SSブログ

雨の鶯谷から谷中散歩~(鶯谷・書道博物館編) [散歩道の景色]

10年03月07日(日曜)
01_書道博物館.JPG

 このところ、土日となれば雨、また雨。いい加減ウンザリしますねぇ~。この日曜もやっぱり雨[雨]。それも、もう3月だと云うのに真冬並みの厳しい寒さのオマケ付き[雪]。ついつい腰が重くなり、出掛けるのが億劫になってしまいがちですが、ちょっとした関心が涌いて、2月から行こう、行ってみようと思っていた展覧会がこの日で終わってしまうので、え~いっ!と思い立って、冷たい雨がそぼ降る中、マフラーに手袋と云う真冬の出で立ちで完全防備して鶯谷まで出掛けてきました。




 やって来たのは台東区立書道博物館http://www.taitocity.net/taito/shodou/ )と云う、とても地味~な渋い博物館(^^ゞ。

01_書道博物館外観.JPG

 ここは、夏目漱石のデビュー作である『吾輩は猫である』を初めて単行本として出版した大倉書店・服部書店共同版で挿絵を描いていたことで有名な、洋画家であり書家でもあった中村不折(なかむら・ふせつ、1866-1943)が、自身の蒐集した書道にまつわる歴史的文化財を展示する為に私財を以て自宅邸内に創立した博物館で、開館以来約60年間に渡り中村家が管理、維持運営を行ってきたものが、平成7年に台東区に寄贈され、平成12年に区立書道博物館として再公開されているものです。

03_書道博物館本館.JPG

 ・・・な~んて博物館の来歴を僕が知ったのはごく最近のこと(^^;。実は、ついこの間まで、書道博物館の存在すら知りませんで(※実際は本で読んでいたのに、気にも留めていませんでした^^;)、そもそも、中村不折とは洋画家・浅井忠の弟子のような存在で、そこから正岡子規の知遇を得て「ホトトギス」周辺で活躍した挿絵画家であるとの認識程度しか、僕の中には在りませんでした。ですから、何故にその不折が書道?と疑問に思っていたのです。

02_不折銅像.JPG

 昨年末、NHKで放映されたドラマ、『坂の上の雲』をご覧になられていた方でしたら、子規が新聞「日本」入社後、明治28年に従軍記者として日清戦争の戦地へ赴く場面をご記憶かと思いますが、実はこの時、不折も同社から同じく中国へと一緒に派遣されているのです。画家である不折は、今で云うところの従軍カメラマン的な役割。戦地の光景、状況を絵画で伝えるものでした。子規と不折はほぼ同年代で、仕事仲間で在ると同時に、親友として深い友情で結ばれていた間柄だったそうですから、本当だったらドラマのあの場面にも不折が描かれていたとしても、何の不思議も無かったくらいなのです。(※因みにワタクシ、原作は未読です^^ゞ)

 不折はその従軍時に、大陸や朝鮮半島で様々な史跡に触れ、漢字成立に対する関心を深めて、やがて自らもそう云った貴重な考古資料を蒐集する様になって行きます。それが発端となり、書家としての道も歩む様になるのですね。


 ところで、画家・不折の作品はご覧になった事がある、と仰る方はあまり多くはないかもしれませんが、書家・不折の作品には、意外な所で出会っているのです。きっと多くの方が目にした事が有る筈なんですよ。
 例えば、日本に本格的なインド・カレーを紹介した新宿・中村屋、TVCMでもお馴染みの灘の酒、日本盛、そして同じく日本酒、僕は結構飲む機会が多い(^^;真澄。これらの屋号看板や商標ラベルが不折の書いた作品なんですって。僕も今回初めて知って、「へえ~@@」でした。


★ ★


 さて、今回の展覧会の展示ですが、ここはやはり“書道”博物館。いくら不折が洋画家だった側面を持っていたとしても、ここではあくまで「書」がメインです。

書道博物館_不折002.jpg

 ですから、こんなふうな拓本(※石碑や器物に墨を塗って、刻まれた文字などを紙などに転写する)と呼ばれる、文字・書体のお手本となる様な展示物がメインとしてずらりと陳列されています。その内容は紀元前5~4世紀の中国、秦の時代に石碑に刻まれた狩猟の詩文(「石鼓文」)や紀元前13世紀(!)の殷の物で、現在見られる限りの漢字の最古の姿だとされる「甲骨文」(内容は降雨に対する天の意思を王が問うた占いの文)など、それらにはもう、改めて漢字の歴史の古さを思い知らされ驚くばかり。

 写実的絵画を追求し、帝国美術院会員に任命されるなど、画壇では官展の重鎮とまで成った不折ですが、これらを手に入れる為、絵画を描いては売り、また描いては蒐集につぎ込む、と云う日々を過ごしたそうです。

書道博物館_不折005.jpg

 土器や青銅器なども展示されていますが、やはり文字・碑文が刻まれているものがほとんど。お世辞にもあまり大きいとも云えない規模のこの博物館には、重要文化財12点と重要美術品5点を含む、東洋美術、書道史研究の大変貴重な考古学的資料・文化財が多数コレクションされているのです。


 しかし、やっぱり僕は絵が目当て。正直に告白してしまいますと、「書」には普段から大いに興味を持っている、と云う部分ではありませんのであんまり面白くはないかな・・・(^^;。

書道博物館_不折001.jpg
◆『病床の子規』 / 中村不折 (不折俳画より)

 だって、そもそもはこの展覧会のちらしに載せられているような、子規との繋がりを示す俳画や、「ホトトギス」の為に描かれた挿絵作品なども多数観られるのではないかと期待して来ているのですから。

 しかし、その辺りの展示物は15~6畳分くらいの展示室1つにチョロチョロと・・・でした。ちょっと悲しい[もうやだ~(悲しい顔)]


 そして、今回は『猫』に関するものは何も無し・・・(苦笑)。

吾輩は猫である_上巻挿絵a.JPG

 これ↑は、大倉書店版の『吾輩は猫である』の復刻版上巻の冒頭に載せられている挿絵です(本はワタクシ自前)。手掛けたのは、不折がフランスから帰国した後の明治38年。

 僕はそもそも漱石に対する関心から『猫』の装丁や挿絵に興味を持って、そこに洋画家・浅井忠の名前を発見したことで、中村不折に辿り着いているのです。ですから、何かしらその辺りの資料でも見られれば嬉しかったんですが、ねぇ・・・。まぁ、漱石と不折は途中で仲違いしてしまって決別している間柄。不折にもわだかまりが残っただろうから、ここであんまり漱石関連の物ばかり期待しちゃうのもどうか、ってコトなのかも知れませんね(^^;。


★ ★ ★


書道博物館_不折003.jpg
◆『正岡子規像』 / 中村不折 鉛筆デッサン ※企画展チラシの白黒写真からのスキャン画像です

 漱石との仕事関係は途切れてしまいましたが、不折と子規の友情は終生続きました。不折は明治34年6月に36歳でフランス留学へと旅立つのですが、子規は新聞「日本」に、「不折君を送る」と云う送別文を5日にも渡り掲載します。「余は横浜の埠頭場迄見送ってハンカチを振って別を惜しむ事も出来ず、はた一人前五十銭位の西洋料理を食ひながら送別の意を表する訳にもゆかず、已むを得ず紙上に悪口を並べて聊(いささ)か其行を壮にする事とせり」と、如何にも親友らしい憎まれ口をきく子規。この頃はもう病床から離れられなくなっている時期で、そう先も長くないと自身でも感じていたのでしょう。子規庵で催された不折の壮行会では、お互い感極まって殆ど何も話せなかったんだとか。

 これが今生の別れになってしまうかも知れない・・・。
 そんな予感めいたものが二人の心にも有ったのかも知れません。子規は翌明治35年(1902)の9月、34年の短い人生を虚しくも閉ざす事となるのです。


 不折が留学した後、入れ違いで帰朝した浅井忠へ、不折から「一年生に返ったつもりで第一歩から修行を始めた」と云う内容の手紙がフランスより届きます。浅井がその事を子規に伝えると、聴くなり子規は涙をはらはらとこぼしたんだとか。浅井はそれを直ちに不折に伝え、不折は「子規の何時までも自分を思ってくれる真情に感謝した」(山下次郎著、『子規の書画』より)との言葉を残しています。お互いが、本当に深い友情で結ばれていたんですねぇ。

04_子規庵.JPG

 雨降りのお陰で、こんなにツマラナイ角度での写真しか撮って来られませんでしたが、書道博物館のすぐ向かいが子規庵です(博物館入り口の軒先より撮影)。まだ開館時間内でしたので、入ってみようかと思ったのですが、どうせならお天気の好い日がいいなぁと思い、今回は止めました。病床の子規を慰めた庭に、花がまだ何も無かったら、それはやっぱり淋しいですものね。こちらも「春待」と致しましょう。







※尚、本エントリーの子規と不折のエピソードは以下の書籍の中で紹介されているものです。

浅井忠白書―馬渕礼子評論集〈1〉 (馬淵礼子評論集 (1))

浅井忠白書―馬渕礼子評論集〈1〉 (馬淵礼子評論集 (1))

  • 作者: 馬渕 礼子
  • 出版社/メーカー: 短歌研究社
  • 発売日: 2006/07/19
  • メディア: -



nice!(19)  コメント(13)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 19

コメント 13

バニラ

今日、たまたま漱石の小説を読んでいたので、その偶然にびっくり。
この「優品展」のポスターからもやはり挿絵を期待してしまいますね。
こんなところに子規庵があったなんて、知りませんでした。
谷中散歩行く際には、こちらにも足を延ばしてみたいです。
by バニラ (2010-03-11 18:47) 

yk2

バニラさん、こんばんは。
あらま、丁度漱石を読んでらっしゃる最中ですか。
何をお読みなんざんしょ?。タイミング合ってますね(笑)。

子規庵や酒井抱一の庵、雨華庵も在った鶯谷。僕は初めて降りた駅だったんですけど、その風雅な名前のイメージからすると、ちょっと・・・と云うか、随分想像していた街並みとは違いました。周りがね、目的が特化された宿泊施設(爆)がこれでもか~ってくらい沢山在るんですよ。こりゃ、パートナーじゃない女性や子どもさんなんかとは一緒に歩きづらい所だなぁ・・・って、冗談抜きに思っちゃいました(^^;。

この後、歩いて谷中へ向かうのですが、現在改装中の朝倉彫塑館の前で、意外と近かったなぁと、以前読んだバニラさんの記事を思い出してました。


by yk2 (2010-03-11 23:46) 

pistacci

猫のしっぽつかまえている障子越しの絵は、見たことあったような・・・。
あらためて、ちゃんと不折のなまえを覚えました。
子規庵は日暮里からも歩けますね。羽二重団子の本店経由で行こうかと思ったことがありましたが、お団子やさんがおやすみでそのまま戻ってきちゃった。
朝倉彫塑館も行ってみたい場所でした。見たい場所がたくさんあるところですね~。
ついでに?食べたい場所も、たくさん(笑)。
by pistacci (2010-03-12 21:40) 

バニラ

漱石はいまさらの「門」… 結構この文体が心地よいなぁと思いながら読んでいたのですが、この感覚は向田邦子の小説を読んでるときに受けるイメージと似てるかも…
そして今夜はこれも今さらの「山月記」を読む所です。

そうですか、この辺りは怪しげな界隈なのですね… 心して行きましょう。 
彫塑館、まだ改装中でしたか。 でも他にも面白そうなところがたくさんあるから
きっと、yk2さんもあちこち散策されたことでしょう。
そのレポートもあるのかなぁ♪ 
by バニラ (2010-03-12 23:57) 

TaekoLovesParis

ポスターに使われている絵、いくらじーっと眺めても、私がよく知ってる不折の絵と全く共通点がないんです。府中市に住んでいたとき、歩いて5分の「府中市美術館」に時々、出かけ、青木繁、鹿子木、コランなどと並んでいる「不折」の絵を見てました。私は好きになれない絵なのに、いつ行ってもあったんですよ。裸の若い無骨な男が海辺の岩にすわっている、足元に大きなワニという不思議な絵、色合いは、中村ツネにも通じるような暗さ。
<写実的絵画を追求し、帝国美術院会員に任命されるなど、画壇では官展の重鎮とまで成った不折ですが>→ここを読んで、なるほど!でした。ワニは意味不明だけど、裸の男の姿は写実そのものです。特に膝から下の足が印象深い。

猫の影絵は、シンプルで、フランス帰りのアールヌーボーっぽさがありますね。

不折は、絵だけでも、いろいろな画風で描けるのに、書まで。。しかも中村屋、真澄の文字なら、すぐ浮かびますよ。

ここが住んでた家だったんですね。子規とご近所。深い友情で結ばれ、お互いに相手の成功を祈っている高い志の二人だったんですね。そんなしっとりとした
逸話が、yk2さんの雨の中の訪問と重なって、「書道博物館」の存在を覚えて
られるでしょう。
by TaekoLovesParis (2010-03-13 00:11) 

aranjues

かくのごとく、書と絵画は近い関係にあるはずなのに、書を遣りながら
絵にはからっきし興味がないのはなぜでしょうか(苦笑)。

この書道博物館の存在は知ってて一度行きたいなと以前から思ってたところ
です。正岡子規は坂の上の雲のおかげでグンと身近な存在になってますので、
一層行ってみたくなりました。
載せてある拓本、甲骨文は別として、書聖、王義之の蘭亭序、楽毅論は言うに及ばず、虞世南の孔子廟堂碑は、楷書のバイブルのような作品で、私はここ2,3年続けて臨書して年に一度ある社中の展覧会に
折帳2冊に会わせて半紙50枚分くらいづつ出品、欧陽詢の九成宮は楷書の
極則と言われるような書、褚遂良の雁塔聖教序は王義之の書法を理解して書かれた有名な書、書を遣る上で避けては通れない作品ばかりです。なお、虞世南、
欧陽詢、褚遂良は初唐の3大家と呼ばれてて、王義之含めた4人が書の歴史上もっとも有名です。

王義之の書は唐の太宗皇帝が溺愛し、書と言う書をすべて集めて自分の死と共に埋葬するよう遺言しました。そのため、実は王義之の真筆作品は世の中には何一つありません。ですから、石碑の時も王義之の作品を他人が臨書したものです。

ちなみに、中村不折はtaekoさんも書かれてるように、書家と言うよりは画家として有名で(釈迦に説法ですね)、太宗皇帝が王義之の蘭亭序をある弁才から文字通りだまし取ったと言われておりますが、「蘭亭序をだまし取るの図」なんていう作品もあります。
by aranjues (2010-03-13 01:01) 

hatsu

ぜひ、行ってみたいです^^
子規との友情に思いを巡らせながら、
書道博物館、子規庵、谷中をお散歩。
お父さんとのデートにいいかも? なんて思いました♪
by hatsu (2010-03-13 08:34) 

Inatimy

書道博物館の青銅色の窓枠がオシャレ。
病で臥せってる姿を描かれるの、私だったら、ちょっと嫌かも。
障子の向こうの影は、本当に猫? ふふ、顔のシルエットが猫じゃない~。 13日(土)から始まった『中村不折と明治の書 -文豪たちとの交流を中心に-』では、この挿絵も展示されてるのかな。
でも、いずれも、不折の「不」の落款が可愛いなぁ。
地図を拡大していったら、宿泊施設の乱立状態がよく分かりました(笑)。
by Inatimy (2010-03-14 08:33) 

yk2

みなさま、ご訪問&コメント頂きましてありがとうございます。

折角楽しいコメントを頂きながら、長々とお返事出来ないままで大変心苦しく、申し訳ございませぬ。
先週から、ちょっとした事情がありまして、自分の時間がほとんど取れない状況で、尚かつ夜はnet環境の無い場所に寝泊まり・・・なんて具合でございまして、自宅のPC前になかなかゆっくりと座れない毎日を過ごしております(T.T)。

もう暫く、皆さまのblogへのご訪問なども含め、思うに任せない日が続いてしまいそうです。悪しからず、ご無礼をお許し下さいませ。

まとめコメントで一括お返事・・・なんてコトも少しは考えたのですが、折角書いて下さった“長いコメント”(笑)ですから、きちんとお返事させて頂こうと考えております。明日か明後日には、是非なんとか・・・したいんですが(^^ゞ。
by yk2 (2010-03-20 16:13) 

yk2

◆pistaさん :

古書店の店主さんから聞いた話ですが、大倉書店版の『猫』は、かつて再版物がかなりの数、全国の学校で蔵書として購入されていたそうで、そんなことで幼かった頃のpistaちゃんも図書館や学級文庫の類でご覧になっているかも知れませんよ。

子規庵は日暮里からも充分徒歩圏内だと思います。ただ、日暮里からだとごく普通の幹線道路と街並み続きみたいで、谷中や上野桜木町を回るのに比べると、散歩するにはあんまり面白味は無いのかもしれませんね。特にpistaさんの場合は、行く手に美味しいものが散りばめられてないといけないから。


◆バニラさん :

 そうですか、読んでらしたのは『門』ですか。結構淡々とした物語ですよね。僕は『それから』と順番を逆に読んでしまったので、なぜ彼ら夫婦があんなにも人目を憚るようにひっそりと静かに暮らさなくてはいけなかったのか、今ひとつ理解出来ませんでした。『三四郎』を含めたあの三部作は、現代の感覚で物を考えちゃうと、明治時代の恋愛観・・・と云うよりも、ズバリ“略奪とその代償の重さ”にはなかなか思いが至らないのですよね。不倫は文化だなんて云って悦に入ってるあのニヤけた俳優も、時代が時代なら、間違っても笑ってなんていられませんもの(笑)。

>そのレポートもあるのかなぁ♪

谷中は、ちょうどその直前に有元利夫と云う画家の展覧会を観た直後で、彼が生まれ育った場所だから訪ねてみたかったのですよ。その画家の事を絡めて書きたかったのですが、今の僕の現状を思うと、いつになるかなぁ(苦笑)・・・。

by yk2 (2010-03-22 12:10) 

yk2

◆taekoさん :

え~、府中市美術館の常設に不折の油彩が有ったんですか?。
あれれ、じゃあ僕はもしかしたら去年11月に行った時には見過ごしてしまっていたのかな、気付きませんでした・・・(苦笑)。当時の日本の洋画家が写実に向かうと、どうしても暗い色合いの方向へ進んでしまうのは、やっぱり明治の頃の日本はどこもかしこも剥き出しの土色だったから、なんじゃないですかね。不折が尊敬していた浅井忠も、留学前の風景画なんてほんとに土色。まさにねーさんのお好きな茶色ですよ(笑)。
不折はフランスに留学した際、当初はコランに学んだそうですが、色彩が美しく煌めくような彼の折衷様式には馴染めなかったみたいですね。
※因みに僕がここでイメージした浅井忠の作品は『八王子付近の街』です。

『猫』の挿絵は、僕にはまさにロートレックのジャヌ・アヴリルのポスターの世界に思えます。きっと不折もあちらで見たんじゃないかな。

ところで、ねーさんも「真澄」のラベルはすぐに思い出せるのですね。
僕らは和食に行ってもワインが出る店しかご一緒してないから、ねーさんが日本酒に馴染みがある、ってのは随分意外な感じがします。あ、でも「地球の歩き方」を読むのに較べたら、そう意外でもないのかな(笑)。

by yk2 (2010-03-22 12:21) 

yk2

◆aranjuesさん:
 
さすが書をたしなまれるaranjuesさん。とても専門的なお話をして頂き勉強になります。・・・が、博物館で勉強したくなくてすたこら逃げ出して来たのに、まさかコメント覧でこんなふうに補習を受講させられる事になるとは、夢にも思いませんでした~(苦笑)。

それにしても、やはりこの辺りの物は書道をなされる方には、まさにお手本なのですね。それって、不折が熱心に集めた資料が、巡り巡ってaranjuesさん始め書家及び愛好家の皆さんのお役にも立ってるってコトでしょうか?。

絵画に今一つ興味が湧かないと仰るaranjuesさんは、是非、日本画家の友人を捕まえて(笑)、その人の作品に賛を入れるなど、絵画に近いところで書を作品化なさってみては如何でしょうか。
子規も浅井忠や不折と知り合ったお陰で絵を学び、二人から褒められるほど絵が上達したそうで、画家の彼らから見てもなかなかレベルの高い、佳いものが描けていた様ですよ。 俳画辺りからチャレンジなさってみたら如何でしょ?(^^。
by yk2 (2010-03-22 12:24) 

yk2

◆hatsuさん :

お父さんとのデートかぁ~。Inatimyさんが試してみたみたいに、本文末の地図を拡大して行くと、子規庵と書道博物館の周辺がどんなだか、すっごくよく判るので参考になさって見て下さい。お父さん、鶯谷から向かう途中で、怒っちゃうかも(やや大袈裟ですが・・・^^ゞ)。でも、谷中は古き良き時代の東京(江戸ではないな)の風情満点ですから、下町情緒がお好きでしたら楽しいと思いますよ。


◆いなち・み~子さま :

読んだ途端、大笑いさせて頂きました。
地図を拡大して、宿泊施設の乱立状態を調査したのは多分Inatimyさん一人だけだと思います(爆)。
やっぱり何事にも好奇心が強いのねいなちゃんは。特に人と違った方向に(笑)。

シルエットのネコが「ふぎゃ!」って悲鳴揚げてるのを表現するには、こう云う表情にするしかなかったんでしょ~。この挿絵は写実と関係ないので、あんまりキビしく突っ込んじゃダメ(笑)。

13日からの企画展の内容知ってたら、きっとこの雨の日は出掛けなかったんだよねぇ。書道博物館はサイトも持ってるんだけど、次回予告とかちゃんと掲載して無くて、これには現地で気が付きました。もうじきに桜が咲くから、そうしたらまた見に行って来ます。今度こそ、漱石関連だろうから。

by yk2 (2010-03-22 14:38) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0