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stray sheepの谷中散歩 [いつかの出来事]

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 ゴオォォウ、ゴオォォウ・・・。
 地響きの様な、低く大きく怖ろし気な音がした。木々は激しく揺さぶられて、葉は勿論のこと、枝も幹から千切れて飛ばされてゆく。それもそのはずで、建物さえ揺れる様な、まるで地震かと思う程の強い風が、暫くの間断続的に窓を叩き付けていた。

 風の音を聴いているのが怖ろしくなる程の凄まじさだったその台風が通り過ぎると、いつまでも真夏の様に居座ってしつこかった2011年の残暑も一緒に消えて、ようやく秋めいて来た。そうして、東京近辺でも曼珠沙華の咲く季節。迎えた秋の彼岸の土曜日は、天気も好く青空が清々しい。このまま家に居るのが俄に勿体無く思え始めて、午前中から外へ出た。待ち合わせをして、行き当たりばったりで電車に乗って、それからどこへ行こうか相談をする。


 普段行かない様なところがいい?
 それは海の方とかかな。三浦か鎌倉へでも行ってみる?
 それとも、都内へ出て、どこか落ち着いたお店でゆっくりと美味しいものを食べて、それから何か展覧会でも見ようか?。こんなお天気だもの、例えば目黒の庭園美術館だったら、庭を歩くだけだって気持ちが好いと思うよ。

 立て続けに案を挙げて訊いてみると、「それなら鎌倉が好いかも」と即座に応えが返って来て、僕らは横浜駅で乗り換えて横須賀線のホームへと向かう。花は少ない時季だろうけど、静けさに包まれた寺院の緑の庭を散歩するのも、きっと悪くないね。少し砂浜を歩きたい気もするし、序でに地魚のお寿司でも抓めたら、尚楽しいかもしれない。

 そんなことを思いながら、ふと、彼女の足下を偶々見やると、決して低いとはいえない踵の靴。山坂有って階段をたくさん上り下りする用にはあまり適していそうもないし、その浅い履き口は砂浜にも向かないだろう。

 「大丈夫だよ、この靴で歩いたって」。彼女は笑いながらそう云ったけど、移動距離の長い散歩は気の毒かもしれない。そうすると、小町通りの店々をうろうろと眺めて、その辺りで昼食にして、せいぜい八幡宮の中を軽く散策する位なのかなぁと、当初の計画を考え改めてみた。だけど、それはあまりにも当たり前で、新鮮味に欠けて、何だか詰まらなそうに思えて来てしまった。

 どこか他に、こんな日に出掛けてみたい場所は僕にはなかったかな?。一人じゃない時に出掛けてみたい場所・・・。そうして、突然ハッと思いついて尋ねてみた。

 「ねぇ、谷根千って知ってる?」
 「知らない。何のことなの?」
 
 そう訊いてきた彼女に、それは谷中、根津、千駄木の頭一文字ととって一纏めにそう呼ばれているエリアのことで、上野の動物園の裏手側に在って、江戸情緒だとか下町風情だとかが残っている町々なんだ、レトロな風景やお店を訪ねて休日は随分と賑わっているんだよ、と説明を付けた。

 「面白そう。そこへ行ってみようよ」
 「じゃ、決定だね」

 二転三転してようやく行き先が決まって、僕らは谷中の最寄り駅である日暮里へと向かうことにした。




 日暮里駅で電車を降りると、幾人かの人が白い紙に包まれた花束を手に歩いていた。改札口を左に出てすぐのところには、臨時誂えで墓参用の花を売る出店があって、その先にはすぐに墓苑の入り口が見えた。微かに、風に乗ってお線香の香りがする。お彼岸だから、ね。僕はこれまでに2度ほど谷中の町をぶらぶら散歩したことがあるのだが、その時は両日とも鶯谷の書道博物館経由で歩いたため、日暮里駅からは初めて。改めてここが寺町なんだなぁと実感する。そうして、線路の向こうには、東京スカイツリーが大きく上半分ほどの姿を見せていた。

 そう云えば日暮里駅近くには、肴が豊富で酒が進んで困る蕎麦屋が在ると、以前に読んだ故・杉浦日向子さんの著書の中に書いてあったけど、どこのことなんだろう。是非立ち寄ってみたいと考えていたはずなのに、この日は突然やって来たので全くの準備不足。店名さえ分からないから調べるのも難しい。着いた時間もお昼時で、まさに好都合だったと云うのに。


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 まっすぐに歩いて程なく、見覚えの有る下り階段に行き当たった。夕焼けだんだん。谷中ぎんざの入り口に在って、生涯のほとんどをこの町で暮らした画家の有元利夫が、毎日の様に夕陽を眺めていたという場所だ。


 階段をそのまま下って、通りに沿った店々を眺めて歩いた。いかにも下町の商店街。ここはいつだって活気があって賑やかな場所。僕がまだ幼い子供だった頃、夕方になると、いつも母の買い物にくっついて行ったあの頃を思い出させる。場所は違えど、同じ懐かしさを感じさせてくれる景色。

 僕らと同じ様に散策目的の来訪者も多いとみえて、カメラを首からぶら下げた人と何度もすれ違う。しっかり下町の人気スポットとして定着しているんだな。谷中の商店街がTVで紹介される際には、ほぼ定番的に登場するお肉屋さんのコロッケやメンチカツに、ずらり大勢の人が列をなしているのに二人して吃驚しつつ、僕らもそろそろ昼食にしようと相談を始める。何が食べたいかなと、いい歳をしたオトナがちょっと滑稽に思えるくらいに、二人して通路の左右をきょろきょろ見回しながら、更に歩いた。しかし、特にこれといったものは見つからなくて、商店街はあっという間に端から端へ。彷徨う様に、別段の当ても無く右に折れてみる。この先この道を行くとどこへ出るのだろう。

 程なく新規開店のパン屋さんが右手に1軒見えて来て、この先はもう、だんだんにお店も少なくなるのかな、谷中ぎんざに引き返した方がいいのかな、そんなふうに考え始めたその時、何の気なしに見上げた看板に、僕の目は釘付けになった。

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 株式会社ありもと・・・?。文具券取扱店、オフィス用品ならなんでも揃う?。
 ここは、ひょっとして有元利夫の実家が在った場所?。

 有元さんの家は、ここ谷中で文具店を営んでいた。彼が育った家がここだったのだろうか?。そう思ったら、気持ちが高揚して、今この場で確かめずにはいられなくって、すぐお隣にあった鰻屋さんの暖簾をくぐった。もしかしたら、有元さん在りし頃の話なども聞けたりしたら嬉しいだろうなどと、俄に湧いた期待も胸にして。

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 そんな理由で偶々入ることとなった鰻店・山ぎしさん。

 二人とも同じ鰻重を頼んで、半身をアテにしてビールで乾杯。蒲焼きをつつきながら、否応云う間もなく僕の思いつきに付き合わされている彼女に、僕がこの店を選んだ理由を簡単に噛み砕いて説明する。でも、ごめんね。よく知りもしない画家の名前をポンっといきなり出されて、ここが育った場所なのかも!なんて夢中で目を輝かして云われても、君には「何のことやらサッパリ」だよね(^^ゞ。

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 折角なので鰻の味にも触れておくと、いかにも江戸前風に蒸してふんわりさっぱりとした仕立て。タレはサラリとしていてやや軽い。誰にでも馴染みの食べ物だけに好みは各々有るだろうけど、脂もタレも重くないから、僕は結構好きな味。逆にお新香の塩気が強くて、付いてきたアサリの佃煮もしっかりとした味だったのも、如何にもお江戸の下町っぽい具合で嫌じゃない。商店街の外れで、少し喧噪から離れて静かなところも良いではないか。お客さんの層も、どちらかと云えばこの周辺・地元の人が多いみたいだ。ここなら、次からは一人の時でも使えそうで、谷中散歩に丁度良い休憩場所が見つけられた気がして嬉しい。

 そうして肝心の話は、会計時に尋ねてみた。
 最初の女性店員さんでは分からず、このお店の経営ご家族の一員と思しきお兄さんをわざわざ厨房の方から呼び寄せてくれたので、お隣との間にある文具店の看板について伺ってみたところ、昔のことで詳しくは分からないが、どうやら有名になった絵描きさんの実家だったふうな話は聞いています、とのこと。

 そうです、有元さんの実家で間違いありません!と、はっきり断言されたわけではないので、確かめきれなかったのが少しばかり残念だったけど、まぁ、それも良しとしよう。間違いない様な気もするけど、早トチリもしたくない。今後もこの辺りに通っていれば、また何か新しい話が聞けて、ちゃんと判る時が来るかもしれないものね。




過去の有元利夫に関連する記事
・『有元利夫展を観る前に知っていると面白いかも知れない幾つかの事柄 / 前編』(→ http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2010-07-29
・『有元利夫展を観る前に知っていると面白いかも知れない幾つかの事柄 / 後編』(→ http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2010-08-10_arimoto2
・『谷中散歩#2~(有元利夫の生まれ育った町を行く)』(→ http://ilsale-diary.blog.so-net.ne.jp/2010-03-11



★ ★


 店を出て再び往来へ戻る。

 足を延ばしたことはないけれど、この辺りがもう千駄木のすぐそばだと云うのは分かっている。そちらの方を探検するのも一興と思うものの、特に知ったものも目当てのものも無い僕は、この後をどうしたものかと考えあぐねていた。僕だけの好奇心を満たす為なら、漱石の『三四郎』に出てくる地名を辿ってこの辺りを散策してみたいところなれど、この日はそのガイドとなってくれる文庫本を用意してあるわけでなし、ましてや道連れにされる彼女の趣味でもない。それでも、僕は歩きながらぼんやりと、物語の場面を思い浮かべる。主人公の三四郎と、それを恋と知ってか知らずか、ほのかに想う相手の女性・美禰子とが、ひょんなことから二人だけで初めて町を歩いた舞台がこの辺りなのだ。

 それはやはり秋の日のこと。五人で出掛けた団子坂の菊人形見物。小屋の人混みの中からふらり、一人で皆から離れて行った美禰子を追って、三四郎も黙って後へ続く。疲れた顔で「もう出ましょう」と云って歩き出す彼女に従って、三人の連れを中に残したまま、三四郎も小屋を出る。

 「どうかしましたか」
 女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろん一緒に歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。
 「ここはどこでしょう」
 「こっちへ行くと、谷中の天王寺の方へ出てしまいます。帰り道とはまるで反対です」
 「そう。わたし心持ちが悪くって・・・・・・」
 三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。
 「どこか静かな場所はないでしょうか」と女が聞いた。
 谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低いところに小川が流れている。この小川を沿うて 、町を左に切れるとすぐ野に出る。川は真っ直ぐに北へ通っている。(中略)美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。
(夏目漱石著、『三四郎』より引用)


 物語を読んだ方なら、すぐにああ、と思い出される場面だろう。菊人形の小屋を二人して抜け出して、当てもなく歩いた自分たちを大きな迷子と称した美禰子が、三四郎に対して「迷子の英訳を知っていらしって」と訊く行。そう、stray sheep(ストレイ・シープ)と云う言葉を美禰子が初めて使う場面は、まさにこの辺りが舞台なのだ。


 目的もなく、行く先も決めずに谷中の町を歩いている僕ら二人も、今日この日はストレイ・シープなのかもしれないな。

 そんなふうに思うと、ちょっぴり愉快で、僕はこのまま只ぶらぶらとずっと歩いているのも、そんなに悪くはないとも考え始めていた。でも、付き合わされる方はたまったものではないだろう。何の為に鎌倉を止めて谷中に来たのか、まるで意味が無くなってしまうものね(^^;。


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  • 作者: 夏目 漱石
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 結局、いつものコース通りに上野方面へ向かう。途中、食後のデザートにと、初体験の谷中名物を食べさせる店に立ち寄った。いつか、1回はどうしても味わってみたかったコイツの感想はと云えば・・・・・・。

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 お店を商っておられるのが、例えば80歳を過ぎた様な老御夫婦だったとしたら、僕は余計なことは考えずに納得していただろう。「昔ながら」の顔と味とを懐かしんでくれるお客さんも居られることでしょう、きっと、昔からずっとこういう食べ物だったんでしょう、と。

 でも、実際はそうでない男性が一人で切り盛りしていたので、つい、色々なことを思ってしまった。詳しくは書かないけれど、気持ちよく食す以前に「えっ?」と思って、気になってしまった事柄も有ったしね。


 結局、僕はこれを最後まで残さずに食べ切ることが出来なかった。


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 少しがっかりした気持ちを元に戻したくて、すぐ近所のカフェへコーヒーを飲みに行く。交差点そばに2軒あるレトロなカフェはどちらも人気で、まず最初に訪ねたカヤバ珈琲店には空席が無く、すぐ並びの谷中ボッサへ。こちらもいっぱいだったけど、常連さんらしきお客さんに「もう帰りますから」と席を譲って頂けた。ありがとうございます~[わーい(嬉しい顔)]。この店へも1度入ってみたかったんだ。

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 お店の雰囲気としては、谷中レトロと云うよりも、内装などが手作りアート感覚に溢れていて、例えて云えば下北沢に居る様な気持ちになる・・・とでも云ったら、判る人にはそのムードが判ってもらえるだろうか(^^。

 ボサノヴァをBGMにしてまったりとした静かな午後を過ごしつつも、出来れば、テンション回復の為にはちょっとアップ・テンポの楽し気なブラジル・ナンバーをリクエストしちゃいたい欲求にもかられたけど、初めて来たお店でそんなコト、万事控えめな僕(?)に云い出せるハズも無く・・・・・・(^^;。


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 谷中散歩の〆は、結局上野の美術館へ。今、上野近辺では僕は特に観たい展覧会が1つも無くって、どうせだったら国立博物館の常設を覗きたかったんだけど、印象派だとか、馴染みがあるものの方がきっと楽しめるだろうと思って、西洋美術館の常設展へ。話す相手が、普段はあまり美術に接する機会が多くないのを良いことに、いい加減な解説ばかり(^^;を付けながら絵を観て回った。聞いたこと、あんまり真面目に信じない様にね(^^ゞ。


×××  ×××  ×××  ×××


 ここからは谷中でも上野でもない別の街へ移動しているので、以下はおまけの付け足し。

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 たまにはこんなふうに過ごす1日も悪くなかったなって、思ってくれたら嬉しいけど、どうだったろう?。谷中散策って云っても、実際はお昼食べて、デザート食べて、お茶飲んでるだけだったけど(^^ゞ。


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 日曜日が定休で、今日(=土曜日)なら久し振りに出掛けられるかも!と思って電話を入れたイタリアンは満席で空振り。その代わりに出向いたのは、気さくな雰囲気&お手頃ながらワインの品揃えが充実していてる和食店へ。「結構歩いておつかれさま」の乾杯は、モエがアメリカで作る(やっぱりお手頃な)スパークリング、ドメーヌ・シャンドンにて。


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 2本目のアルノー・ショパンは、以前飲んだ時はもっとトラディショナルな雰囲気の、白地のすっきりしたエチケットだったハズが、2008年の分は随分とイメージチェンジしてたんだなぁ。テーブルに持って来られた時は、これって違うワインじゃないの?って思ってしまったくらい。


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 食後酒代わりにしたこのアルザスが余分だったなぁ・・・。ほんのり甘くて、爽やかで、美味しいワインだったんだけど。話に夢中で食べるものも軽めにしてしまって、途中からすっかり“飲みモード”に突入してしまったのも、今にして思えばいけなかった[ふらふら]

 ついつい調子に乗って、予定外にフルボトルで3本も飲んでしまって、完全に許容量の上限OVER[たらーっ(汗)]。翌日は久し振りに完璧なる二日酔い。お陰で以降4日間、アルコールを一切欲しないままに過ごせましたとさ(苦笑)。




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