃないかも知れない。そして何一つ理解出来ないかも知れない。

 予めそんなふうに感じていつつも、リール近代美術館所蔵のブラック、レジェ、ユトリロ、ルオー、ミロ、クレー、ビュッフェらの作品を中心とした企画展、「ピカソとモディリアーニの時代」(於、渋谷東急Bunkamura ザ・ミュージアム)を観に行った。

 印象派ばかりにしか興味の無い僕が、上記に名前を挙げたような画家達の絵をまとめて観るのは我ながら珍しいこと。やはりBunkamuraで開催された2002年のメトロポリタン美術館展「ピカソとエコールド・パリ」以来のことだと思う。但し、メトロポリタン展にはルドン、ボナールやドニなどのナヴィ派やアンリ・ルソーなど、オルセー・ファンには馴染みのあるポスト印象派の画家達の作品も出展されていた為に、展覧会トータルでの印象として(あくまで僕にとってはだが)、キュビズムやシュルレアリスムの難解さが薄められていたように思える。

 しかし、そうは云ってもやはりピカソ、ブラック、ジョアン・ミロらの個性的な作品群は、僕に強烈で理解困難なインパクトを植え付けるには充分だった。はっきり云って、何をどう見ても、何が何だかさっぱり分からないのだから・・・(苦笑)。

 今でも忘れられないのだが、ミロの「じゃがいも」(写真左)の前で立ち止まり、一体どうしたらこれが題名のように見えてくるのか、かなり長い時間を掛けて悩んでみた。

 でも、散々に考えた末に出た結論は、僕には理解不能のジャンルだってこと。何しろ、改めて図録の解説を読んだって、未だに何一つ納得出来ずに居るのだから・・・。

※ジョアン・ミロ
「じゃがいも」(1928) メトロポリタン美術館蔵



 実は今回の「ピカソとモディリアーニの時代」展も同じ美術館で開催されるだけあって、どうやらとても趣のよく似た、・・・と云うより、企画構成や絵のセレクションを考えた方が同じなのかも知れないが、前回僕のアタマにたくさん「???」を付けてくれた、同じ画家たちの作品が展示の中心になっている模様。

 それでも尚、今回この展覧会を観てみようと思ったのは、いつもいろいろなことを僕に教えてくれる博学なblogのお仲間taekoさんが、先日ラウル・デュフィ展を観て来られた記事(→http://blog.so-net.ne.jp/taekoParis/2006-09-24)を読んだから。

 それまであまりデュフィに馴染みがなかった僕は、自分が過去に観た展覧会の図録で彼の絵を探す内、過去、マティスに関連したことでしか読んだ記憶が無いような「フォービスム」の一派に、デュフィと一緒にブラックの名前が有ることも知ったのだ。

 ブラックはマティスらとともにフォーヴのグループを形成した後、ピカソと共にキュビズムの確立を担ったのだと知ってから、僕のブラックへの見方は徐々に変わっていったらしい。

 それは、取り敢えず簡単に云えば、「興味が湧いた」ってことかも知れない。

※右、ジョルジュ・ブラック
「レスタックの木陰の家」(1907) メトロポリタン美術館蔵



 実は、以前の僕は、今や大好きなマティスでさえも「ブルーヌードⅡ」以外はまるで理解出来ずにいた。それでも、何かしら興味への取っ掛かりを掴めさえすれば、ある日一転、大好きな画家と成りうることがあるのだと、身を以て体験している。

 心に思いつく色。その全てをキャンバスにぶつけていたようなフォーヴ派の画家が、何を思ってキューブを描くようになったのか。そんな視点で観たら意外と好きになれるかも、面白いのかも、と思ったのだ。



 あまりにも前置きが長くなり過ぎてしまった。
 これ以上行くと、まるでメトロポリタン展回顧録となってしまうので、以下は本筋に戻ってサクッと進行。今回は図録を買ってこなかったので、ここに絵を観た気持ちを書き残しておかないと、全て綺麗サッパリ忘れてしまいそうで自分自身でこわいのだ(苦笑)。



①ジョルジュ・ブラック : 「家と木」(1907-1908年)

 キュビズム絵画の先駆者、ブラックがこの幾何学的スタイルで描き始めたごく初期の作品。まだ木の幹は丸みを帯び原形を留めていて、これが風景画であることを観る者に理解させる。描写対象や色彩を一断面として切り取って、それをキャンパス上で再構築する手法はこの作品がスタートだったのだ。
 この作品制作当時のブラックはセザンヌからの多大な影響を受けていたそうで、なるほど、云われてみればこの絵はそんな色合いを確かに匂わせている。



②パブロ・ピカソ : 「帽子を被った女」 (1942年)

 ピカソ60歳の時の作品。分析的キュビズムや新古典主義への回帰を経て変化し続けた彼の作品は、最早僕のような凡人に理解することは不可能なようだ。キュビズムの分断手法を経て対象をパーツ化し、意図的にそれを本来在るべき場所から外して配置する彼の絵は、目の前にあるもの、心に残像としてあるものとは全く別のものなのだと思えてならない。まるでアリクイのような目鼻にサカナの口元をあっちとこっちに配したような「女性」の表情は、全てに於いて奇想を意図して生み出された「キャラクター」のよう。女性モデル(マリア・テレーズ?)の何をどう表現したかったのか、僕のアタマの中は今も理解不能のクエスチョン・マークでいっぱいだ。



③フェルナン・レジェ : 「花束を持つ女」(1924年)

 レジェもメトロポリタン展でも紹介されていた画家で、むかーし読んでいた「気分は形而上=きぶんはうああ(著者、須賀原洋行)」と云う、どうしょもないけど哲学的(笑)な4コマ・マンガのキャラクターは、きっとレジェに影響されていたに違いない!、との思いから、妙に忘れられない画風なのだ(^^ゞ。
 あ、でも、「形而上」とは辞書を引けば、感性上の経験では知り得ないもの。有形の現象の世界の奥にある、究極的なもの、とあるので、このレジェの描いた女性は確実な存在感を持つヴォリュームで描かれているので、「形而下」的なもの、になるのかな?(笑)。
 この作品とは別に、鉛筆で書かれた習作があったのだが、鉛筆とは思えない、まるでコンピュータで描かれたグラッフィックのようなその精緻なタッチは新鮮な驚きだった。



④アメデオ・モディリアーニ : 「肌着を持って座る裸婦」(1917年)


⑤アメデオ・モディリアーニ : 「赤毛の少年」(1919年)


⑥アメデオ・モディリアーニ : 「母と子」(1919年)

 エコールド・パリの異邦人、モディリアーニも僕にとってはややこしい存在。彼の描いた絵が好きなのか、嫌いなのか、果たして自分でもよく分からない。観ていて、不安定に右に左に心揺さぶられる画家なのだ。例えば、一番下の母子像は、彼なりの聖母マリアとの解釈もあるそうだけど、真っ直ぐ硬直した姿勢の子どもはまるで人形のように描かれていて、何やら生きている現実感にさえ乏しい。とても聖母像たる崇高さや神秘性は僕には感じられない。これが彼なりのマリア像ならば、ストレートな宗教観ではなく、彼自身の女性に対する崇拝や彼なりの思慕をモデルの女性に重ねているのであろうか。激しく、短く人生を終えた彼にとっての聖母マリアとは、宗教とはどんなものだったのだろうなどと思いを馳せる。
 縦に引き伸ばされたような細長い顔。画面下の下半身はたっぷりとしたヴォリューム。彼の描く人物は、まるでシャンパン・ボトルのようなフォルムをしている。そして、瞳の描かれないアーモンド・アイ。
 彼の絵に描かれている人物は、僕にはまるで感情が感じられない。テラコッタのような紅みを帯びた肌色は、一見、人の生気を感じさせるのに、反して眼差しは虚空で、どこを見つめているのか、とても寂しい。作品全体を支配する、少し心の沈みを覚えるような静謐感に、僕はいつしか言葉を失ってしまうのだ。



⑥ジョアン・ミロ : 「顔」(1937年)

 今回、このミロを観て、こっちこそが「じゃがいも」だろう!と、一人で突っ込みを入れてしまった(笑)。



⑦カミーユ・ボンボワ : 「ヒナゲシの花束を持つ田舎の娘」(制作年不詳)

 今まで全く知らない画家とその作品。
 世田谷美術館で現在開催されているルソーの展覧会も近々にと思っているので、素朴派と聞くとちょっと気になるトコロだ。健康的で純朴そうな田舎の娘を題材としていながら、画家は意図的にチラリとのぞく下着とヴォリューム感たっぷりの太ももとを画面の中央に配している。こう云うのって、時としてヌードよりよっぽどもエロティックに目に映ったりするもの。確かに描かれている女性は無防備で素朴なのかもしれないけれど、描いた画家は一体どこが素朴派なんだか。確信犯じゃん・・・(笑)。



⑧パウル・クレー : 「のみこまれた島」(1923年)


⑨パウル・クレー : 「夕暮れどきの人物」(1935年)

 クレーも、僕は知らなかった人。でも同行の友人は割とよく知った画家だそう。
上の作品は、この展覧会で僕が唯一、素直に心奪われた作品。「のみこまれた島」と名付けられてはいるが、僕にはまるで、エジプト神話の中の犬の頭を持つ冥界の神、アヌビスが永久の眠りに就き、厳かに安置されているかのように思えた(頭が右側ね)。ブルーの濃淡が幻想的で、とてもスピリチュアルな忘れ難い作品だった。

 その同じクレーが12年後にはこんな画風⑨に変わってしまうんだから、芸術家の自己表現の欲や悩みって、底知れないものなんだろうね。


 やっぱり今回もこの辺りの絵は、最後まで僕には難解のまま。次に観る機会は、有るかなぁ・・・・・・(苦笑)。


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TaekoLovesParis

私はyk2さんがご覧になったメトロポリタン美術館展に行ってないので、ここに出ている絵も初めて。(NYのには行ったけど、これあったか、、覚えてない)
だから、特に前半、おもしろく読みました。
yk2さんは見たこと、感じたことを的確にくわしく書いていらっしゃるから、「人は
どのようにして絵に興味をもつようになっていくか」というプロセスを拝見して
いるようです。仏映画に「恋人までの時間」っていうのがあって、2人がどのようにして恋におちていくかのプロセスを撮ってるんだけど、ふと、それを思い出し
ました。
ミロの下の絵の方が「じゃがいも」、これ大笑い。同感!下の方が色も形も、
どうみたってね。
ブラックの「家と木」、同じ年代、同じ題材でも、上はフォーブ、下はキュビズム
と典型的。おもしろい対比。この年からキュビズムがはじまったのですね。
セザンヌっぽい静物画をキュビズムに変化させた作品もいくつか見たけれど、
黒が強くない限り、好きな部類です。かわいらしさが感じられるから。

ピカソは活躍していた年代も長いから作風もどんどん変わってますね。
中学の最初の美術の時間は、ピカソの絵、目がいくつかあるような人物画の
鑑賞でした。「変」って片付けちゃいけないって言われました。
でも、(ヒソヒソ話で)、好きになれない。

レジェもデッサンの名手なんですね。絵にも流行があって、レジェがとても
はやった時代があって、リトグラフがずいぶん出回っていました。「レジェ」
っていう名前の喫茶店もあったり。次にカシニョールがはやって、ホテル
の壁はカシニョールばかりで、カレンダーにもよく使われていました。
シャガールがはやったときもありましたっけ。レジェの前、私が小さい頃は、
ユトリロとモジリアニがパリの代名詞だったし。

クレイの絵は童話を思い出します。クレイでほんわかしたところで、寝ましょう。
おやすみなさい。
by TaekoLovesParis (2006-10-26 00:54) 

plot

モディリアーニはイタリア人。「あ!マニエリズモ!」って気がついてから彼の絵画が理解できるようになりました。つまりロッソ・フィオレンティーノ=ポントルモ=パルミジャニーノ=モディリアーニなんです。
by plot (2006-10-26 00:58) 

シェリー

個性的というか?不思議な色の世界。あれこれ想像するのがいいのでしょうか・・・?絵画について皆さんみたいに素敵な発想が膨らまず・・・(汗)気の利いたコメントがでてこなくて申し訳ないです(><)
でもピカソさんは・・・私の生まれ年ムートンのラベルですので、ちょっぴり親しみが湧きます(笑)←残念ながらまだ飲んだことはないですが・・・(汗)
by シェリー (2006-10-26 12:57) 

yk2

洋一さん、こんばんは。
また、マニエリズモだなんてアカデミックでめちゃムズカシイことを・・・(笑)。

全く以て知らない言葉なのでNet上ですかさず検索してみましたが、すぐ洋一さんの「ダ・ヴィンチ・コードとマグダラのマリア」の記事に当たったので読み直してみました。・・・が、よく解りません(汗)。

マニエリズモとは、「ルネサンス」の枠内にありながら故意の規範逸脱ないしはルネサンス的理想の拒否とみられるような傾向を示す美術

と云う記述をよそのサイトで読みましたが、洋一さんのblogを読むとポスト・ルネッサンス的な「時期」的なものを表す言葉でもあるようだし、とってもムズカシイデス・・・(苦笑)。

因みにモディリアーニは、一例として⑥では「反古典主義マナーを以て、現代母子像の姿を通じて聖母マリアを表現した」と読み取れば良いのでしょうか・・・?。

よく分からないので、お忙しいでしょうがフィレンツェへ戻られましたらDolce Vitaにてまた中世イタリア絵画講座(初級編)、お願い致しますね(^^ゞ。
by yk2 (2006-10-27 00:15) 

yk2

シェリーさん、個性的って云うか、へんでしょ?(笑)。
僕はヒネクレモノなので、世間様みんなが良いって云っても、自分がイヤならばイヤだと云いたいタイプなので、認められないものは認めなくてもいいのだと思いますよ。特にピカソはどうしてこんなにも天才だと崇められるのか、僕にはぜーんぜん、解りません。

>でもピカソさんは・・・私の生まれ年ムートンのラベルですので

いかにもシェリーさんらしい親近感の持ち方ですね(笑)。

僕の生まれ年のボルドーは結構出来が良かったらしいので、もし誕生年のムートンが目の前にあったとしても値段もかなり良さそうです。きっと縁がないだろうなぁ~・・・。せいぜいル・プティ・ムートンで、僕は充分に幸せです(笑)。
by yk2 (2006-10-27 00:27) 

yk2

taekoさん、「じゃがいも」のハナシにご賛同頂きまして、ありがとうございます(笑)。

ほんと、taekoさんにいろいろ教わっているので、最近の僕はあっちもこっちも興味の対象が増えて困ってます。それにcdmさんやjulliezさん、bizouxさんにフランス・ワインを勉強させて頂いて、洋一さんにはルネッサンスでしょ。勉強するのもこれで、結構大変なんですから・・・(笑)。

絵って、結構影響がリンクしてるから、調べて行くと数珠繋ぎみたいに関連し合ってるのが分かると面白いですね。taekoさんが先日紹介されてたモネ夫人のエピソードみたいに、知ってると知らないとじゃ、全然別物に見えて来ちゃうものもあるし。

エピソードと云えば、taekoさんがボストンで観て来られたカサットの「青い肘掛いすの少女」にも面白い話があったんですね。あれって・・・、って、今ここで書くのはやめておこうっと。「taekoさんに影響されて調べてみましたPART2」でいつかそのうち別に記事としてまとめましょう(^^。
by yk2 (2006-10-27 00:51) 

julliez

こんばんは。
yk2さん、グッドビンテージなんですね。
でも、ムートンがセカンドをリリースしたのは1993年、
(その時だけプティムートンじゃなくてle second vin de mouton rothschild ってまんまの名前で)だから相当お若い方・・・とつっ込まれますよ♪
個人的には、5大シャトー陣の放ってくる白の方が(本家に比べて)お値打ちでしかも面白くて好きです。
それに、そういう白ワインを選ぶと、ポイント高いですよ。
知らない造り手のシャブリやムルソーの特級クラスで攻めるより、
手堅くて新鮮♪
是非一度機会があればお試し下さい。
(でも白ワイン好きな人、赤に比べたら少ないですよね・・・。)
by julliez (2006-10-27 02:25) 

yk2

julliezさん、僕だってムートンのセカンドがそんなに未だ歴史がないコトくらい知ってますよーだ(笑)。プティを例えに出したのは、せいぜい僕が買えるのはここらのクラスで打ち止め、って意味だったりします。そんな良いワインだと、食事もバランス取ってレベル合わせなきゃいけないでしょ。僕はそんなご身分じゃないですからね~。
#そもそもここでこんな突っ込みが入るとは思わなかった・・・(苦笑)。

自分の生まれ年のムートン、調べてみましたが目が飛び出るような値段では無かったです。無理すれば、って金額。でも、絶対無理しないけど・・・(^^ゞ。
それより誕生年のロマネ・コンティに付けられている値段には、もう腰が抜けそう。誰が買うんだろう・・・。

白ワイン勿論好きですし、5大シャトーの白や特級クラスにも興味はあるけどなかなか「高級な白」までは手が回らないですね~。ムルソーにモンラッシェにディケムと、飲みたいワインはいっぱいあるけど、僕には分不相応で、ちょっと勿体ない気がします。いつか飲んではみたいけど。
by yk2 (2006-10-27 13:09) 

TaekoLovesParis

上のコメント<#そもそもここでこんな突っ込みが入るとは思わなかった・・・(苦笑)。>を読みながら、笑っています。julliezさん、最近、冴えてますよね。。。じゃなくて、本領発揮ですかぁ(笑)。cdm司教サマの「エライにもいろいろあるで」発言に笑い、昼間それを思い出してニヤリだったのに、そのあとにイエローカードがついて、実にうまいです。cdmさんも苦笑なさっているのでは~(笑)
って、yk2さんのとこに書いてしまった。。。ま、許してくださいまし。

友達のご主人の出版祝いパーティの2次会がワインバー。すすめられるままに誕生年のロマネコンティ200万円。「いいんだよ、僕のおごりで」と本人が言ってるのに、おせっかいなおじさんが「彼に全部払わせちゃ気の毒だから、カンパにしよう」と袋が回ってきて、しかたなく2万円払ったと、歌姫がブツブツ。お祝いだって持ってったのに、、Taekoちゃん、パリに行ってて欠席で正解だったよ」と言われました。立食パーティとグラスに数センチのワインで5万円じゃ、絶対
、私怒るもん。

今年は、こんなに楽しいワインの話をきけてるのに、耳学問で終りそうで気に
なってます。手帳には飲みたいワインの名前が、、もうだいぶたまってる。
今日、また「ムルソーにモンラッシェにディケム…yk2」を付け加え、、あ~早く
仕事から解放されたい。明日もあさっても出勤。むぅ。。
by TaekoLovesParis (2006-10-28 01:19) 

julliez

またまたお邪魔します。
あのね、yk2 さん、日本にシーズン10月に帰国する場合、
ソムリエ試験受験生が手ぐすねを引いて暗記ネタのツッコミで待ってるからボルドーとブルゴーニュは特に注意せよ!と言われていたんですよ。
で、受験生でもないのに私がつっ込んでて、見事にドボンですね。(笑)

寄り道法王はお笑いが無いとダメ出しが厳しいので、若手ソムリエのつっ込みよりドキドキします。

taeko sanの「ムルソーにモンラッシェにディケム・・yk2」を付け加え・・・のくだりにバカ受け中です♪

これぞ「葡萄組」・・・ですか?
by julliez (2006-10-28 01:51) 

yk2

taekoさん、ヘンなとこで笑わないで下さいな(苦笑)。

いや~、ロマネコンティ、200万!、ポケットマネーで!!。すごい!!!。
でもそれを数センチでウン万円払って、飲みたくもないのにカンパ取られちゃうのもツライですねー。歌姫さんが支払われた2万円だけでも結構美味しいワインが・・・って云うか、かなり上等なヤツが飲めたのにねー。確かにtaekoさんは居なくてツイてたかも知れないですね(笑)。

僕の生まれ年のロマネ・コンティも、飲食店に出されるとそのくらいの値段になっちゃうのかなぁ・・・。正直云ってロマンは感じるけど、ちょっと常軌を逸しちゃってますよねー。

taekoさんはこの土日はお仕事みたいで大変ですね。せめて美味しいワインでもさらりと飲んで、ストレス発散して下さいね。
by yk2 (2006-10-29 01:05) 

yk2

julliezさん、こんばんは。
ソムリエ受験生さんたちに質問されたり突っ込まれるのは本来cdmさんやjulliezさんみたいなワインの専門家さんたちでしょう?。それなのにどうして突っ込まれる側のjulliezさんが僕に・・・。立場からして根本的に間違ってますから!!(苦笑)。

>これぞ「葡萄組」・・・ですか?

taekoさんはcdm門下のマジメな優等生ですからね~。
好奇心も豊かだからなんでもすぐに覚えて吸収しちゃう。その内飽き足らなくなって、ソムリエ試験受ける!なんて言い出しちゃうかも知れませんね(笑)。

その点僕は、差詰め期限までにレポート提出がいつも間に合わない劣等生(^^;。
by yk2 (2006-10-29 01:16) 

ポコmom

絵画についてのコメントははじめです。

「もしかしたら、ひとつの作品も好きじゃないかも知れない。そして何一つ理解出来ないかも知れない。」
の出だしがあまりにカワイイのでコメントします♪
実は敢えてさけていました。
どうしてかというと、yk2さんの芸術鑑賞の仕方とマムのそれが正反対だからなんです(笑)。
マムは小さい時から書画骨董絵画とビジュアルなものが大好きで画廊にひとりで出入りしていました。

中学一年のときにひとりで入った画廊で「古薩摩の徳利」を一目で気に入り
当時四万円でしたが、借金して持ち帰っちゃいました。
家に帰ると画廊から電話を受けた母が「マムちゃん、四万円の借金はまだまだ早すぎよ」と。
それだけのお小言(ニコニコしながらですが)でおしまい。
マムはその古薩摩にバラを一輪さしたらどんなに素敵だろう。
この古薩摩には絶対にバラだわ、と思いながら自分のものにしました。

なにを言おうとしてるのかしら・・・?
思い出話?、じゃなくてそれくらい小さい時から本屋に立ち寄るように画廊や美術展に行っていました。
そのときから自分のビジュアルを観る目って、その芸術の成り立ちやらいわんとしていることとか、寓話性やら神話やら宗教やら派閥やらはいっさい切り離したとこにあります。
ただし、「いいなあと思う絵画」をもっと知りたくてその背景を調べたり、Aの絵画とBの絵画が同じテーマで全く異なった描きかただとか、知ることでもっと深い感動が湧いたりもします。
美校をでてますから当然、知識も普通の人よりあります。
けれどやはり芸術を鑑賞する時はまっさらではいっていきます。

yk2さんが素直に「わかんない」っておっしゃるのとても好もしいです。
うちのイカちゃんもいっしょに美術展にいくと美校出でにも関わらず、
「わからん」の連発です。

ブログに掲載なさった絵はどれもよい絵だと思います。
そしてコッチのほうが「じゃがいもだろう」という感想はとてもよいと思います。

よい絵をかける画家って形而上、わけわかんなくても共通しているのはデッサンが非常にうまいということです。
デッサンにつきます。デッサンの下手な人が一時的に流行ったとしてもそれは一発屋です。いずれボロがでるんですよね。
デッサンの下手な人の絵には緊張感がないんですよね。

マムちゃんはマチスもデュフィもだーいすきですよ。
そしてミロもクレーもね。前はクレーの大きな額を飾っていましたよ。

「作品全体を支配する、少し心の沈みを覚えるような静謐感に、僕はいつしか言葉を失ってしまうのだ。」というyk2さん。
これってすごいあの絵を理解しておいでだと思うし、よい絵だからこそ、こういう思いが浮かぶのだと思いますよ。

私は村上春樹さんの大ファンなんです。でもすごく難解なところがあるの。
それで娘に「わかんない」を連発すると、娘に言われちゃいました。
「わかろうとしちゃだめだよ、かんじるんだよ」と。
言葉がでませんでした。
そいでもってイカちゃんは春樹さんの小説「なにがいいんだかさっぱりわからん」といつも首をかしげています。

もしかしたら気分をがいされたかもしれません。
削除されていっこうにかまいません。
これからもyk2さんの芸術リポート楽しみにしています。
by ポコmom (2006-10-30 15:59) 

yk2

マムさん、ながーいコメントありがとさんです。
気分を害するなんてとんでもな~い。むしろ、喜んでますよ(^^。

でもね、マムさん、ちょっと間違えてますよ~。
僕は、画家の履歴やグルーピング、作品のテーマが神話であろうが寓意が込められていようが、元々は全くお構いなし、なんですから。
インスピレーション1本。好きか嫌いか、それだけなんですよ。

でね、好きになってから色々本を読んだりして興味が広がって行ってるのです。
たまたま好きな画家、画風に印象派が多いだけで、別段絶対的でもありません。でも、宮廷画や神話、宗教画があんまり得意でなくって、近代抽象画もダメと来れば、自ずと残るのは、って感じでしょ(笑)。

僕は自分の好きなもの以外は、本来どうでもいいのです。
音楽もそう。誰がどんなに良いって云っても、自分にとって無価値なら、それはなんでも在り得ないのです。でも、そんな個人的趣向で「嫌い」だと書いてしまうのはイヤなんです。スタンスが違えば、心に響くポイントが違って当然。僕が自分のblogに書いていることは、あくまで自分がどう思ったか。どうでもいいものにいちいち、ツマンナイって書くのもツマンナイでしょ(^^ゞ。

分からないのは、ツマラナイとは違うと思うのです。自分に届いてない何かが有ると思ってるから、まだ最終的に自分の評価が付けられない。だから、ほんの微かでも興味や好奇心は残っているのです。

音楽や文学、芸術って、楽しみ方も人それぞれ。千差万別で好いと思います。でも、やっぱり同じ作品が好きだって云ってくれる人がいると嬉しい。僕が知らないことを、さらっと教えて貰えたりすると尚嬉しい。そんな気持ちで書いてるのです。

だからね、イカさんが村上春樹さんを理解しないのもそれはそれ。村上春樹がつまらなかったら、その人は違うものを探せばいいと思うのです。それを「分かろうとしないで感じるんだ」と云われても、それは僕にも難しいだろうなぁ。だって、書いた本人は、絶対何か意図して書いてるんですもん(笑)。
by yk2 (2006-11-01 00:45) 

ポコmom

OK,OK!
by ポコmom (2006-11-01 22:50) 

yk2

マムさん、こんばんは。
僕も一度村上春樹読んでみますね。はっきり云って今まで興味ゼロだったんですが、マムさんが思うようなことを自分でも感じられるか、試してみます。
by yk2 (2006-11-03 00:26) 

ポコmom

エ~!
なに読んでるんですか?
私ね、はじめ大っ嫌いだったんですよ。先ず文体が生理的にだめだったんです。短編にいたっては殆どわからないしね。
ところが、世は(当時)ノルウェーの大ベストセラーでしょ。
ノルウェーときたら人はすぐ自殺するは、セックスはするはで????
でした。
でもね、ガマンしてデビュー作から年代順に読んだわけです。そして「ハードボイルドワンダーランド」で、胸を打ち抜かれました。
そのときもわけわかんないのにジェットコースターに乗せられたようにやみくもに読み進みました。
読後の寂莫感、虚無感に疲れて果てちゃいました。

今もわからないこと多いんです。
実は・・・。
by ポコmom (2006-11-05 20:17) 

yk2

マムさん、まだ読んでませんってば(笑)。
ちょっと本屋さんで手にとってみたのですが、たくさん在って何から手を着けたらよいのやら、です。

ちょうどね、村上作品へのジャズ・ミュージシャンからのオマージュとして、その名も「アメリカから届いた10のオマージュ」ってコンピレーション・アルバムが出たばかりなんですよ。それに好きなミュージシャン達が何人か参加してることもあって、村上作品自体も、少しだけ気になってるんです。

でも、僕は普段は現代小説を殆ど読まないので、きっと我慢するくらいなら1冊でさえ最後まで読み切れないかもなぁ・・・(^^;。
by yk2 (2006-11-07 12:48) 

ポコmom

しつこくてごめんなさい。
あのね、村上さんって物凄く、音楽に対して造詣が深いんですよね。
彼の小説は全編、音楽が流れているんですけれど、時々じれったくなるんです。
音楽をもっと知っていれば、村上さんの世界にはいりこめるのにと。
アメリカでひろく彼が読まれている理由の一つは、アメリカンポップスやジャズが小説の中にちりばめてあるからなんですよね。
そういう意味では日本人よりアメリカ人のほうが自然に彼の作品に入れるんじゃないかと思います。
あるいは、yk2さんなんかはイメージがすぐつかめるのかもしれません。
マムはいつもイカちゃんにこの曲どんなんだっけて無理矢理ハミングさせて嫌われています。

「ポートレィト・イン・ジャズ」なんかは彼のジャズ感(音楽感)がわかりますよ。
以上、もう村上さんの話は封印します!
by ポコmom (2006-11-07 23:09) 

yk2

マムさん、別にしつこいなんて思ってませんから大丈夫(^^。
村上氏はライブハウスだか、ジャズ喫茶を経営してたことが有るとか無いとか聞いたことがあります。なるほど、作品に音楽が流れてるんだ。だから今回のオマージュ・アルバムが、なんですね。

それじゃ、「ポートレィト・イン・ジャズ」ってのから読んでみることにしますね。
教えて頂いてありがとうございます。
by yk2 (2006-11-08 02:56) 

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