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iris #2 / 水色のハナショウブとヘッセの『アヤメ』考 [思ったこと感じたこと]

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 淡い水色をしたハナショウブが好きだ。




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 アヤメもカキツバタもジャーマンアイリスも、アヤメ属の仲間の花はみんな素敵だと思うけど、すっと1本で真っ直ぐに立つハナショウブの姿は凛として清々しく、本当に美しいと思う。


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 尾形光琳や酒井抱一らに愛されたカキツバタも素晴らしく美しいと思うけれど、カキツバタのすっきりとした潔い風情はややもすると整い過ぎていて、ちょっとばかり余所余所しく冷たい感じがしないでもない。そこへいくとハナショウブには、見たとおり花弁に適度にシュリンクが掛かっているせいで、ふんわりとして愛らしく、親しみやすさを覚えるのだ。


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 日本では特に江戸時代に園芸種として活発に新たな品種が生み出され、今ではなんと5000種ものハナショウブが存在するそうだけど、僕は特に名前も知らないこの薄い水色をした花が一番に好きだ。透き通る様な淡いブルーがこんなにも美しく映える花を、僕はこの他には知らない。


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 初夏の風に吹かれて、たおやかに揺れる水色のハナショウブを見ていると、何とも穏やかな気持ちで心がいっぱいに満たされて来る。許されるものならば、いつまででもずっとこの場で眺め続けていたいとさえ思う。




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 ところで、先にupしたヘッセの愛したアヤメについての話

 カテゴリーを「本」にした割には、少々内容の本筋部分に触れているところが少なかった気がして、その続きをもう少し書き足そうと思っていたのだが、いざ書こうと思うと、いろんな思いが様々に頭の中に浮かんでは消えて、既に1ヶ月が経ってしまっていると云うのに一向に筆が進まない。

 その進まない理由の1つにはきっと、ヘッセの愛したアヤメ、作品のテーマとなっているアヤメは、ほぼ間違いなくジャーマンアイリスなのであって、僕が好きなハナショウブとは、同じアヤメ属ではありながらも似て異なる花だから、と云うこともあると思う。


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 それがどう云う事かと説明すれば、僕は、自分の暮らす環境に於いて一番身近に咲いていて馴染み深いハナショウブばかりを思って、何度もヘッセの『アヤメ』を読み返してしまったから、よく調べもしなかった自分勝手な思いで、ハナショウブの映像と文章を頭の中でしっかと結びつけてしまっていたのだ。そうして、いざ、ジャーマンアイリスを目の前にしてヘッセの文章通りであることを確認出来たとしても、今更すぐには納得出来ない、イメージを置き換えることが出来なくて、ちょっと戸惑ってしまっている自分が居る。ヘッセの描写から、ハナショウブがその作中に描かれているアヤメとは違うんだとは、以前からずっと気がついていたにも係わらず。


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 -「イリスさん」と彼は彼女に言った。「この世がもっと別の仕組みになっているといいんですが。花と思想と音楽とを恵まれたあなたの美しいなごやかな世界しかないのでしたら、ぼくは、終生あなたのそばにおり、あなたの物語を聞き、あなたの思いのうちに共に生きることよりほか、何も願おうとしないでしょう。あなたの名前がすでにぼくには快いのです。イリスはすばらしい名です。その名がぼくに何を思い起こさせるのか、見当が付きませんが」
「ご存じじゃありませんか」と彼女は言った。「青や黄のアヤメがイリスっていう名であることを」-


(『アヤメ』、ヘルマン・ヘッセ著、高橋健二訳より引用)



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 美しい花、美しい人。それらはすべて美しい形にすぎない。美しい愛らしい形を求めても、それらはいつも衰え、やがてしぼみ離れてゆく。アンゼルムの愛したものたちも、彼から離れていった。イリスとは結ばれることもなく、彼女は病によって、その美しくも儚い人生を終えてしまうのだった。

 幼年期の輝く庭の思い出、母への追憶、そして生涯を共にしたいと願った女性の名前。主人公にとって、アヤメ=イリスはどんな花よりもいとしく大切な花。

 アヤメとはアンゼルムにとって、「省察と感嘆に値する一切のものの比喩であり、彼にとっての“ひな形”となった。そうして、地上の現象はすべて一つの比喩である」ともヘッセは作中にて語っている。

 ヘッセの云う「ひな形」とは、ここでは「原点」や「源泉」などと解釈すれば良いのだろうと僕は考える。美しいと感じること、愛おしいと思うこと。これらの感情の発露を、アンゼルムはアヤメを観察することにより幼少期に原体験している。アヤメはそう云った気持ちや夢を彼から湧き出させる神秘の泉だった。春から初夏にかけて、アヤメの咲く母の庭で過ごす無垢な少年は間違いなく幸せだった。しかし、幼かった彼にはまだ、自分が「幸福」であることの自覚や概念など有ろう筈もなく。それだから、大人になる過程で彼はその輝かしく愛に満ちた季節と体験を忘れ、やがてそこから離れて行ってしまうのだ。


 「形ではない何か」
 
 何度読み返しても、僕にはまだ、アンゼルムが探し続けた「イリス」に込められた遠い記憶、何かの“しるし”、自分にとってただひとつの大切なものが、判ったようで、解っていないんだな。

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 ヘッセもきっと、読者の大部分が、彼がこの作品で言わんとするところを簡単に理解出来るだろうだなんて、到底考えはしなかっただろう。「比喩は、魂が、用意さえ出来ていれば、そこを通って世界の内部へ入ることのできる開いた門」。美しいアヤメの姿形も、思索への1つの門に過ぎない。ヘッセは思索への門、入り口の見つけ方を読者に説いているに過ぎないんだ。僕らは、自分に刻まれたしるしを自分自身で見つけ出して初めて、アンゼルムの到達した思い、ヘッセの言わんとするところをようやく知ることが出来るんだろう。しかし、それは誰もが容易に辿れる道でないのは、云うまでもないことだけど。


 ヘッセにとってのアヤメも、やはり比喩に過ぎない。

 僕は僕で、アンゼルムの探し求めたものを、僕のぼんやりとした「何か」と重ねて思う。水色のハナショウブは、やはりその思索への門に過ぎないんだ。

 淡い水色をしたハナショウブの写真を眺めながら、このところの僕は、ずっとそんな事ばかりを考えている。



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