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畠山記念館から池田山公園を歩く [散歩道の景色]

2010年03月14日(日曜)

畠山記念館_top.JPG

 いきなり、ばーん!と現れし家紋は、シンプルにして由緒正しき足利氏「二つ引両」です。



畠山記念館_001.JPG

 この日は、東京都港区は白金台に在る畠山記念館http://www.ebara.co.jp/csr/hatakeyama/)に行って来ました。ここは、元・能登の国主の畠山氏の末裔であり、荏原製作所(http://www.ebara.co.jp/)を興した畠山一清氏(1881~1971)が蒐集した美術品を展示している私立美術館。


 あれれ・・・?。
 ちょっと歴史が好きな人だったら、ここで不思議に思ってしまうかも知れません。例えば鎌倉幕府の成立を昔の大河ドラマなんぞでよくご存じの方などは。畠山氏って、確かに源頼朝に従ったけれど、そもそもは桓武平氏の出身じゃなかったっけ?。それがなんで足利一門の家紋である「二つ引両」を使ってるの??、って。

 僕も今回出掛ける前に不思議に思って、wikiで畠山氏を調べてみたんですが、頼朝に従軍して武功を上げた畠山重忠が、後に自らの妻の父、つまりは舅である北条時政と対立する様になり、その奸計に因って手勢わずか134騎で武蔵国二俣川(※横浜市民にとっては運転免許試験場が在ることでみんな知ってる場所ですね^^;)は鶴ヶ峰辺りにおびき出されて、待ち伏せていた北条軍1万以上の大軍に、哀れにも嫡子ともども討たれてしまうのです(1205年)。

 そして畠山家は断絶。
 残された重忠の妻は、父時政によって今度は足利家の始祖で源義家の孫にあたる足利義康の子である義兼(※母は頼朝の従姉妹で、妻は北条政子の妹)の庶長子・足利義純と政略結婚させられちゃうんですって。
#ややこしいんですが、そうすると義純の母と妻はともに時政の女(むすめ)。妻が母の妹ってコトかいな・・・(^^;。

 そんな事で、その義純が重忠の旧領と畠山の名跡を継承したってわけ。足利の流れを汲む(実質分家の様な^^;)畠山氏だから、家紋も「二つ引両」なんですね。




 さてさて、この日やっていたのはこんな展覧会でした。

畠山記念館_懐石のうつわ01.jpg 畠山記念館_懐石のうつわ02.jpg
(※写真をクリックすると、それぞれ拡大写真が別ウインドウにて開きます。)  

 「懐石のうつわ -向付と鉢を中心に- 」展

 実は、この日の僕はこれらの陶器類が目当てでなく(とは云っても嫌いな分野ではありませんのでじっくりと拝見致しましたが^^ゞ)、酒井抱一の「立雛図」が観たかったわけなのですが、絵の方は至ってシンプルな男女一対の紙雛人形を描いた掛け軸。まぁ、江戸琳派と云う括りで観てしまうとすこぶる素朴で地味な作品ではあったけど、風流人・抱一の画業を、出来ることなら1作品でも多く観ておきたいと願う僕には充分納得出来るもの。靴を脱いで畳の上に上がって鑑賞するこの美術館独特のスタイルも、なかなか面白い趣向でした。


★ ★


 畠山記念館を後にして、すぐご近所に在る回遊式の公園、池田山公園http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/menu000000400/hpg000000344.htm)へと向かいました。事前に調べたサイトによると梅の名所らしいのですが、もう時期遅れかなぁ・・・とも思いつつ。

 しかし、これが平面上の地図だとすぐ近くに思えたのですが、実際に歩いてみると結構急な坂の上り下りが有ったり、ストレートに向かえる道が無くて迂回を強いられるなど、思ったよりはしっかりと歩かされます(苦笑)。まぁ、10分強※くらいでしたけどね(^^;。

※道さえ間違わなければ、実際は徒歩7分くらいで歩けるようです。

池田山_コブシ.JPG

 公園内も、入り口が一番低い位置に在って、回遊路となっている坂道を登って下って園内を一周する造りになっています。ゴルフ場だったら、かなりの打ち上げホール。と云うより、標高25.7mの芝の愛宕山(→ )が山と呼ばれてよいのなら、ここも立派に「山」でしょう(だから、“池田山”って呼ばれてたんだってばさ>ぢぶん(^^;)。白金に山だなんて、ピンときませんけどね(苦笑)。

 その坂道すぐに植えられているコブシの白い花が見事に満開。青い空に映えて素晴らしく綺麗だなぁ。


池田山_カリン.JPG

 残念ながら、梅はもう完全にお終いみたい。と云うより、そもそも歩いた範囲内では梅の木自体が見あたりません。その代わりに、カリンがふっくらとした愛らしい花を咲かせていました。


池田山_沈丁花.JPG

 こちらは沈丁花の白い花。いかにも春らしい、優しい香りが漂っています。


池田山公園.JPG
 
 寒さのせいもあるのでしょうか、未だあんまり花は多くないですね。むしろ少なくて寂しい気もします。例年だと、アンズ、カタクリ、ハクモクレンがそろそろ咲いていても、と云う時期らしいのですが。


 それにしても、ここは旧岡山池田藩の下屋敷跡を整備した公園だそうなのですが、こんなに高低差がある敷地に藩邸が在ったなんて、ちょっと想像が付きません。時代劇のイメージなのかな?。江戸の武家屋敷って、結構フラットな場所に在る様な気がしてしまうんですよね(^^;。どんなレイアウトだったのかなぁ・・・。

タグ:花・公園

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