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桜さくらサクラ・2009@山種美術館 [ART]

千鳥ヶ淵.JPG

 もう5月。の花などとっくに散ってしまって跡形も無くなってしまっていると云うのに、今さらながら九段まで“お花見”に出掛けました。とは云え、桜の名所として知られる千鳥ヶ淵はご覧のとおりすっかり緑萌ゆる季節です。この時期見られるのは、花は花でもツツジやシャガなどが地味に花壇で咲いているくらいで、それだけを目当てにするのは少々寂しい。ところが、たった1箇所、このすぐそばに在る“とある建物”の中だけには、未だ満開に咲き乱れる桜で花いっぱいに満たされていると云うのです。

 さてさて、その場所とは一体どこでしょう~?。




 なーんて、ちょっと導入部が大袈裟だったかな?[わーい(嬉しい顔)]

 九段へ出掛けた理由とは、山種美術館で開催されていた『桜さくらサクラ・2009』を観るため、でした。この日まだ満開だったは、実は描かれたさくらの花。日本画の中のサクラのことだったのです(^^ゞ。

桜さくらサクラ2009.jpg

 ちぇっ、なーんだ[バッド(下向き矢印)]、なんてツマラナイ顔しないで下さいね。観に行った僕にしてみれば、この美術館の中だけは未だにサクラが満開なんだなぁ~って思えたのは、決してこのblog用に大袈裟な飾り言葉を並べた積もりなど全くなく、素直に感じたまでのこと。本当に、眺めるも壮観な“サクラづくし”だったんですから。


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 今回は図録を買っていないので、画像でご紹介出来る作品が限られています(山種美術館の収蔵品は近~現代の画家が多いこともあって、当然に著作権の問題もアリ)。拙い文章で多分に分かりづらいとは思いますが平にご容赦を・・・(^^ゞ。

 因みに上に掲載しました展覧会のチラシに登場しているのは、上が東山魁夷『春静』(1968)※部分で、下は石田武のその名もズバリ『千鳥ヶ淵』(2005)。お堀の水面近くまで届きそうな桜の枝は確かに千鳥ヶ淵の風景で納得なのですが、光の当たり方が花と背景との間でどうもアンバランスに思えてしまって(ああ、なんてナマイキなことを・・・^^;)。


 先ず、会場へ入ってすぐに飾ってあった加山又造(1927-2004)の『夜桜』(1986)の壮麗な姿に早速魅入ります。墨色の夜空に浮かぶ朧月に照らされた枝垂れ桜は、まるで加山の描くリアルな女性像そのままに、妖しくむわんと匂い立つかの様な色香を湛えている様ではありませんか。

 つい、こんな満月の夜が人を狂わせるのかなぁ・・・なんて考えてみたりして(^^;。


 ここから、「狂う」繋がりって視点で観てしまった(こらこら・・・^^;)のは小林古径(1883-1957)の『入相桜』(1930)。古径の代表作、安珍と清姫の物語をテーマに描いた『清姫』全8連作の内の最後の1枚。恋に焦がれ狂い、大蛇と化して安珍を道成寺の鐘ごと火炎に包んで焼き殺した哀れな清姫を悼み植えられた桜と云う設定。今は何事も無かったかの様に静かに咲き誇る満開の桜の美しさには、やはりどこか狂気じみたものを感じて、怖ろしく、そして痛々しかったなぁ。


奥村土牛_醍醐.jpg

 これらに対して、ホッと出来る様な暖かな色合いで描かれた優しい桜は奥村土牛作の『醍醐』。(1972)。山種美術館は国内外屈指を誇る土牛コレクション(本書、素描、書を合わせて135点)で知られるところなので、この様に土牛の作品とそれにまつわる画家自身の言葉を紹介する小冊子が売られています。僕はこれを以前訪問した際に買って帰ってよく家で眺めていたものですから、今回の展示をとても楽しみにしていました。或る意味、山種美術館を象徴する様な1枚なんじゃないだろうかとさえ、思っているものですから。
 背景の白い土壁から、この絵も代表作『門』と同じく白鷺城(姫路城)で描かれたのかと、つい安直に想像しがちですが、実際はタイトルが示すとおり京都の醍醐寺三宝院の桜を描いたものだそう。


土田麦僊_大原女.jpg

 二双の大きな屏風絵で目を引いたのは土田麦僊の『大原女』(1915)。展覧会ちらしから画像を引用していますので、今回ここでは白黒ですが、実物は彩色。左隻には水車と竹林、右隻には3人の大原女が山道を行き、その中央に1本の桜の樹が配される構図で、竹も大原女も同じ様な形態を繰り返し描くことで装飾的リズムを感じさせる琳派的様式で描かれています。特に殆ど3人が同じ格好でいる大原女はポージングに悩んだ後が伺え、足元は敢えてうっすらと下書きの線が残されたまま。これを動きの表現と考える向きもあるようですが、僕にはどうにも未完の儘の様な気もして。本当のところはどうだったのかなぁ・・・。


小茂田青樹_春庭.jpg

 横山大観、河合玉堂、速水御舟、菱田春草など、近代日本画界のビッグ・ネームの作品が並ぶ中、僕が気になったのは、この小茂田青樹(おもだ・せいじゅ:1933年歿、享年43歳)と云う画家の描いた桜。と云うのも、今回展示されていた桜の絵の内、この絵に描かれている小径が、この日一番に千鳥ヶ淵を歩いているイメージに近いと思えるものだったから。ぼんやりと霞む桜から、はらはらと散る花びらが舞う景色はとても幻想的でした。ただ、ここで僕が乗せている絵葉書は色合いが現物とはちょっと違っているように思えて、イメージが少々違ってしまっている様な・・・。


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山種美術館_01.JPG

 山種美術館は今年の7月26日をもって一旦休館し、現在の所在地、東京都千代田区三番町2番地から渋谷区広尾へ移転し10月1日に新規オープンする予定(http://www.yamatane-museum.or.jp/news.html)になっていますので、千鳥ヶ淵で行われる“桜づくし”の展覧会はこれが最後。桜が咲いている内に観るべきだったかな・・・と若干後悔しつつ、でもこれ程のコレクションならば、例え実際のサクラが既に散っていようとも、描かれた桜の美しさだけでも充分に満足出来る内容。これで千鳥ヶ淵と云う桜の名所からは離れてしまう訳だけど、きっとこの山種のサクラは来年以降も新たな場所で、ず~っと人々の目を楽しませ続けてくれることでしょう。

山種美術館_02.JPG

 サクラの代わりと云ってはなんですが、この日、美術館ビル入り口にはセイヨウシャクナゲの花が満開。和の花の様でいて、エキゾチックな南方の花の様でもあるその姿をしばし眺めていたら、次第にこの花も山種美術館に作品が収められている明治以降の近・現代日本画の画家たちにイメージが重なる様に思えて来ました。伝統様式を守りつつ、洋画の影響を受け入れて新たな世界を切り開いてきた彼らの折衷感覚が、僕にそんなふうに思わせたのでしょう。

 でも、このシャクナゲの花からでさえ、そんなふうにこじ付けがましく考えてしまうのも、結局はこのところの僕が日本画と花(+写真)の関係にずっぽりハマり込んでるからに他ならないんでしょうねぇ。全てはみなデジイチの所為?・・・(^^;。

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