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ドミニク・アングル作、“パフォスのヴィーナス”未完の謎 [ART]

フランス絵画の19世紀.jpg

 今回はいきなりギリシャ神話のお勉強から入っちゃいます(^^;。

 全世界を最初に統べた神々の王とされる天空神ウーラノスは、母であり妻でもあった大地の女神ガイヤとの間に12神を我が子としてもうけた。しかし彼は、それらの神々の内、あまりに奇怪で醜い風貌をしたキュクロプスやヘカトンケイルらを嫌い、奈落(タルタロス)へと幽閉してしまう。これに激怒したガイヤは、やはりこの天空神との間に生まれた我が子クロノスに命じてウーラノスを去勢する。この時切り取られた男性器が海に投げ捨てられ、生じた泡から生まれたのが、ギリシャ神話の愛と美の女神アプロディーテ(ローマ神話の愛と豊穣の女神ウェヌス=ヴィーナス)とされている。そして、帆立貝の貝殻に乗って海を漂った彼女が、やがて辿り着いた場所こそ地中海のキュプロス島パフォスだった。

 ヴィーナスの誕生の話、ちゃんと知ってました?。



 いつも必ず観ていると云うわけではありませんが、好きなアーティストが登場する回はとても楽しみにしているTV東京の美術番組「美の巨人たち」。6月20日(土)の放送では、横浜美術館で12日から始まった展覧会・「フランス絵画の19世紀」にタイミングを合わせて、ドミニク・アングル『パフォスのヴィーナス』が取り上げられました(http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/090620/)。


 これに先立つこと1ヶ月。NHKの「日曜美術館」でも同様の企画が5月に放送済みでしたので、後発となる「美の巨人たち」には、今まで僕が図録や本で読んで知っているようなものでなく、さらに深く踏み込んだ内容、または全く別の角度からの話を期待していたのですが、残念ながら初めて聞く様な驚きの新事実や逸話が語られる事もなく、ヌードの女性モデルを使った検証、方向は違えども「写真」を取り上げ、ピカソのキュビズムへと繋げるオチまでNHKの放送内容とほとんど同じと云う、全く代わり映えのしないものでした。これにはちょっとがっかり・・・。

 それと云うのも、新古典派の大巨匠アングルに関する本はと探してみると、僕ら一般の美術ファンが今現在書店で普通に入手出来る様な物は実はそれほど多くないのですね。アングルは自身の手記も残していますし、多くの弟子たちの証言なども残されていて、フランスでは学術的研究書籍の類も古くから出版されているようですが、現在の我が国の出版物カタログには見当たりません。原書は取り寄せられるのかもしれませんが、フランス語じゃ読めませんし・・・(^^;。印象派の人気が高いここ日本では、ただでさえ新古典主義はアカデミスムの象徴として「前時代の遺物」的な扱い(革新=良、旧守派=悪)を受けているため、あまり人気が無いのかもしれませんねぇ。

 だからこそ、「美の巨人たち」には、そんな手に入りにくそうな文献から、これは初耳!と、思わず目を見開いてしまう様なエピソードを引っ張り出して来てくれたらなんて期待をしていたので、弟子のフランドラン兄弟を通して『パフォスのヴィーナス』の未完成の謎に迫ると云う設定は、とても良い思い付きだと思ったのです。何故なら、そもそもこの絵のモデルであるアントワネット・バレーの肖像は、彼らフランドラン兄弟がデッサンを提供したものをベースにアングルが手掛けていたのですから。

 しかし、この設定も今回の番組ではさして活かされる事もなく終わってしまいました。何しろ、今さら透けた手首や描きかけのキューピッドを不気味な亡霊みたいだ、なんて云ってるようじゃねぇ・・・。


Paphos_顔.jpg

 この絵が未完成で終わってしまったが為に、終生画家のアトリエに残されていたと云う事実を、あまりにドラマティックにしようと膨らませ過ぎなんですよね。番組中、アングルの「視線」の検証を行ったフランス人画家が、彼の意見として、アングルは自己の革新的な目指すべき指針として、護符のように常に目に付く手元に置き続けたのでは?、とダ・ヴィンチと『モナリザ』の例まで挙げてなぞらえます。まぁ、1つの見方としては確かに面白いんですが、アングルが1つの作品に呆れるくらいに長く時間を掛ける(例えば、代表作であるオルセー美術館蔵の『泉』は完成までになんと30年以上も費やしている)事を思えば、今一つ説得力に欠ける様にも思えます。


Paphos_手の位置.jpg

 アングルとしては、常に自己最高傑作を目指して描いているわけで、この絵の様に長時間を掛けているにも係わらず最後まで“描ききれない”と云う状態は、やはりどこか気に入らない、または迷いが有るから筆が進まなかったんだと、僕は思うのです。
 
 なぜ、この絵は未完の儘終わってしまったのか。何故この絵は修正部分を塗り残したままなのか。

 敢えて塗り残すことで、歴史画(神話図)と肖像画、そのどちらをも行き来するのだ、と云う発想も、切り口としては面白くはありましたが、違和感を覚えます。アングルは常に自分が画家として最高の権威である歴史画家として在る事を望んでいました。巧みな肖像画は幾ら素晴らしい出来と云っても、あくまで生活の必要に迫られての物でしかありません。19世紀当時のアカデミスム絵画に於ける歴史画と肖像画の立場、重要性の差違に触れずに両者を並列に考えるのは全く以て21世紀的。現代の我々が持つ、あまりに普通の感覚で語り過ぎてやいないでしょうか。

 な~んて事を僕が考えてしまったのは、横浜美術館での展覧会を前に“予習”として、鈴木杜幾子著の『フランス絵画の「近代」 シャルダンからマネまで』って本を読んでいたから、その受け売りに他ならないんですけどね(^^;。

 
フランス絵画の「近代」―シャルダンからマネまで (講談社選書メチエ)

フランス絵画の「近代」―シャルダンからマネまで (講談社選書メチエ)

  • 作者: 鈴木 杜幾子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1995/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


 作者の鈴木杜幾子さんはヨーロッパ近代美術史が専門で、アングルに関する書物を探して行くと、何度もその名に行き当たる第一人者的研究者です。この本では、現在の僕らが漠然と思っている「絵画」と、19世紀の画家たちやその顧客たる王侯貴族、新興ブルジョワにとっての“絵画”の、“物としての在り方”の違いを、当時の社会背景と共に簡潔に我々読者に伝えてくれています。僕はこの本を読むまで、歴史画を描くことが許される画家がほんの一握りのみのエリートで、たとえ描いたにせよ、その地位になく初めから全く認められない画家が数多(あまた)居ただなんて、考えてみた事もありませんでしたから。また、裸婦画におけるジェンダー考察など、男性観者にとってはドキリとさせられる鋭い切り口で、なるほどなぁ~と感心させられる事も多々あり、の好著です。


 結局、何のために当時の画家たちはアカデミスム絵画を極めようと官展(サロン)を目指したのか、それに言及しない、視聴者に理解させないで、アングルが『パフォスのヴィーナス』で何に心定まらず完成に至らなかったのかを考えても、片手落ちにしかならないと思うのです。結局、今回の日曜美術館も美の巨人たちも、そこを視聴者に伝えてくれない儘で、まるっきり現代社会の人間の「視点」に終始してしまったので、どうにもすっきりしない内容だったと云わざるを得ませんでした。果たして、これが『19世紀のフランス絵画展』のきちんとしたガイドになるのかしらん???。


★ ★


 ところで、この絵、『パフォスのヴィーナス』が語られる上で必ず話題となるその特異性(背中と胸の見え方の不自然さ)についての検証を、僕も僕なりに試してみました。
 
Sample_A.JPG Sample_B.JPG

 適宜なフィギュアが手元に無いのでこんなサンプルで申し訳ありません。だってTVみたいにヌード・モデルなんてワケにもいかないし~(苦笑)。

 本来、アングルは左の様な構図でモデルを真横から見た絵を描いていました。しかし、首から下だけ、特に意図して胸を描きたいが為に、もっと正面向きからでないと見えない部分も一緒に描き足してしまっているのです。立体を分解して平面的に展開する様な手法、例えば(サイコロの展開図などを思い出して頂くと解りやすいと思います。

Sample_合成後AnB.JPG

 極端な合成例ですが、『パフォスのヴィーナス』はこんな具合の構図、アイディアで描かれているのです。この、描写対象と云う立体を「面」に分解して、遠近感を排除して平面(絵として)に展開を図ると云うアイディアこそが、ピカソをキュビズム、後の分析的キュビズムに向かわせる動機となったのですね。

 と、ここまではTV番組でやっていた事をなぞったまで。


 これを踏まえて、パソコン時代ならではの簡単な遠近法の修正を、実際に絵に加えてみます。

Paphos_左半身.jpg Paphos_左半身加工後.jpg

 アングルが不自然に描いている胸から下の部分を切り出して、画像の縦横比を狭くしてやることで、手前(近く)から奥(遠く)へと遠近感の効果が見て取れるようになるのがお判りでしょうか。


 何をしたのか、もっと判断しやすい例をご覧頂くと

P3140106フェルディナンド・ホドラー_02.JPG

 これ↑はオルセー美術館で撮影したフェルディナント・ホドラーの絵なのですが、実はこの写真(縦500ピクセル×横500ピクセル)は下の写真を加工したものなのです。

P3140106フェルディナンド・ホドラー.JPG
 (縦500ピクセル×横375ピクセル ※加工していないオリジナルです)


 美術館で作品を撮影する場合、常に真正面から写真が撮れれば好いのですがなかなかそうも行きません。また、ガラスケースに反射する自分が写り込まないよう、仕方なく角度を付けなくてはならないケースもあります。この時は、真正面に他の鑑賞者さんがいたため、邪魔にならない様と絵の左側から撮影したものなのですが、こう云ったケースでは当然の事ながら、どうしても手前と奥側に遠近が発生してしまいます。そこで、縦はそのまま、横辺のみを伸ばす加工(ここでは375ピクセルを500ピクセルにしてみました)を与えると、手前から奥へ向かう角度が緩やかになり、この様に絵が正面を向くような効果が得られると云うわけです。


 これを利用して“パフォスのヴィーナス”の、本来ならこの位置からはこうは見えない筈である体左側の不自然さを取り除いてみると・・・

Paphos.jpg
Paphos_02加工後.jpg
※上がオリジナルの作品、下が加工を施したものです


 さて、あなたは有りの儘である真実の光景がお好みですか?。それとも、アングルが好んだ、「ちょっとだけ」真実からずれた“美”の世界をお好みでしょうか?。

 - 真実ということに関していえば、私は、多少の危険を冒してもそれから僅かに隔たったものの方が好きだ。真実が真実らしく見えないことがあるのを私は知っている。往々にして髪の毛1本程の隔たりでもそれは充分なのである。(「芸術と美について」 ドミニク・アングルの手記から : 訳文、鈴木杜幾子)

 僕は「ずれてる方」、つまりはアングルの「視線」を通した美の世界の方が、断然好みです。





ドミニク・アングルに関連する過去記事

・ピカソの「白い服の女」から“お手本”を遡る(その1)http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-01-06

・ピカソの「白い服の女」から“お手本”を遡る(その2) http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-01-08

・アングルのバイオリン http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2009-03-25


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コメント 3

TaekoLovesParis

あれっ?yk2さん、いつのまにか過去記事がふえてましたね。
パフォスのヴィーナス、「日曜美術館」で篠山紀信が「背中と胸が異なる視点
から描かれてる」ことに対してカメラで検証していた番組は私も見ました。
最近デジイチをご購入のyk2さんも検証なさってみたんですね。
だけど、モデルがかわいくない(失礼)。青いクマ(たぬき)だなんて。

たしかに縦横比を狭くして奥行き感を出すと、絵が立体的に見えますね。
ホドラーの絵で、額縁の縦の線が少し湾曲するのは、レンズのせい?

個人的には、真実より美しいほうがいいです。あたたかみを感じさせる
美しさが好きです。だから風景写真より風景画が室内装飾用に人気が
あるのでは?って思いますが。。

by TaekoLovesParis (2009-09-27 19:24) 

Inatimy

え、青いクマ(たぬき)(ぶた)モデル、かわいいですよぉ~。
青いカバでもよかったかな♪
真実はひとつしかないけれど、画家さんの目を通して見た世界は数多く存在するし、興味があるのは、やはりその人の視点かも♪ 
鑑賞者としての私の視点:ヴィーナスが持っているのが月餅に見えます♪
by Inatimy (2009-09-27 23:42) 

yk2

コメントありがとうございます~。

◆taekoねーさん :

>いつのまにか過去記事がふえてましたね

あはは。毎度のことですから(^^ゞ。

NHKの方のゲストに篠山紀信さんは、最近の日曜美術館の“現代アート好み”が丸出しな感じでしたね~。ハッキリ云ってもっとアングルの話を聞きたかったので、司会者やアナウンサーの感想やコメントも含めて、僕の望む方向じゃなかったなぁ。

>モデルがかわいくない(失礼)。青いクマ(たぬき)だなんて

こんなサンプルしかなくて・・・って本文でも謝ってるじゃないですか~(笑)。
だいたいこれ見てタヌキだなんて、あんまり思わないでしょ、普通は。それにこんなのいちいち一眼でなんて撮りませんからっ。

ホドラーの絵の写真で額フレームが湾曲しちゃってるのは、カメラのレンズのタル歪みってヤツですね。ちょっと悲しいですよね、こんなふうに曲がって写っちゃうと。まぁ、写真界の大巨匠である篠山さんが広角レンズで女性の身体を意図的に丸く歪ませて撮影するのも、同じようにカメラならではの現象ですけどねぇ。

◆いなち・みーさん :

なんですか、いなちゃんまでtaekoねーさんに話合わせてたぬきだとかぶただなんて。失礼な!(笑)。
僕の手元にいる青いカバはどれも2本足で直立出来ないので、ここでは役に立ちません~。別に「青い」動物集めてるワケじゃなくって、これは友達がくれたテーブル用の塩容器なんですけどね。

オレンジが月餅だなんて、相当に食い意地が張ってないと思いつかないでしょ!と思いつつ、そう思って見ると、確かに・・・(^^;。

by yk2 (2009-09-29 22:40) 

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